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宝物になる日  作者: momo
本編
58/96

愛してくれてありがとう



 声を荒らげるセオドリクを見たのは初めてで、ぼんやりしていた頭が一気に覚醒する。

 怒鳴る声はセオドリクと、そしてカイザーのもの。

 言い合っている内容は、意識を失う前に囚われていた宿屋でセオドリクに囁かれたことだった。


 体が辛くて起き上がることができず、横になったまま、信じられない思いで耳を傾けていたが、セオドリクが部屋を出て行くと一気に静かになってしまった。


 声をかけることもできなくて、耳にした会話を信じられない気持ちで理解しようと試みる。しばらく天井とにらめっこをしていたが、ゆっくりと視線を向けると、茫然と立ち尽くしたカイザーと目が合ってしまった。


 子供のころから一緒にいて、恋をして、ふられた相手。

 とても好きだったが、利用されていたと知って傷つきもした。だけどそれはセオドリクによると偽りで、本当に嘘だったのだろうかと、数か月ぶりに対峙したカイザーと黙って見つめ合い続けてしまう。


「カイザー様、わたし――」


 どうしたらいいのか分からなくて口を開くと、おもむろに寝台の横に寄ったカイザーがその場に膝をついて体を低くした。そして深く頭を下げ、「すまなかった」と謝罪を口にする。


「本当にすまなかった。私は何よりも大切にするべきことを蔑ろにしていたと気付かされた」


 こうして話しかけてくれるのは、カイザーが王太子になると正式に決まって以来だ。いつも見つめてくれた緑色の瞳は優しくて、蔑むような冷たい温度は少しも感じない。

 かつて愛した人が戻って来てくれたようで嬉しかったが、不特定多数の女性との噂があったこと、自身の目で逢引き現場を目撃してしまったこともあって、戸惑いの気持ちの方が強かった。

 何と言葉を返していいのか分からず黙っていると、カイザーの両手がキアラの手を取り包み込まれる。


「私は愚かであった。王族でありながら恋に溺れ、マクベスに背き、その結果、ヴァルヴェギアにとって最も必要とされる兄を死なせてしまった。兄の死に対する責任の取り方は、王族としての役目を全うすることだけだ。私には王族としての使命を放り出す権利も資格もない。だからあのエルフが言ったように、キアラを傷つけて遠ざけた」


 あの日、庭園の東屋でカイザーと貴族の娘が口づけを交わすのを目撃した。お陰でキアラは現実を突きつけられ、カイザーが望んだとおりに傷ついて、同時に関係を続けていくのは無理だと知ったのだ。

 カイザーが貴族娘を見つめる眼差しは冷え切っていて、今思えば情事を楽しむ男の目ではないと思うことができる。未経験のキアラでは想像することしかできないが、少なくともカイザーがかつて向けてくれた眼差しは温かく、慈しんでくれていると実感できるものだった。


 セオドリクが教えてくれたこと、そして今カイザーが告白してくれていることは事実なのか。そうか、これが本当なのかと考えると、キアラからは安堵の息が漏れた。


 キアラの知るカイザーは自分の欲を優先する人ではない。子供のころから自分の立場を理解していて、唯一逆らったのがキアラをマクベスに渡すことについてだけだ。けれどそれは王族としてやってはならなかった我儘で、キアラもカイザーの背に庇われて逃げてはいけなかったのだ。

 カイザーを想うからこそ、当時の王太子であるマクベスに自ら率先して従うべきだった。たとえ結果が悪いものになっても、本来ならそうするべきだったのだ。

 だからカイザーはその責任を取っている。


「わたし、ちゃんと愛されていたんですね」


 愛されて良かったと思う。

 愛した人が偽りではなく、本当の愛で包んでいてくれたと知って、キアラはこれまで苦しんだ気持ちが浄化されるような感覚を覚えた。


 けれど事実を知っても再びカイザーと心を交わすことはできない。

 カイザーはヴァルヴェギアを背負う身であり、カラガンダから妻となる女性を迎えたからだ。もしそうでなかったとしても、今のキアラの心には当時のままの感情は巣くっていなかった。

 今もカイザーが好きなことには変わりはないが、それはもう過去のことになってしまっている。そう確信できるのは、カイザーがキアラの手を握って真実を話してくれたからだ。キアラには燃えるような独占欲やアデリナへの嫉妬はなく、愛されて良かったとの思いと、カイザーにはアデリナと幸せになって欲しいとの気持ちが湧き上がっていた。


「私は君を愛している。だが幸せにできないと、傷付けるのではなく、本当のことを口にするべきだった。私は嫌われることで諦めるきっかけを得ようとした愚か者だ。本当にすまなかった」


 キアラの手を握り締め、額にすり寄せて謝罪するカイザーを見つめ、キアラは「ありがとうございます」と感謝して、久し振りに帰って来てくれた愛した人の存在が嬉しくて、なのにどういう訳か知らず知らずに涙が零れてしまった。

