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宝物になる日  作者: momo
本編
57/96

エルフの望み



 カイザーがキアラを想う気持ちを勝手に暴露した。

 これは彼の努力を無にする行為だが、セオドリクはどうしても口にせずにはいられなかったのだ。

 そんな身勝手なセオドリクを、キアラは紫の瞳でじっと見つめていた。

 声は出さず、驚いたような訝しむような堅い顔つきで、ただじっと見つめて。しばらくすると眠る様に意識を失ってしまったので、セオドリクはキアラが死んでしまったのではないかと狼狽えた。

 異変に気付いたロルフが様子を見てくれ、意識がないだけだと教えてくれた。ほっとして涙を零したせいなのかロルフにキアラを奪われたが、ラシードの補佐をする彼には重要な仕事があったお陰で、キアラはセオドリクの腕に戻された。


 そして現在、キアラは騎士団に属する医務室に寝かされている。

 行方をくらましてからの六日間、食べ物を何も口にしていないというのは捕らえたミアから得た情報だ。水だけは飲んでいたらしいが、絶食のせいで体力が落ちているだろうし、生命維持に関わる内臓だけでなく、動くのに必要な筋肉の衰えも心配になる。手足に付いた傷は適切な薬を使って処置しているが傷痕が残ってしまうかもしれない。


 セオドリクは丸椅子に座って、瞼を閉じたキアラをじっと見つめ続けている。

 夜が明け、朝日が昇って日が暮れても、キアラの様子を診に医者がやって来ても場所を譲らず、解けてしまった見た目を隠すための幻覚魔法もかけ直せないまま、まる一日ただじっとキアラだけを見つめていた。


 一度だけ目を覚ましたが、滋養の薬を飲ませると再び眠りに落ちてしまった。

 医者によると安堵と体力の消耗のせいだから命が奪われる心配はないらしいが、そんなことはセオドリクにだって分かっていた。

 それでも心配だったし、何よりもキアラとの別れが近付いていることに消沈して気力がわかない。

 キアラに真実を話したことも、これからやることも、愛する人のためにすべて自分で決めたことだ。

 後悔なんてないけれど、こうしてキアラだけを見つめていられる時間が失われることが悲しくて、暗く沈んだ心は孤独で支配されていた。


 いつまでもこのままでいたい。大切な人の寝顔を見ていたい。けれど自分にはするべきことがある。

 セオドリクはおもむろに首を巡らせ、いつまでたっても部屋に入ってこようとしない男に声をかけた。


「そんなところにいつまで立ち尽くすつもり。王太子ってものは随分と暇なんだね」


 嫌味を言うと、こっそりと様子を窺うばかりだったカイザーがようやく姿を現す。彼の目元にはくまが色濃く刻まれており、キアラを見つめた後でセオドリクに向って僅かに頭を下げた。


「魔力なしの救出に尽力してくれたこと、心から礼を言う」

「僕がやりたくてやったんだから、あなたにお礼を言って貰う理由はない」

「だが、あなたの能力で救出が叶ったことに変わりはない。それにカラガンダとのこともだ。王族専用の隠し通路が知られていたことや、諜報の役目を担っていただろう魔法使いと騎士もカラガンダに送り返す理由を得られた」


 隠し通路は王族が逃げるためのものだ。カラガンダとの関係は友好的だが、これから先も未来永劫そうであるとは限らない。カラガンダの血を引く子が産まれた後、その子を王位につけるためカイザーの命が狙われる危険もある。他国に知られた隠し通路は潰し、新たに作ることになるだろう。


 今回の件にアデリナは直接かかわっていないことが分かっている。主の希望をおもんぱかり、独断で動いたミアの罪だ。キアラを連れ出すために手を貸したカラガンダの騎士オレムも同罪。

 いかなる理由があろうと魔力なしを奪おうとした罪は重い。本来なら極刑に問い首を切られる筈だったが、アデリナの懇願やカラガンダとの今後の付き合いも含め、国外追放処分として身柄をカラガンダに返すことになった。アデリナのために新たな魔法使いや騎士がカラガンダからやってくることもない。


 ヴァルヴェギアは魔力なしを奪われかけたが無事に取り戻した。それだけでなく、内情を国外に持ち出す危険がある魔法使いと騎士を排除することが叶う。隠し通路の件も早々に判明して怪我の功名と言えよう。

 しかしそんなことはセオドリクにまったく関係のないことだ。興味なんて微塵もない。


「そんなことのためにここに来たの? そんなことを言うために、廊下に長いこと突っ立ってたの?」


 セオドリクが問うとカイザーの瞳が揺れた。キアラが心配で様子を窺いながらも、カイザーなりの葛藤があって中に入って来れなかったのは明白だ。


「人間って色々考えすぎるよね。短い人生なのに考えてばかりじゃ何もできなくなるよ。本当に可哀想だ」


 悩むくらいなら何もしなければいい。それでもやりたくて悩むなら、原因をどうしたら排除できるのか考えて、迅速に行動するべきだ。そうしないと百年足らずの時間なんてあっという間に過ぎてしまう。


