兄と弟
ラシードに呼ばれ再び部屋を移ったカイザーは、ぐったりとして顔色を無くしているキアラの様子が心配で思わず側に寄りそうになるが、慌てて衝動を抑える。
部屋には他に、ラシードが信頼している魔力なしの護衛を務めるロルフがいた。
ロルフとキアラの距離が異常に近く感じたが、二人の関係については報告を受けていたおかげで、目の当たりにしてもいらぬ胸の疼きを覚えずにすんだ。
こんな風に思う時点で、アデリナに言われた「今もキアラを愛している」ということを実感してしまう。こういった小さな点に女性は鋭いものだ。
マクベスの死に対する責任を負い、ヴァルヴェギアを背負うと決めた時点でキアラを幸せにできないと悟りあきらめた。次なるヴァルヴェギアの王になると覚悟を決めたが、アデリナに対する感情は二の次三の次になっていたのだ。
キアラのことだけではない。忙しさにかまけ、王太子妃として努めてくれるアデリナに安堵し、彼女の事情を考慮するのを怠ったせいでもある。
アデリナとセオドリクが起こした今回の件は非常に大きな問題だが、ことの一端は自分のせいでもあるとカイザーは理解していた。キアラへの想いを断ち切るにはまだ時間が必要なようだが、そこは仕方がないだろうと諦め視線を外す。
日がすっかり上って新たな一日が始まっていた。一睡もしないまま、心に重しを抱えたカイザーであったがそれは誰もが同じだ。
「先ず報告しておかなければならないことがある。セオドリクに逃げられた。二度と姿は見せないそうだ」
ラシードの報告を受け、再びキアラに視線を向けると今にも倒れてしまいそうだ。ロルフにキアラを座らせるよう視線で命じると、正しく受け取り長椅子に導いてくれた。
「エルフは人と異なる存在ですから、裁くことは難しいでしょう。消えてくれてよかったのかもしれませんが……」
「キアラの協力である程度の尋問はできた。未遂で済ませる予定で、結果も未遂のままらしい。媚薬と睡眠薬交じりの酒を飲まされたそうだ。いったい何の目的でそんなものを用意していたのかは分からないがな。そっちはどうだ」
意味有り気な視線を向けられたが、あえて気付かないふりをしてカイザーは答える。
「不審点を追及したのですが、エルフに騙されたのだと主張しています。兄上、二人だけで話がしたい」
キアラやロルフのいる前でできる話ではない。問えばラシードが頷いたので、防音の施された部屋に移ることにする。キアラが不安そうに視線で追っているのに気付いたが、安心させる何かを言ってやることはできなかった。
部屋を移ったカイザーとラシードは、互いに得た情報を報告し合う。密使から得たアデリナに関する繊細な事情は伝えていなかったので、ラシードは驚くと同時に呆れの視線をカイザーに向けた。
「キアラのことといい、お前は想像以上に奥手というか……」
「今更なので追及しないでください」
輿入れ後、最初のひと月は妊娠の可能性を否定するために毎月の出血があるまで控えるものだが、そのまま初夜を迎えずにいることは、妻となった女性を不安にさせることだ。
それを説明もしないまま勝手に気遣って満足しているなど、いくらアデリナが笑顔で友好的であったとしても、一歩間違えば両国の関係に悪化を招きかねない行為である。
追及するには今更なのは当然なので、ラシードは溜息を吐くに止めると「成程な」と漏らした。
「セオドリクによるとミアはかなりの力を持った魔法使いらしいからな。純潔を偽装するのも可能だったのかもしれない。しかしキアラの件でアデリナから引き離された。媚薬は魔法でなければ作成は不可能だ。ミアがアデリナに渡したのだろう。純潔を偽る理由は分かるが、セオドリクの首を斬れというのは驚いたな」
ラシードからも残忍さを兼ね備えた女性には見えないようだ。
己の純潔を偽装するためにありもしない罪を作り上げて命を奪う。騙されたことに腹を立てた結果にしても「首を斬れ」は恐ろしい言葉だ。
「恋人の死因は?」
「職務上の事故だと聞いています。彼女の護衛だったようで、忍び込んだ暴漢から彼女を守っての結果のようです」
「恋人の件は事実、出産は噂に憶測か。カイザー、お前はどう思う?」
「酷く怯えていましたので間違いないと思いました。疑われたせいで泣いているのだといえばそれまでですが」
「カラガンダでのアデリナの扱いは良好なものだったと聞いているが」
カラガンダ王は多くの側室を持っており王女の数もかなりになるが、アデリナは正妃から生まれた娘で王の愛情も深いと聞いている。
傷物の王女を一国の王太子妃に差し出すのは有り得ないが、純潔であると偽ることが可能なら、恋人を失い傷ついた娘に王妃の地位を与えるため、王が傲慢な考えを持ったとしても不思議ではない。
未婚の母にするよりは極秘に産ませ、産まれた子はクローン家の実子として迎え入れさせるのも、娘を想う親の心情というならそれなりに納得できることだ。
「首を斬れ、か」
「私もそこが引っかかるのです」
ラシードの呟きを聞いたカイザーは、腕を組んで考え込む。
「今回の件を極秘に処理して何事にも目を瞑るにしても、事実は正しく知っておく必要があります。なににしろヴァルヴェギアにはカラガンダの後ろ盾が必要なのですから、純潔ではなかったからといってアデリナを断罪するのは良策ではありません」
「そこはお前がいいなら問題ない。全ての実権がお前に移る前に陛下に知られなければいいだけだ」
カイザーが王太子となって日は浅いが、努力は確実に実り始めている。両足を失っている王が引退するのも近いだろう。もし露見するにしてもそれまでに実権がカイザーに移ってさえいればどうとでもできる。
「有り難いことにセオドリクが消えた以上は、首を斬れと言われてもどうしようもない。あとはお前とアデリナの問題になるが――望むならキアラを迎えても文句を言わせない状況になっているようだが?」
どうするかと視線で問われ、カイザーは迷いなく首を横に振った。
「彼女の心は私にありません。望んだとおりですよ」
愛した人の心は既に他へと向いている。それに対して嫉妬や怒りの気持ちはない。
ただ彼女の心は大丈夫だろうかと、顔色を失くしてぐったりしている姿を思い出し、キアラがいる方向へと無意識に視線が動いた。




