王太子と王太子妃の真実
もう一人の自分を目の当たりにした衝撃はなんとも言い難いものだった。
同じ金色の髪に緑の瞳。戦場で鍛えた傷のある上半身は、鏡を見ているようでいて左右が逆転していないせいで不思議な感覚だ。「これで好きにする理由ができたね」と自分の姿をしたものに語りかけられ、深層に隠した心の声が形となって目の前に現れたような錯覚に陥り唖然とした。
もしこれがほんの少し昔の出来事であったら、好きにする理由に縋って王族としての道を踏み外していたかもしれない。しかしカイザーは、心から愛した女性を幸せにしてくれるであろう存在がしでかした行為に落胆し、またそれに便乗しようとする妻に対して覚めたものの見方をしそうになって慌てて否定し、裸のまま蹲り謝罪する妻の肌を隠すために自らの上着を着せた。
「謀りはいつから始まっていた?」
アデリナの耳元で囁くと、絶望した視線を向けられる。涙に濡れた瞳は翡翠のように美しい光を放っていた。
「なにを仰って……」
「シーツはたった今、あなた自身の手で乱された。情事があったかどうかは調べればすぐにでも判明する」
「カイザー、わたしはあのエルフに騙されて辱めを受けたのです」
何を言っているのか分からないと瞳を揺らすアデリナを、カイザーはとても残念に思いながら見つめた。震える手が縋るように伸ばされ、黙ってそれを受け入れ抱きしめてやると、胸に顔を埋めようとしたアデリナの視線が連行されるセオドリクに向かった。
その瞳は驚きに満ち、全身が怒りを表すかに小刻みに震え出す。
「なぜ首を斬らないのですか!」
「取り調べもせずに殺せと言うのか?」
「当然です。カラガンダの王女であり王太子妃であるわたしを欺き、凌辱したのですから当然ではありませんか!」
王族に危害を加えた者が釈明の余地なく殺されるのはよくあることで、アデリナの怒りは理解できた。しかし本当にことが起きていればの話だ。状況を目視したラシードもこの場で処罰するべきでないと判断したから手荒にせず連行している。
「エルフだから許されるとでも!? こんなことをしておいて生かしておくのですか。カラガンダなら釈明の機会すら与えずにこの場で首を斬ります!」
確かにエルフという点は考慮されるだろう。エルフは人と異なる種族で魔法による能力は人では計り知れない。一人のエルフを処刑することで報復を受けることになるなら、生かして国外追放にするのが一番面倒にならない対処法だが、それが理由ではない。
「ここはいけない。部屋を移る」
何よりもアデリナから「首を斬れ」との言葉が出たのには驚かされたが、現場となった部屋を調べるのに支障をきたすと考え場所を移すことにした。
カイザーはアデリナを抱き上げると別室に移り、僅かな移動の間に気持ちを落ち着けると、人を呼んでアデリナの服を持ってこさせる。体を調べる意味からも、カイザー自らが着替えを手伝った。その間、アデリナは怯えるように視線を彷徨わせ、今にも泣き出しそうな様子をしていた。
服を着たアデリナを長椅子に座らせると、涙に濡れた眼差して隣に座って欲しいと懇願される。一歩引いた距離で様子を窺いたかったが、破綻を望んでいる訳ではないので言われた通りにしてやった。
「カイザー、あなたはわたしを疑っているのですか?」
か弱い女性が助けを求めるように上目づかいに見つめられる。濡れた瞳に、何かに耐えるような頼りない仕草。守りたくなる姿だ。
「事を起こしたのはセオドリクだろう。しかしあなたは、私の姿をした者が私ではないと気付いていたのではないか」
「あなたそのものなのに? 長年あなたに仕える衛兵だって騙されたのですよ。放っておかれて悩んでいた時に誘われて、浮かれて抱かれたわたしに非があるとおっしゃりたいの?」
「非があるとは言っていない」