 セオドリクはキアラの頭をひとなでして「時間はあっという間だよ」と、眠るキアラに優しく語りかけてから腰を上げた。その動きにつられるようにして、今まで閉じていたキアラの瞼が持ち上げられ、美しい紫色の瞳が覗き、ぼんやりとセオドリクを見つめてからゆっくりと瞬きをいくつか繰り返す。


 見つめられるのが嬉しくて、セオドリクは目を細めて穏やかに、女神の如き微笑みをキアラに向けた。

 永遠にこの紫の瞳に映りたいと願うが、叶えることは大切な人を騙し続けるのと同じだ。セオドリクは想いを振り切りカイザーに体ごと向き直る。


「ねぇ王太子。愛する人と一緒なら状況がどうあれ、どんな場所であれ、そんなことはどうだっていいと思わない?」


 思わぬ問いかけに驚いたのだろう。カイザーは怪訝そうに眉を寄せてセオドリクを見つめた。 

 エルフの姿を曝しているセオドリクに惑わされることなく、カイザーは真正面からセオドリクを受け止めている。見た目ではなくセオドリクの言葉だけに目と耳を傾けているのだと分かる態度に、キアラの選んだ男はただの人ではないのだなと、セオドリクは嬉しいような悲しいような感覚に支配された。


「どんな事情があれ、大切なことは相手を思う気持ちだと僕は思う。愛し合うもの同士が別れるとか僕には意味が分からない」

「私とキアラのことを言っているのか?」

「この状況でそれ以外にあると思うの?」

「私はキアラを道具として使っていたのだ。王位欲しさに彼女を利用して、利用価値がなくなったから遠ざけたに過ぎない」

「そういうことにしたいだけだって僕は知っている。キアラの心を傷つけても自分の側に置くよりはましだって、そう思っているのを知っているよ」

「何の話だ?」

「キアラのためを考えて別れたって話。キアラのために悪い態度を取って、キアラの幸せを願って騎士団長に預けたでしょ。僕は知ってるんだ。知っていることをキアラにも話したからね」

「そんなことはない」

「あるよ」

「ないと言っている!」


 執拗なセオドリクに対してついにカイザーが声を荒らげた。


「私は彼女を利用して捨てた。それが事実だ!」

「キアラのために、そういうことにしておきたいだけだよ!」


 セオドリクも負けじと声を上げてカイザーの言葉を否定する。


「あなたは自分が傷付きたくないだけだ。嫌われることで諦めようとしてるだけじゃないか。本当のことを言いなよ、愛してるって。国を背負う男が大切な人に嘘をついて、これから先、何に対して本心を言えるの。キアラが欲しているのは、王妃だとか権力だとかじゃなくてあなたの本心だ。真実を言わなければいけない相手に嘘をついて、苦しめて、それが愛しい人のためになるって本気で思っているなら滑稽以外の何物でもないね」


 何がキアラのためにだ。結局は自分のためにしたことだ。

 キアラが幸せになると信じて、幸せになって欲しいと願う自分自身のために、キアラの心を無視して傷つけた。


「エルフのあなたに私のなにが分かる。迷いなく恋しい人を追い回せるあなたに私のなにが!」

「まったく分からないね。たとえ困難な状況であっても、心が通じ合えるならそれ以上の喜びはない。通じ合えてないのはとても苦しい。その苦しみを大切な人に与えているのは王太子、あなただ。僕は嘘を吐いてまで大切な人を苦しめて、幸せにしようとしないあなたの気持ちなんてちっとも分かりたくないのに。それなのに僕の気持ちが劣っている気分にさせられて最悪なんだよ!」


 滑稽だと口にしたが、ばかばかしい状態に自らを貶めることがどれだけ辛いのか、ようやくセオドリクは理解した。

 都合の悪いことは黙っていればいいのにできない。矛盾した気持ちが大切な人の幸せを願い、葛藤を招くのだと身を持って知ったのだ。

 愛おしむ気持ちを量る道具なんてないのに、相手の気持ちに負けていると感じるのは、大切な人を手放すなんて常識がなかったからこそ強い想いに感じてしまう。自己犠牲による愛の示し方なんて知らなかったのだ。

 セオドリクは爪が食い込むほど強く拳を握りしめ、愛しい人の心を独り占めする男を睨み付ける。

 羨ましくて憎いとすら感じてしまう男もまた、様々な葛藤を抱えているのだろう。乱れた心を表すかに緑の瞳を揺らしていた。


「認めてキアラを幸せにしてよ」


 キアラが幸せになること。

 それだけがセオドリクの望みなのだ。

 自分が一番で自分のことしか考えていなかったセオドリクが、自分なんてどうでもいいと思えるほど強い感情を覚えた女性。

 セオドリクはキアラの幸せだけを願っていた。

 




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