旅の終わり
春が過ぎ、夏を迎えても、エルフの里に向かうための手がかりは何一つ見つけることはできなかった。
有力な情報は北の町で神官から得たものだけで、それ以上になるといくつの町をめぐり国を越えても掴むことができない。
夏が終わりを迎える前には戻らねばならず、キアラ自身も決断しなければならないと分かっていた。
「ここまでついてきてくれて、本当にありがとうございました」
いよいよヴァルヴェギアの都へ足を向けることになり、キアラはロルフに頭を下げた。
旅の初めは可能な限り別々の部屋に寝泊まりしていたが、北の町でロルフを兄と呼んでからは、当たり前のように同室するようになっていた。警備の面でも同室が楽だというのがあるが、兄として接することに迷いがなくなったのが大きな要因になっている。
並んだ寝台に腰を下ろして、向いに座ったロルフに頭を下げると「諦めるのか」と問われた。
ロルフからはキアラが幸せになるために、自分を犠牲にすることを厭わない節が垣間見えた。彼にはもっと優先するべき家族があるのに、妹にかまけるばかりに彼の家庭が壊れてしまっては本末転倒だ。
けれどキアラがロルフを案じても大丈夫だと言われるばかりなので口にはできない。
妻だけではなく幼く可愛い盛りの子供もいるのにキアラを優先するのは、子供のころに家族を失った経験が彼にとっては深い心の傷になっているからだろう。ロルフにとってキアラは攫われた当時のままの印象なのかもしれない。
しかも奪われた妹は魔力なしで、気を抜けばすぐに死んでしまうような戦場に身を置いていたのだ。大国カラガンダの後ろ盾を得てもこの先どうなるか分からない情勢でもある。
このような状況では、死に最も近い魔力なしの妹の側から離れ難く、優先してしまっても仕方がないのかもしれない。ロルフたち家族は、国に奪われた妹が生きているのを信じて、奪い返すことを目標にしてきたのだ。そんな家族にキアラは心から感謝している。
「諦めるわけではなく、一度戻るだけです」
不安が大きいが、セオドリクに会いたい気持ちに変わりはない。しかしキアラは生きて会うことができた血の繋がる兄やその家族のことも大切にしたいのだ。キアラの気持ちを慮るあまり、彼の家族を蔑ろにするようなことにはなって欲しくなかった。
「今回の旅は異例だ。ひとたび戻れば今回のように世界を回ることは困難になるだろう」
カラガンダに魔力なしを奪われないための処置で、キアラは自ら失踪したことにされ国外に出ることが許された。国に戻るときには護衛騎士であるロルフに見つけられてという態になり、しばらくは自由に動くことができなくなるだろう。
「ヴァルヴェギアにはセオドリクさんが現れた実績があります。もう一度ヴァルヴェギア国内をくまなく探してみる価値があるのではないかと思いました」
「それも暫く許されなくなる。キアラ、君が望むなら――」
「ロルフ様」
キアラが望むならロルフは約束の期限を違えるに違いない。それ以上言わせないために、キアラは力強くロルフの名を呼んだ。
「ヴァルヴェギアに帰ります。お母さんにも会いたいですし」
メノーテは病で先が短い。セオドリクが力を使ってくれはしたが、いつまでも元気でいられる訳ではないのだ。長く国を離れている間に儚くなってしまう可能性があり、キアラにとってはたった一度会っただけで終わりにしてしまえる繋がりではなかった。
「そう……そうだな。母親に会いたいのは子供として当然だな」
「父親にも会いたいと思いますよ」
「キアラ……」
子供を思いだしたのか、ロルフは硬くなっていた表情を和らげると優しく目元をゆるめた。
半年の期限を僅かに残し、キアラとロルフは帰路につく。
道中もエルフの情報を集める努力は怠らなかったが、成果を得られないせいで気分が落ち込むことはなく、キアラ自身、セオドリクに会えない現実を受け入れ始めているのだと気付かされる。
ヴァルヴェギアに入ると真っ直ぐにメノーテのもとに向かった。
メノーテは久し振りにみる我が子の姿に破顔すると、キアラを「レオノール」と呼んで腕を広げ駆け足でやって来る。キアラも「お母さん」と呼んでメノーテと抱き合った。
「お母さん、元気そうでよかった。走って大丈夫なんですか?」
