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宝物になる日  作者: momo
本編
81/96

再会


 

 腕を引かれて飛び込んだ先に底はなく、そのまま深く沈んでいく。

 閉塞感に襲われて目を開けると真っ暗な世界に銀の髪が揺れていて、瞬きをした瞬間には再び強く腕を引かれ光の世界に連れ戻されていた。


 条件反射のように大きく息を吸い込む。

 全身がびっしょり濡れて平衡感覚がなくなり、柔らかな草の生えた地面に膝をつけば大量の水が全身から流れ落ちた。

 水を滴らせながら周囲を窺う。

 短い黄緑色の草が生えそろった地面に、柔らかな日差し。ところどころに巨大な立ち木が見え、後ろを振り返ると湿った岩から透明な水が湧き出し、小さいながら美しい泉を作り出していた。

 どうやらここから出て来たらしい。

 空を見上げると、伸びた巨木の枝が適度な影を作って日差しを遮っている。その向こうにはどこまでも澄んだ空があって、どこからともなく美しい鳥のさえずりが聞こえていた。

 僅かな時間だったが、どうやらエルフの里についたようだ。


「立てるかい?」


 キナーシュが手を差し出してくれる。一瞬迷ったがここまで来るのにさんざん触れたのを思い出して、好意を素直に受けた。


「林を出た先にセオドリクの住いがある」

「分かりました」


 会いたくてたまらなかった人がすぐそこにいる。

 もうすぐ会える期待と、先ほどキナーシュに言われた言葉に不安を覚えながら後を追った。二人ともびしょ濡れのままだが気にする間もない。


 キナーシュの後姿はセオドリクそのもので見紛うばかりだ。

 けれど前を歩くキナーシュはセオドリクのように陽気でも、キアラを気にして振り返ることもなく、淡々と歩みを進めていく。

 彼にとっては大切な息子だ。そのセオドリクが失われそうで、生きながらに朽ちていこうとしている。キナーシュの言葉や、北で出会った神官に教えられたことから最悪な場面を想像して、キアラはそんなことにはならないと首を振ると懸命に後を追った。


 巨木が立つ林を出ると一面が緩やかな丘になっており、その先に茶色の壁と屋根の平屋が見えた。

 他に建物はなく、煙突から細く立ち上る白い煙に人の気配を感じる。

 一時ほど歩いて濡れた服もほとんど乾いていた。

 家の前まで到着した途端、木の扉が開いて中から美しいエルフの女性が姿を現す。

 セオドリクやキナーシュとおなじ銀色の髪に瑠璃色の瞳をしているが、彼女は二人とは全くの別人だ。エルフは誰もが美しいと分かったが、皆が皆おなじ容姿をしている訳でもないようだ。


「キナーシュ、お帰りなさい。彼女が?」


 不安そうな彼女の視線がキアラに向けられ、キナーシュは彼女と抱擁を交わす。


「そうだよ、彼女がセオドリクの想い人だ。残念ながら本当に人間だったが、運のよいことに彼女が他の男を想っているというのは誤解だったよ」


 抱擁を解いたキナーシュは、彼女とキアラを向き合わせた。


「彼女がキアラ=シュトーレン。キアラ、こちらはララリア。私の妻でセオドリクの母親だ」

「初めまして、キアラ=シュトーレンです」

「ララリアよ。初めまして。あなたは本当にセオドリクのことを想ってくれているの?」


 初対面で唐突に問われたが、キアラは素直に頷く。するとララリアは感激したように両手で口元を覆ったが、すぐに眉を寄せてとても悲しそうに瑠璃色の瞳を濡らした。


「あなたが愛したのはエルフのセオドリク?」


 質問の意味がよく分からなくて言葉に臆する。

 セオドリクの母親であるララリアは何かを恐れているようで、その何かが分かっているであろうキナーシュが妻の肩を励ますように抱き寄せ言葉を繋いだ。


「君は何もかも失い滅び逝くセオドリクを前にしても、心に宿している想いを変えることはないだろうか。エルフの美しい姿しか知らない君が、今のセオドリクの姿に絶望して、態の良い言い訳をつけて見捨てるのではないか。それを妻は心配している」


