信頼のために
騒動からまる一日が過ぎた昼下がり、カイザーがアデリナの部屋を訪問するとすんなり入室の許しを得られる。
会いたくないと拒絶されることを予想していたが、日を置いて対面したアデリナは多少の疲れが見られるものの、王太子妃らしく身だしなみを整え、凛とした姿でカイザーを迎えた。
ガラス張りの窓から日差しが差し込む中で、お茶の支度を整えた女官が下がると二人きりになる。側でみるとアデリナの目元には色濃いくまができているようだったが、化粧で可能な限り隠されていた。
茶器には互いに手をつけず無言が続いたのち、「眠れているか」とカイザーが声をかけると、アデリナは嫌味とでもとったのか、鼻で笑って茶器を手に取りお茶を口に含む。
「眠れる訳がないでしょう」
開き直りというのだろうか。そんな感情を含んだ物言いだった。
「泣いてわめかれては話ができなくて困るのだが、落ち着いているのなら先日の続きをしたいと思う」
「エルフの取り調べが終わったのですね。それでどうなのです? 姿を偽り、わたしを騙した不届き者を信用することにしたのですか。エルフはあれほどの美貌を持っているのですもの。わざわざ姿を偽らなくても世間知らずの小娘一人、陥落するのは容易いとお考えになって、わたしを嘘つき呼ばわりするのですか」
茶器を戻したアデリナはカイザーではなく、明るい窓の外に視線を向けている。口悪く言っているが、どことなくあきらめを感じる物言いだ。
カイザーはアデリナの心を柔らかくする努力をするべきかと思ったが、どう取り繕っても否定される気がして止めた。
「セオドリクがあなたを嵌めようとしたのは事実だった」
窓に向いていたアデリナの視線がカイザーへと移動する。重ねられた瞳は驚きを含んでいて、相手を警戒して気持ちを隠そうともしていないものだ。
「目的は?」
「王太子妃が不貞を働いた――と、目撃した者たちに思わせること」
「なんのために?」
「わたしとキアラが憂いなく愛を育めるように。目的はそれだけだから、あなたを眠らせ体の関係はなかったと証言している」
「ずいぶん勝手な言い草ですね。キアラとあなたの恋が叶わないのは当然のことです。わたし、秘密で彼女とお会いした時にもそう申し上げました。わたしに非がある訳ではありませんのに謀れるなんて、わたしはエルフに恨まれてしまったのでしょうか」
自分に非はないのに心外だと言いたいのだろう。エルフの身勝手な感情で嵌められたのが悔しいと、アデリナは眉間に皺を寄せて気持ちを素直に語っていた。
これまで穏やかで優しい表情ばかりだったので気付かなかったが、王太子妃としてこうあるべきと定められた以外の仕草を見せつけられたカイザーは、妻である女性なのに何も知らなかったのだなと、今回の事件を含め、アデリナに対する扱いが不手際だらけだったように感じて心の奥で後悔した。
「私が彼女を諦めるために取った方法は、彼女を傷つけて遠ざけるといった愚かなものだった。それをセオドリクが真似をし、彼なりの愛情表現をしてしまったようだと聞いている」
「愛情表現……王太子だけではなくエルフまで。キアラは大層おもてになるのですね。そんなことにわたしを巻き込むなんて」
「セオドリクは、キアラ誘拐の原因を作ったのは王太子妃だと思っていたようだ」
「その通りです」
肯定したアデリナは指を口元に当てくすりと笑った。カイザーを見つめる瞳はまるで挑発するようだ。
「哀れな魔力なしをカラガンダに望めば、忠義深いミアが動くのは分かっていました。だってわたし、父からヴァルヴェギアの魔力なしが女であれば、必ず引き抜くよう命じられておりましたから」
子供のように泣きじゃくったのはいつだったか。つい先日なのに遠い昔のように感じるのは、アデリナの堂々とした告白のせいだ。
あきらめたのか開き直ったのか、微笑みを湛えたアデリナは強い眼差しでカイザーを睨むように見つめていた。
「カラガンダが魔力なしを使って繁殖を試みているというのは事実なのだな」
わりと有名な話だ。噂ではなく事実であるのも知っているし、偶然を待つよりも魔力なしの間に魔力を持たない子供が産まれる可能性が高いこともだ。
しかし現実的にそれほど高いとは言えない確率だった。
カラガンダが実験のように魔力なし間で子供を産ませることができるのは、保有している魔力なしの数が圧倒的に多いからで、ヴァルヴェギアを含む他の国々では、魔力なしは子を成す前に戦場で命を散らすのが常である。
「繁殖とは随分な言い方ですね。わたしの友人に魔力なしの夫婦は沢山いますが、どの夫婦も愛し合って婚姻した魔力なしです」
多くの人間がいる中で、魔力なし同士が結婚するまでに国の思惑が働かないなんて有り得るのだろうか。アデリナの堂々とした物言いは疑いを孕んでいないが、今はカラガンダが魔力なしをどのように扱っているかは問題ではない。
「それで、キアラをカラガンダに引き抜くことができなかったあなたはどうなるのだ?」
「特に何も。父が落胆するだけです。わたしがカラガンダに戻された時の扱いも良いものは望めないでしょうけれど、それだけです」
「私はあなたと添い遂げるつもりでいるのだが」
どんな事実があるにしろ、迎えた時から事件を起こした今現在も、カイザーの意思でアデリナをカラガンダに帰すつもりはない。
「あなたがそのつもりでも、男子が産まれなければ理由をつけて別の王女と交換されるでしょう。カラガンダの血をヴァルヴェギアに交えるのが、婚姻の条件の一つであることをお忘れではありませんよね?」
確認するように念押しされると否とは言えなかった。
「世継ぎが産まれれば問題ないことだ。あなたは王妃となり、生涯をこのヴァルヴェギアで過ごす」
「産まれなければ?」
「ヴァルヴェギアの王妃に相応しいと、私だけでなく国民が認めれば、カラガンダ王の圧力があったとしても跳ね除けられる」
国民に不信感を抱かせ、反感を買うのを権力者は嫌がるものだ。ヴァルヴェギアの平和を守るためにカラガンダの後ろ盾が必要なのは民も理解しており、アデリナの輿入れは歓迎されている。アデリナが国民に愛される王妃になれば、カラガンダの王も王妃のすげ替えをしようなんて考えられなくなるだろう。
「それを保証してくださるのですか?」
「私はあなたを裏切らない」
「せっかくの好機ですのに、キアラのことはよろしいの?」
「私もあなたも王族としての役目を果たすと決め、この場にいるのだ。信頼関係を築くために私はキアラを諦めた。そして今回、あなたの罪を許そう。そのためには真実を、あなたの言葉で聞きたい」
アデリナは笑顔を消して唇を引き結ぶ。カイザーは僅かな表情の変化も逃さないよう、アデリナの様子をじっと伺った。




