隠し通路
姿を消したセオドリクは、立ち入り禁止である王族の居住地に堂々と足を踏み入れる。
人から見えないからといって体がなくなるわけではないので、気配を消すと同時に、往来する人とぶつからないようにしなければならないのが難点だ。
何しろ相手はそこにセオドリクがいるなんて思いもしないので、好き勝手に動いてぶつかりそうになることもしばしば。それも堅く守られた王太子妃やカイザーの住いがある扉を潜った後には人の数がぐっと減り、ぶつかる心配もほとんどなくなった。
「何かの役に立つかもしれないからちょっと失敬して」
セオドリクはミアを探す前に、カイザーの居室を訪問する。衛兵が守る扉は閉まっていたが、しばらくすると掃除の女たちがやって来たので上手く紛れて入室すると、寝室が掃除されてしまう前に枕に残された目的のものを見つけ、白いハンカチに挟んで懐に仕舞い込んだ。
「僕に変な収集癖はない。これは見つかりそうになった時のための保険」
こっそり拝借したのは金色の毛髪だ。拝借というが、返却する予定はないので泥棒である。誰にともなく言い訳をしたせいで、掃除をしていた女がかがんだまま振り返って首をひねる。セオドリクは口を押えると、こっそりカイザーの寝室を後にした。
アデリナの部屋も同じく掃除中で、部屋の主とミアは庭園を散歩していた。
二人には笑顔も会話もない。離れていても口の動きが読めるのにこれでは何の情報も集められないと焦りそうになるが、これから徹底的に付きまとうので何かしらの情報を得ることができると自分に言い聞かせる。
しかしながら、部屋に戻っても二人の間に会話はほとんどなく、アデリナは刺繍をしたり、本を読んだりと、実に面白みのない時間を過ごしているばかりで、従うミアは主の状態を案じたり、時刻を告げたり、下の者を呼んで用事を言いつけたり、アデリナが食事をする際の毒見をしたりするだけで、二人の間でキアラの話題が上がることは皆無である。
アデリナの入浴を覗くのは流石に失礼かなと思ったが、どんなに小さな情報も逃したくなくて、湯の準備のされた部屋に堂々と侵入すると、壁に背を預けて腕を組み、静かに様子を窺う。
自国から連れて来た、たった一人の同性で身近な魔法使い。主従の関係であってももう少し仲が良くてもいいのではないかと思うが、アデリナとミアの間に親密な関係を窺わせる会話はない。
これはこれでおかしいなと思っていると、泡を含んだ洗い布を持つミアの腕をアデリナが掴んだ。
怯えたような緑色の瞳がミアに向けられる。
「本当に、大丈夫なのよね」
するとミアは、不安な主を宥めるように初めて目元をゆるめ、穏やかに微笑んで深く頷く。
「わたくしはアデリナ様のために存在しています。アデリナ様のためにならないことは一切致しません」
「だから怖いのです。本当に、本当にかかわっていないのですよね?」
念押しするアデリナにミアは再び頷いて、腕を掴まれたまま、アデリナの体を洗い始めた。
「アデリナ様はカイザー様の子を産み、ヴァルヴェギアとカラガンダ両国での地位を強くすることだけをお考え下さい」
「嫁いだ身です。カラガンダではなくヴァルヴェギアの繁栄を望むのがわたしの役目です。キアラのことは理不尽だと思って、それで口を出してしまいましたけど、選ぶのは彼女だと心から思っていました。それよりミア、どうして確実な言葉をくれないのですか。関わっていないと言ってちょうだい。そうでなければわたしは、あなたを失ってしまう不安で押し潰されそうになるのです」
「関わっておりません」
「本当ね?」
「本当です。妃殿下、御背中を洗いますので、体を起こして下さいませ」
アデリナの背に回ったミアは瞬く間に笑顔を消して無表情に戻る。アデリナは納得いっていないのか、眉間に皺を寄せて不安そうなままであった。