「レオノールも元気そう、ロルフもね。わたしは病気が治った訳じゃないのだけど、エルフのセオドリクさんが半年ほど前に来てくれて。彼、お国に帰ったのでしょう? 帰る前に寄ってくれて色々してくれたのよ。そうしたら少しずつ調子が良くなって、今ではこの通りよ」
メノーテの話にキアラとロルフは目を合わせる。
半年ほど前、それは恐らくセオドリクが地下牢で姿を消した後だ。消えたと同時にエルフの里に帰ってしまったと思っていたがそうではなく、メノーテを案じて手を尽くしてくれたのだ。
「母さん、セオドリクはそれ以降、ここには来ていないのか?」
「ええ、来ていないわ。もう会うことはないと悲しいことを仰って、それが最後よ。実はわたし、彼とレオノール……ごめんなさい、キアラさんだったわね。二人は恋仲だとばかり思っていたから、キアラさんを置いていってしまうのか聞いたのよ。そうしたらキアラさんは身分違いの恋で悩んでいると教えてくれて。とんだ勘違いをして恥ずかしかったわ。そうそう、セオドリクさんの話ね。彼はエルフだから、人の国での生活は辛いのですって。とても疲れた様子だったから、国に帰って元気でいるのか知りたいと思っていたのだけど、あなたたちは知らないかしら?」
それを知りたいのはこちらだが、まさかセオドリクがメノーテのために手を尽くしてくれていたなんて思いもしなかった。セオドリクが消えた時、真っ先に思いついてここに来ていれば間に合ったかもしれないのに。そう思うと体から力が抜けて後ろからロルフに支えられる。
「キアラさん、大丈夫!?」
「はい。ちょっとふらついただけです」
「母さん、長く旅をした帰りなんだ。キアラを中で休ませたい」
「まぁそうだったのね。元気そうに見えたけど違ったのね、ごめんなさいね。すぐに用意をするから、ロルフはキアラさんを連れて来て。歩かせては駄目よ」
キアラはロルフに抱き上げられ、家の中に入って寝台に横にされた。
この半年、遠くの国まで渡り歩いたのに大した情報は得られず、北の国で神官からエルフの国に行くことはできないことや、エルフが真実の恋をした先の破滅について知ったのが最大の情報である。それなのにヴァルヴェギアに戻った途端、メノーテがセオドリクと顔を合わせていたと知るなんて。
どうして直ぐにここに来なかったのだろう。
間にあうことはなかっただろうが、ほんの少しも思いつかなかったことを悔いても悔やみきれない。
心配するメノーテに説得され、キアラとロルフは一晩この場に留まることにした。
そうして夜が明け、キアラはメノーテを心配させないよう元気に振る舞ったが、それも見抜かれてしまい心配させたまま別れることになってしまう。
また必ず来ることを約束して別れ、都を目指す。距離にしてわずか半日。
日が高いうちに戻った都は懐かしく感じることもなく、キアラは重い空気を背負ったまま秘かに城に入った。
キアラは表向き失踪したことになっていて、ロルフに連れ戻された筋書きだ。人目につかないように城内を進むが、何やら辺りが騒がしい。警戒したロルフがキアラの手首を掴んで辺りの様子を窺い、騒ぎのする方へと慎重に歩みを進めていくと、大きな噴水のある庭園に出た。
城で働く者達が遠巻きに噴水を取り囲んでいる。ちょうど上の人間が呼ばれた所だろう。人垣が開いて姿を見せたのは騎士団長であるラシードだった。
緊張した雰囲気の中、不安に駆られたキアラはロルフの腕を縋るように掴む。
「ラシード様が呼ばれるなんて、何があったんでしょうか?」
「分からない。もう少し近付いてみよう」
キアラは顔を見られないようしっかりとフードを被り、ロルフに腕を引かれてなるべく人の少ない場所へと移動していく。
人垣の間から様子を窺うと、ラシードが背の高い誰かと話をしているようだ。
目を眇め相手の様子を窺ったキアラは紫の瞳を見開いた。
ラシードの前に立つ人は頭から水を被ったのか全身びしょ濡れだ。長い銀色の髪が濡れた服にぴたりと張り付いて水を滴らせている。
白い肌にすっと高い鼻。そして瑠璃色に輝く瞳。
びしょ濡れなのに錯覚ではない、宝石の粉をちりばめたようなきらめきを放っている彼の濡れた髪からは、人とは異なるぴんと尖った耳の先が覗いている。
「セオドリクさんっ!」
叫んだキアラは人に触れてはいけないことを忘れ、人垣をかき分けそのエルフに向かって飛び出していた。




