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宝物になる日  作者: momo
本編
79/96

セオドリクの父



 探し求めた人を目の当たりにしたキアラは、会いたくてたまらなかった気持ちが先行して何もかもが吹き飛び、感情の赴くまま声を上げた。


「セオドリクさんっ!」


 名を叫んで飛び出した先では、声に反応した瑠璃色に輝く瞳がキアラを捉える。

 ひとつ瞬きをしたその人の硬く結んでいた口が僅かに開くと、「キアラ?」と動いて名を呼んでくれた。


 ラシードに向いていたびしょ濡れの体がキアラへと向き直される。再び瞬きをすると、瞼を縁取る長い銀色の睫毛から雫が零れた。


 会いたかった人だ。

 ずっと探して見つけられなくて、追い求め、あきらめようとしても心から追い出せなかった人。

 陽気で前向きな彼がいつの日も向けてくれた瑠璃色の瞳。人の世界では存在しない美貌を携えた彼は、水を滴らせながら姿勢よく立ってキアラを見つめてくれていたが、表情は硬くキアラの見知らぬものだ。


 じっと見つめる硬く冷たい顔つきに、はっとしてキアラが足を止めるのと、ラシードに行く手を遮られ、彼の腕で制されたのは同時である。


 ラシードの腕が目の前に延ばされ、これ以上前に出ないよう指示されるが、キアラ自身も感じる違和感に眉を寄せて距離を詰めることができない。

 違和感を感じて立ち止まったキアラは、その正体を突き止めようと、目の前で引き止める腕を掴んで身を乗り出した。


「セオドリク、さん?」


 キアラを見つめる瞳は瑠璃色だが、これまで向けられたのと同じ温かみがない。

 硬質な宝石のそれはキアラを捉えて離さないが、まるで見定めるように静かに見つめているだけ。硬い表情はほころぶことなく、冷たい輝きに覆われた鋭い美貌を曝していた。


 キアラはじっと見つめる。セオドリクではなく、目の前のエルフを。

 長い髪は変わらないが、セオドリクよりもさらに長い。美しいかんばせも変わらないが、神が作り上げた端正さに磨きがかかっていて冷たい印象ばかりが際立つ。声は、果たして同じであっただろうか。体格もセオドリクより少しばかり大きいようだし、年もいくつか上にみえた。

 長い時を生き、成年期が長いとされるエルフがたった半年で数年の時を刻むのか?

 疑問が湧いた途端、キアラは掴んでいたラシードの腕から手を離し、小さく首を横に振って「ちがう」と呟いた。


「違う……セオドリクさんじゃない。あなたは誰?」


 絶望に近い落胆に襲われて呟くと、目の前のエルフが幾度か瞬きを繰り返した後、ほっとしたように表情を緩め、直視に耐えがたい美しすぎる輝く笑みを浮かべた。後方では幾人かが相次ぎ倒れる音がする。


「ああ、君は。セオドリクに会いたいと思ってくれていたのだね」


 セオドリクとは異なる、流れる旋律のような声が耳に届く。

 まるで水の中で聞こえるような、鼓膜に直接届くような不思議な声だ。

 一歩、また一歩と長い足でエルフが歩くと、彼の後を追うように水がしたたり落ちていく。

 セオドリクにとてもよく似た彼は、セオドリクのようであってそうではない。

 エルフが歩み、キアラの目の前まで来ると、二人を別つように伸ばされていたラシードの腕が自然に降ろされた。

 同じエルフの筈なのに、人を魅了する美しさはセオドリクの比ではない。まとう雰囲気も穏やかながら威圧するような力を宿していた。

 微笑むエルフの姿に誰もが声を失い、我を忘れて唖然とし、しかし目を離すことができずにいた。


「黒い髪、紫色の瞳。魔力のない肉体ながら生命力にあふれているのは、魔力がない故に自然が君を受け入れているからだろう」

 

