残念ながら
老いた神官の細い目から覗く灰色の瞳は力強く、思わず体を硬くしてしまう。
「ヴァルヴェギアの人間がエルフをどうしたいのかね?」
この神官は何かしらの手掛かりを知っていると確信したキアラは、再び問われて拳を握りしめた。
「大切な人がいます。その人がエルフ族なのです。急にいなくなってしまって探しています。どうかお願いです。エルフについてご存じのことがあれば何でもいいのです。どうか教えてください」
ヴァルヴェギアが長く戦争をしていたのを知っている神官は、キアラたちがエルフを戦力として取り込むのではないかと怪しんでいるのだ。
けして戦力としてではなく、純粋な思いで探しているのだと訴え、頭を下げて頼み込む。すると神官は「ふむ」と頷くと腕を組んで考えるような仕草をした後、息を吐き出すようにして「なるほど」と呟いた。
「してお嬢さんは、そのエルフにお会いなさったらどうなさるおつもりかね?」
「あなたが好きだと、愛していると伝えます」
「これはまた……」
キアラの率直な物言いに、別の答えを予想していたであろう神官は細い目を開いて驚きの表情を見せた。しかしすぐに皺を深くして面白そうに声を上げて笑い出す。
「戦をする国にとってエルフは貴重な種族だろうに、それがなんと。愛を伝えるというのが事実なら何とも可愛らしい、心豊かなことでありますなぁ」
神官はほどなくして笑うのを止め、キアラの目をじっと見つめた。
「お嬢さん、少しばかり話を聞かせてもらってもいいかね?」
椅子を示して座るように促され、キアラだけが腰を下ろすと神官はロルフを見上げる。
「なるほど、君はヴァルヴェギアの軍人か」
「……その通りです」
エルフを戦争に使うのではないかと疑われているので、正直に返事をするかどうかロルフは迷ったようだが、ここで嘘を吐いて心証を悪くするのも良くないと判断して正直に答えてくれた。
「老いた神官がお嬢さんを傷つけるとは思うてはおらんだろうし……はて。何を警戒しておるのやら」
神官はそれ以上の追及はせず、一人分の距離をあけてキアラの隣に腰を下ろす。
「昔々ではあるが、エルフと交流を持っていた経験があります。私に話せるのはその程度のことだが宜しいかね?」
エルフと交流を持っていたと聞かされ、キアラは息を呑んで思わずロルフを仰ぎ見た。ロルフも同様に驚いている。ここにきてようやくつかめた手掛かりに二人は高揚した。
「知りたいことは何だろうかね?」
「わたしが探しているエルフは里に帰ってしまったのだと思います。もしエルフの里に行く手段があれば、無理なら手紙を届ける術がないか知りたいのです」
期待を胸に、声が震えるのを押さえることができないまま神官に問う。すると神官は「ふむ」と返事をして眉を下げた。
「お嬢さん、大変いい難いことではあるのですがね。残念ながら里に帰ってしまったエルフに、人間から接触する術はないのですよ」
「それはどうしてですか?」
「エルフの里に通じる道は世界中のどこにでもあるのだがね、その扉を潜ることができるのはエルフだけでしてなぁ。人間が扉を潜るにはエルフの助けが必要でね。導き手となるエルフを私は知らないし、お嬢さんたちも知らない。となれば、人の世界に紛れているエルフを探す必要がありますが、見つけ出せる可能性はないに等しい。結果、無理ということになってしまいますなぁ」
エルフの里に通じる鍵はエルフ自身であり、そのエルフがいなければ扉を探すことすらできない。実質エルフと出会えない以上、キアラがエルフの里にセオドリクを訪ねて行くことは無理なことなのだ。
「神官様と交流があったエルフは、どの扉から人の世界に来たのですか?」
無理だからと言われてもあきらめられるものではない。
ようやく得た手掛かりを前に、神官と交流を持っていたエルフが潜っていた扉が今もあるなら、魔力なしならどうにかなるかもしれないとの考えに縋る。
「木の根元ですな」
「木の、根本?」
キアラが繰り返すと、神官は頷いて「そう、木の根元」と再度繰り返した。
「どの木だろうとかまわないそうでしてな。彼女は里に帰るときはその辺りにある木の根元に向かい、吸い込まれるようにして消えてましたなぁ」
「神官様はエルフの里に招待されたことはないのですか?」
神官は人差し指を口元にやると、「秘密だ」と声を潜めた。
「実は若い頃、一度だけ足を踏み入れましてな。自然をいかに壊さずに生きるかというような生活をしている世界でしたよ。移動で魔法を使うのも稀のようで。何しろエルフは自分にしか興味がない種族でね。同族でも、家族以外には伴侶となるものくらいにしか深いつながりを持たない。そのせいで大きな町の規模はあろうかという敷地にたった一軒ぽつんと家がある程度。仲間のエルフを訪ねる時ですら、徒歩で数日かけるのが常識の長閑な環境で。寿命が長い種族故の、何とも牧歌的で贅沢な暮らしぶりでしたなぁ」
当時を思い出しているのか、神官は目を細め、懐かしむように瞳を輝かせていたが、やがてキアラに目を戻すと、憐れむように眉を下げる。
「エルフは美しいですからの。神官たる者でも心惹かれてしまう。お嬢さんの気持ちは分かりはしますが、伝える時期を逃しては、諦めなさいとしか言いようがないところがもどかしいことですなぁ」
神官は心から申し訳なさそうに「すまないね」と言って背を丸めた。
「でも、わたし。気持ちを貰ったのに伝えられなくて。時期を逃したなんて……確かにそうなのかもしれませんが。彼には勘違いされたままで、答える機会もなく終わってしまったことが悔しくて。諦められなくて――」
ぽろぽろと涙が零れた。
初対面の人の前で泣くのは恥ずかしいが、相手が神官であることも手伝ってか、それともセオドリクへの想いを止めることができないからなのか。次から次に涙が溢れてどうしようもない。両手で顔を隠したキアラを膝をついたロルフが慰めるように抱き寄せてくれるが、涙は止まるどころか後から後からとめどなく溢れて来た。