「でもそのように聞こえます。わたしの言葉を疑い罪を犯したエルフを庇うなら、カラガンダとヴァルヴェギアの友好はお終いになると分かっているのですか?」
アデリナが被害者である状況が揃い過ぎていた。本来ならその場でセオドリクの首を斬って当然の事態だ。しかし他に目をむけると不審な点が見えて来る。
カラガンダの威を借るためには、見えてしまった不審点を無視してしまうのが最も楽な方法だが、カラガンダの後ろ盾を得るのを未来永劫続けるつもりはない。ここで不審点に目を瞑れば、今後もカラガンダの言いなりに事を進めなければいけない事態に置かれてしまうだろう。恐らく、真っ先に奪われるのはたった一人残っている魔力なしのキアラだ。
「あなたには恋人がいたね」
「それはっ――祖国でのことを仰っているのですか?」
否定しようとしたのか言葉を詰まらせたアデリナは、質問を質問で返してきた。
「カラガンダがヴァルヴェギアを探ったように、ヴァルヴェギアもカラガンダを探っている。あなたに恋人がいたのは知っていた」
「だから何だと言うのです。続いている訳ではありませんし、カイザーにだって愛する人がいたではありませんか。今も愛していらっしゃるのは承知しています」
「正直に告白すると確かにそうだ。だがよりを戻すつもりはないし、他に側室をもつつもりもない。わたしはあなたと良い関係を築きたいと思っている。あなたに触れなかったのを不満に思われているのかもしれないが、王族として嫁いできたあなたも人の子だ。亡くした恋人への想いはやり場がないだろう。心に決着をつけるには時間が必要だと考えた」
「時間が必要だったのはわたしではなく、カイザー自身ではありませんか」
秘密を知られていたことに動揺しているだろうに、アデリナは気丈にも睨みつけてきたが、カイザーは静かに頭を振った。
「王族としての役目を果たすため、愛するものと離れる辛さは知っている。だからあなたの心が癒えるまではと遠慮したのだ。だが――」
カイザーは言葉を一度切ってアデリナの瞳を強く見つめた。
過去は過去だ。愛した人の一人や二人いても何らおかしくない。現にカイザーは身を焦がすほどの恋をして、けれど王族としての役目を果たすために別れる決断をした。
アデリナが嫁いでくるまでに密使を放ち調べさせると、カイザーと同じ経験をしたであろう過去が浮かび上がったのだ。しかもその相手は儚くなっているというではないか。そんな王女に親近感を覚え、同じ気持ちを経験した者同士として、互いに尊重し信頼できる関係を築いていけたらいいと願っていた。
愛した人を失った傷が癒えるにはそれなりの時間が必要だろうと、カイザーなりの優しさのつもりで肉体的に夫婦になるのはもう少し先を予定していたが、これに関してはアデリナの指摘通り、キアラへの想いを捨てきれなくて、アデリナの事情を理由に先延ばしにしてしまった気がしなくはない。
そう考えると今回の件はカイザーにも非があるが、アデリナがセオドリクの首を斬れと望んでいるなら、知らぬふりをしてはいけない事柄だ。
「キアラ誘拐の件でミアとオレムをカラガンダに戻した際に、我々は新たな事実を知ることになった」
逃さないと見つめ続けたアデリナの瞳が僅かに開かれる。気取られぬよう慎重に、カイザーの出方次第で何をどうするのが正解なのかを考えている瞳だ。
隠しておきたい秘密は誰にでもある。できれば暴きたくなかったが、人の命に関わる言葉を口にしたアデリナを見過ごすわけにはいかない。
「アデリナ、あなたは出産経験があるね?」
「馬鹿なことを!」
アデリナはカイザーを突き飛ばし立ち上がると、落ち着きなく室内を歩き回り怒りをあらわにする。
「そんな嘘を誰が言ったのです。わたしの名誉を傷つけて何が楽しいの!」
瞳を見開き蒼白になったアデリナは拳を握りしめ、酷く怯えて震えていた。