 エルフの濡れた指先がキアラの頬に触れる。凶器にもなり得る美しいかんばせが目の前に迫るが、キアラは驚きで身動きができず、高い位置から覗き込まれて滴る雫を頬に受けた。


「君はキアラ=シュトーレン。間違いないね?」


 問われ、抵抗なく素直に頷かされる。

 魔法なんて使われていないし、キアラに魔法は効かないのに、まるで操られているような感覚にキアラは怯えた。


「怯えないで、なにも取って喰おうとしている訳じゃない。ただね、大切な息子を殺す存在を疎ましく思ってしまっただけだ。でもね、それも君がセオドリクを思っていると知って吹き飛んだよ。さあ、行こうか」


 濡れた手がキアラの手首を掴んで引っ張られる。訳が分からず一歩前に出たが、お陰で誰よりも早くに立ち直ったキアラはようやく声を出すことができた。


「あ、あなたは、誰ですか? 息子って――」

「息子とはセオドリクのことだよ。私はキナーシュ、セオドリクの父親だ」


 どう見ても双子。いや、年の近い兄にしか見えない。

 人の時間で測れない不思議があるのは当然だが、父親と言われても混乱するばかりで、その間にもキアラは腕を引かれていた。

 向かう先は噴水のようだ。

 恐らくセオドリクの父でキナーシュと名乗ったエルフは、里と人の世界の行き来に木の根元ではなく水場を使うのだろう。


「待って。キナーシュさん、待って下さい。行くってエルフの里にですか? セオドリクさんに会わせて頂けるのですか?」


 キナーシュはセオドリク以上にエルフらしく、自分勝手にことを進めている。

 急なことに戸惑い、成り行きを驚きの目で見守るしかない周囲など気にも留めていないが、キアラは旅から戻ったばかりの展開に付いていけない。

 それでもこの手を振り払ったらセオドリクに辿りつけなくなるのだと分かっていた。

 キナーシュは歩みをゆるめて振り返ると、キアラに優しい笑みを向けた。


「そうだよ、君をエルフの里に招待する。私は息子の望みを叶えてやりたいんだ。君は私をセオドリクとみまごい、喜びに心を揺らした。間違いに気付き落胆した。君はセオドリクに会いたいのだろう?」

「もちろんです。セオドリクさんに会いたいです」

「なら問題はない。よかったよ。大切なものが失われるとなってずいぶんと腹が立ってね。セオドリクを弄んだ君を、同じように責任を取らせてやろうと思って人の世界に足を踏み入れたけれど、そうではなかったようで安心した」

「責任って?」

「生きながら朽ちる苦しみを与えてやろうと思っていた。君がセオドリクに情をもっていると知っていたなら、そんな風には思わなかったよ。どうしたの、私が怖い?」


 物騒なことを優しい口調で軽く口にするキナーシュは、キアラの心の変化を読んだかに足を止めて、大丈夫だと諭すように美しく微笑んでみせる。


「怖くなんてありません」


 エルフの里はキアラにとって未知の世界だし、キアラを生きたまま朽ちさせるつもりだったらしいエルフに手を引かれるのは恐ろしくもあるが、これを逃したら最後と分かっているので首を横に振る。

 キナーシュの言葉は分からないことだらけだが、機嫌を損ねて置いて行かれても困るのだ。

 エルフは自分のことが最優先であるため、キアラの状況などまるで考えていないのも分かっていた。


 しかしようやくここで周囲が動き始め、ついに声を上げる存在が出た。


「待たれよ!」


 命令することに慣れた、堂々とした声はラシードのものだ。キアラは振り返り、キナーシュは笑顔を張りつかせたまま視線をラシードに向ける。


「彼女はヴァルヴェギアの魔力なしだ。勝手に連れ出されては困る。まずは状況を説明してもらおうか。それが人の世界の決まりだ」


 ヴァルヴェギアの国防を預かる騎士団長としての声が上がった。





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