王太子妃の告白
唇を引き結んだアデリナは俯くとしばらく考えていたが、意を決したように顔を上げる。何かを言おうとして口を開くが言葉はなく、呼吸音をさせただけで再び口を閉じた。
己の立ち位置と、カイザーの言葉が信用できるかどうか考えているのだろう。これだけのことが起きたのだ、葛藤があって当然である。
カイザーは冷えたお茶を口に含んだ。
「媚薬と睡眠薬の入った酒を持ち込んだのは、事に至らず眠らせ、証拠を残したかったからだね?」
詰問するのではなく、子供に訊ねるように穏やかな口調になるよう注意を払う。
「酒を持ち込んだのは、あなたがセオドリクを私だと信じていた証拠だ。何をしようとしたのかは分かるし、これについて責める気持ちはないよ」
アデリナの状況を慮り、またそれを理由に夫婦になるのを先送りにしたのはカイザーだ。重大な秘密を隠すために薬を盛って騙すのは許されないが、ここで追及すれば溝は深まるばかりである。
過去は過去、未来に向かって進むためなら、この程度のことに目を瞑るのはカイザーにとって苦ではない。
「本当に許すつもりなのですか? 王太子に薬を盛るなんて許されることではありません」
「私にも原因がある」
薬を盛ったことを認める発言をしたアデリナに、カイザーはしっかりと頷いて「許す」と告げた。
「それに酒を口にしたのはエルフであるセオドリクだ。いかに強力な媚薬であっても、魔法薬である限り彼にとってはただの酒でしかないだろうしね。害がないから問題ないとは言わないが、セオドリクがあなたにしたことを考えれば文句は言えないだろう」
ミアの魔法がいかに優れていても、エルフと人間では圧倒的な差がある。媚薬を無効化するのは容易いことに違いない。現にセオドリクは媚薬に酔うことはなかったのだ。
「信じていた薬の効果がなくて驚いただろう?」
穏やかに微笑んで問えば、アデリナは今にも泣きそうな顔になり、一度下を向くと目元を拭って顔を上げた。
「ミアが国に帰されることになり、いつ秘密が露見するかと考えると恐ろしゅうございました。念のために準備していた魔法薬だけが心の支えでした。絶対に上手く行くと思っておりましたのに、エルフのせいで失敗してしまいました。エルフが何を言ったか知りませんが、彼の証言は事実です」
セオドリクがキアラの恋を成就させようと試みなければ、アデリナの企みは露見することなく、知られたくない秘密を隠すことができたのだ。カイザーも騙されて、気付くことなく時は過ぎただろう。
今回の件でセオドリクがキアラを深く愛していることは分かった。キアラの片思いでないのは喜ばしい。
しかし当人はキアラの気持ちが何処に向いているのか知らないまま、事件を起こして姿を消してしまった。
カイザーはキアラを諦めるために間違った行動を起こしたが、これはセオドリクにもいえることだ。何もかも上手く行かないことばかりだと、カイザーは秘かに溜息を吐く。
「媚薬を盛って眠らせ既成事実を捏造しようとしたが、逆に眠らされて終わったということで間違いないのだな」
これだけはアデリナからの確実な言葉が欲しかった。問えば「間違いありません」とアデリナは頷く。
「しかもわたし、彼がエルフだと途中で気付いてしまいました。だってあの方、裸で迫った途端に焦りだして口調が変わっただけでなく、まるで子供のようなことを言い出したのですから。風邪をひくだとかはしたないだとか、何の冗談かと思いましたけど、ああ、あの時の言葉使いだと思い出しまして。エルフが姿を偽れると前もって情報を得ていたお陰で気付けました。」
キアラが姿を消した際にアデリナを訪問した時だ。セオドリクはどこにでもいるような大して特徴のない男性の姿をしていたが、口を開けば素に戻っていた。
「気付きながら利用したと?」
「媚薬で証拠を残させようとしても駄目で、睡眠薬も効かない。エルフであると気付いて強行しようとした結果、拒絶されて眠らされ、その後はご存じの通りです。不貞の現場を目撃されてこれは使えると思いました。ですが、その場で首を跳ねるのが当然だと思ったのになさらないし、ヴァルヴェギアは魔力なしには厳しいくせに随分と腰抜けだと思い、大変腹立たしくなりました。だってわたしの愛した人は露見したその場で首をはねられましたから」
感情を殺した緑の瞳がじっと見つめていた。
カイザーは思いもしなかった告白に衝撃を受け、「その場で首を?」と問い返す。
「ええそうです。父に彼との間に子供ができたから結婚を許して欲しいと願い出たその場で。許されないことをすれば格下の者が処分されると身を持って知った瞬間でした。そしてわたしは自分の秘密を隠すために、罪のないエルフを殺せと声を上げたのです」
思わぬ事実を聞かされすぐに言葉を返すことができない。カイザーが驚いているとアデリナは「わたしが愚かだったのです」と自虐的に笑った。
「彼とわたしの関係は身分の差から歓迎されないものでしたが、父はわたしを溺愛していましたから、子供ができれば許されると思ってしまったのです。結果、わたしが身籠ったことを二人で告げたその場で、激昂した父は、当時父の近衛だったオレム=クローンの腰から剣を抜き取ると、問答無用で彼の首を落としました。そして産まれた子は彼の姉夫婦であるクローン家の実子に。許されない子が生かされたのはわたしを死なせないためと、言うことを聞かせるための人質です。そして父は傷物の王女に試練を。ヴァルヴェギアの王太子妃として認められるよう命じました」
愚かだったと語るアデリナは、確かに愚かだったのだろう。
大国の王女として生まれ、数ある王女の中でも正妃腹であり父王から溺愛された。それは父が娘に対する愛情だったのか、利用価値の最も高い正妃腹の王女であったからなのかカイザーには知る由がない。
溺愛されるのをいいことに、何をしても許される力と勘違いしたアデリナは、護衛の騎士と身分違いの恋をして、愚かにも関係を成就させるために子を孕んだ。
臣下が職務上で接触する王女に手を出し、孕ませるなどあってはならない失態だ。この場合、王に対する反逆と受け取られても仕方がない。
産まれた子を生かしたのはアデリナを死なせないためなら、アデリナは男の後を追おうとしたのだろう。しかし死ぬことを許されず、子を産み落として取り上げられた。
本来ならヴァルヴェギアのような戦争で弱り切った国ではなく、もっと大きな国との間で政略のために使われる王女だ。それがここにいる裏には、アデリナに重大な問題があるからである。
王女としての役目を放棄しようとした娘に王である父親は試練を与えたのか。それとも只の罰なのか。失った恋人の縁者であるオレムをヴァルヴェギアに残していたのには、いったいどのような思いがあったのだろう。またオレムは手を下していないが、自身の剣が妻の弟を殺めた時、彼はその場で何を思ったのか。
カイザーはアデリナの告白に、人を愛することすら業となる立場であることを改めて認識した。