 それを見たカイザーが苦しそうに眉を寄せたので、キアラは違うと首を振って笑顔を向ける。


「悲しいんじゃありません。カイザー様との時間が嘘じゃなかったと分かって、ほっとしているんだと思います」

「すまなかった。本当にすまなかった。キアラのためだと思いながらも、本当は自分を押さえる自信がなかったのだ。だから酷いことをして私の前から消えるように仕向けた。手の届かない所まで行けと放り出した。ラシードに預け、そこで相応しい伴侶を見つけて幸せになって欲しいと願った。そうしたら二度と手を出せなくなるからだ。私は王族としての役目を果たすために、大切な人を犠牲にするような卑怯で愚かな男だ」

「あの時はとても苦しかったです。悲しくて絶望しそうになりました。でも感謝しています。わたしもマクベス様の死に責任を感じていますから。わたしがマクベス様の側にいても結果は同じだったかもしれません。それでも身勝手な理由で命令に背き、多大な損害を招いたのは事実です。わたしもカイザー様も償わなければならなかった。だけどわたし一人では選択を間違えたでしょう。カイザー様がそうしてくれたから、わたしは愚かな女にならずにすみました」


 お陰で王族としての役目を優先しようとするカイザーに縋り付いて、日陰の身でいいからと泣き付くこともできない状態だった。

 愛人になんてなっていたらカラガンダは王女を寄こしてくれなかった可能性もあるし、不利な条件を飲まされることになったかもしれない。愛人が先に身籠りでもしたら最悪だ。弱った国を立て直すためにカラガンダの力を借りるなら、カイザーには一点の曇りもあってはいけなかったのだが、たとえキアラが身を引いても、どこかで再熱してしまう危険もあった。

 カイザーの嘘は愚かだったが、キアラも愚かな娘だ。カイザーの愛が自分に向いているとなれば、身を引き切れずどこかで襤褸を出してしまっていただろう。


「王太子としてカイザー様の選択は間違っていません」


 ただの王族ならまだよかった。しかしマクベスの死でカイザーは王太子となり、国の将来を背負う身になったのだ。惚れた腫れたで妻を選べない。愛人や側室を持つには、正妻となる女性の後ろ盾が大きすぎて国と国との間に亀裂を招く可能性があり避けるべきだ。

 それでも望むなら日陰の身。当時のキアラは望まれたなら身を落としていただろうが、妻のある人と一緒にいても辛い思いをするだけだと想像がつく。

 だからカイザーの選択は間違っていなかった。現状を説明して納得させてくれるのが一番だが、当時はマクベスの死やカイザーの立坊、カラガンダから王女を迎えるなど大きな出来事が重なり過ぎた。その結果がこれなのだ。仕方がなかったのだと今なら素直に受け入れることができる。


「だがキアラを傷つけた。他にもやりようがあったのに愚かだったのだ。傷付け蔑むことで嫌われようなどと浅はかな考えだ。申し訳ない」


 苦しそうに言葉にして頭を下げるカイザーを、キアラは心乱すことなく冷静に見つめることができる。彼は本当に真面目で正直な人だ。愛した人が変わらずに正しい道を進んでくれるならそれでいい。


 この告白が早々になされていたなら状況が変わったかもしれないが、今のキアラは素直に受け入れることができる。与えてくれた気持ちに嘘がなかったと知ってほっとした。復縁したいなんて気持ちもない。今も好きな気持ちはあるが、恋人同士に戻りたいとは思わないし、穏やかな気持ちで考えれば、カイザーに対して男女の愛情がなくなっていると確信できるのだ。


「もう謝らなくて大丈夫ですよ。だってわたし、カイザー様が望んでくれた通り、新しい恋を見つけました」


 キアラの言葉にカイザーは顔を上げる。驚いた様子だったが、相手に気付いたようで一つ息を吐き出してから口を開いた。


「あのエルフの男か?」

「はい」

「エルフは長寿の種族だ、生きる時が異なる。それでも愛しいと?」


 キアラが頷くとカイザーは寂しそうな表情をしたが、すぐに微笑んでしっかりと頷いた。


「そうか。それなら私は君を応援するよ。キアラ、君は自由だ。悔いなく望む人生を歩んでほしい」


 魔力なしが望む人生を歩めるわけがない。しかしカイザーの言葉は、キアラの望みを叶える手助けをしてくれると宣言していた。

 一国の王太子が個人的な感情で貴重な魔力なしに自由を与えるなんてあってはならないことだ。しかしカイザーはキアラの自由を約束してくれている。

 もう充分。その気持ちだけでこの人を愛して良かったと思う。

 キアラは重く不自由な体を起こすと、カイザーに体を向けて座って頭を下げる。


「愛してくれてありがとうございました」


 胸の中で淀んていた感情は消え去り、心が晴れたような気がした。







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