 朽ちるとか砂塵とかの話をしているのだろうか。

 人と異なる現象がエルフには起きるのだろうが、実際に目にしたことのないキアラには想像することすら難しい。それでもセオドリクに対する気持ちが本物であることは、誰よりもキアラ自身が分かっていた。


「セオドリクさんは絶望するような姿をしているのですか?」

「愛しい息子に変わりない」

「どのような姿になっているのか分からないので、実際に目の当たりにして驚くことはあるでしょう。でもわたしの気持ちは変わりません」

「その気持ちはどんなものなの?」


 夫に肩を抱かれたララリアが不安そうにキアラを見つめる。


「愛しいという気持ちです。わたしはセオドリクさんから沢山の気持ちを貰っていました。なのにその気持ちに気付けず、わたし自身、セオドリクさんを愛しく思う気持ちに戸惑って、告白することができないまま別れてしまいました。わたしと彼の未来がどうなるか分かりません。でもセオドリクさんに会わないと後悔しか残らないことだけは確かです。種族の違いや生きる流れが違うことも分かっていますが、それでもセオドリクさんの側にいたいのです」


 どうか会わせてくださいとララリアに頭を下げると、不安そうにしながらも「あの子が望んでいるでしょうから」と瞳を潤ませたまま家の中に案内してくれた。


 屋内は大きな窓が開け放たれ、緩やかな風が通り抜けてとても心地よい空気に満ちている。

 ララリアに案内され一番奥の部屋に辿りついたところで、ララリアは振り返って確認するようにキアラをじっと見つめた。


「セオドリクはほとんどの時間を眠って過ごしているわ。起きているときも夢うつつで、わたしやキナーシュの姿も認識できないの」

「どうしてそんなことに?」

「それはエルフだからよ。人の世界に憧れて、そう望んだから。破滅の恋に憧れるだなんて、恐ろしいことを言いだした時には耳を疑ったわ。どんなに止めても聞いてくれなくて。最悪の結果になってしまったけれど、夢うつつにあなたを呼ぶ息子の望みは叶えてやりたいの」


 キナーシュもララリアもキアラを歓迎してはいないのだろう。けれどキアラの名を呼ぶセオドリクの願いを叶えたいという、息子を想う気持ちだけでキアラを招き入れてくれた。


「本当に会ってくれるのね?」


 キアラが頷くと「悲鳴を上げたら殺してしまうかもしれない」とララリアが忠告したが、それでもいいとキアラは答える。


 いったいどのような状態なのだろう。

 扉が開かれ中に促される。

 一歩踏み込むと、大きな寝台に横になっている人の姿が目に入った。

 更に一歩、また一歩と寝台に近付き、最後は雪崩れこむように駆け寄って寝台に飛びかかり、名前を呼んだが音にはならず、空気が漏れただけだ。


 大きな寝台に横たわり、真っ白な薄いシーツをかけられたエルフには確かに見覚えがあったが、見知るエルフの姿には到底及ばない、理解できない状態で静かに横たわっていた。

 

 枯れ木、老木、干上がった湖の底。

 様々な例えがあるだろうが、横たわったその人の肌は土気色でひび割れ、触れた途端に白いシーツにぼろぼろと零れ落ちそうになって張り付いていた。

 乾き過ぎた唇は幾つも縦に割れ、閉じられた瞼も枯れ果てて睫毛はない。当然眉毛もなく、豊かで長い銀色の髪は見るも無残に抜け落ち、ところどころにかろうじて残されているだけだ。


 それでもセオドリクであると分かるのは顔立ちのお陰だ。

 声を亡くしたキアラは幾度となく手を伸ばすが、触れた途端に肌が剥げ落ち砂塵になって消えてしまいそうで、恐ろしくて触れることができない。


「うそ……うそ、セオドリクさん。どうしてこんな――」


 身を滅ぼす恋――破滅の恋。

 長い時を生きるセオドリクが憧れた恋。

 その破滅の結果を彼は知っていたのだろうか。

 恋に恋をしていた、幸せそうなセオドリクの姿がキアラの脳裏に過った。

 


 







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