会話から察するに、アデリナはミアがキアラ失踪に関わっているのではないかと不安に思っているようだ。先日対峙した際、アデリナばかりが対応してミアに確認すらしなかったのは、追及されて襤褸が出るのを恐れたのかもしれない。
異国に嫁いだアデリナにとって、側に付き従うミアが全てなのか。カラガンダの王女に生まれたアデリナには、彼女にしかできない使命を担っているのかもしれないが、キアラの失踪に関わっているのだとしたら同情する気にもならない。
セオドリクは二人から視線を外して足元に移す。
本当に自分の心はキアラで支配されてしまっているようだ。こんな面倒なことになる前に、信じてもらえなくても告白して、上手く丸め込んでエルフの里に連れて帰ればよかったと後悔しそうになる。
そんなことをしてもキアラは嬉しくないし、セオドリクだって悲しんでいるキアラの隣にいて何もできない自分を責めるだけで終わってしまうだろう。心から愛を囁いても、キアラの心を思うと悲しい。たとえキアラの心を自分に向けることに成功しても、カイザーとキアラが想い合っている事実を知っている限り、キアラを真の意味で幸せになどできないのだ。
愛し合う二人を引き裂いて手に入れても苦しいだけ。
セオドリクは再び顔を上げると、白い泡の湯船に浸るアデリナを見つめた。
アデリナとカイザーの結びつきは、国と国同士の損得で、そこに純粋な愛はない。そんなものに負けなければならない人間はとても可哀想だと、セオドリクは瑠璃色の瞳を潤ませる。
夜も更けアデリナが眠りにつくと、ミアは隣に与えられている小さな部屋に入った。
いつ呼ばれても対応できるように作られた狭い部屋に入るのは、接触の可能性が高く危険なので入れない。
ここまできたのだ、寝息一つ聞き逃さないと扉に耳をつけて様子を窺っていたが、扉に手をかける気配を感じて慌てて飛びのき距離を取ると、ミアが籠を手にして部屋から出て来た。
籠からはタオルや櫛といった身だしなみの道具がのぞいている。どうやら使用人用の風呂に向かうようだ。後を追ったが、気配を消して歩くミアは一度立ち止まると、辺りの様子を窺い道を変えた。
見つかったかと焦ったが、大丈夫だろうか。
念のため距離を取って後をつけると、使用人用の通路を使って別の区画へと向かった。
セオドリクの知らない場所ではあるが、王族の居住する建物から出ていないのは間違いない。セオドリクが迷子になりそうだと考えた所で、ミアは暗く狭い使用人通路から表の絢爛な廊下に出ると、立派な扉が設えられた部屋に入ってしまった。
扉を開けると気付かれてしまうので、耳を当てて中の様子を窺っていると、何かを引きずるような音がしてから静かになった。気配がないが、中にいるのは確かだ。
何をしているのかが気になって扉に耳を押し付けたまま待つが物音一つしない。
半時ほどそのままの状態が続いたが、どうしても中の様子が気になったセオドリクは、そっと扉を開いて中を窺った。
「誰もいない?」
いる筈のミアの姿がなく、暗い部屋に忍び込んだセオドリクは中を歩き回るが、幾つかに別れた部屋の何処にもミアの姿はなかった。
「まさか気付かれて撒かれたとか!?」
エルフは人よりもはるかに優れた魔法を使うが、それに気付かれて逃げられてしまったというのか。この部屋には確かにミアの魔力が残骸として残っているのに、ミアの実態はどこにもない。
ショックを受けたセオドリクはラシードの執務室に慌てて駆け込んだ。
夜も更けているが、執務室にはラシードとロルフがいた。事の顛末を話すとラシードの顔色が変わる。
「そこは恐らく第一王子のマクベスが使っていた部屋だ。あの部屋にはもしもの時に使うために隠し通路がある。王族でもごく一部の者しかしらない通路を、カラガンダが把握しているというのか!」
地図もない、口伝に教えられる、万一の際に王族が逃げるための隠し通路だ。ミアが存在を把握して通路を使っているなら、出て来るのを見張っていても姿を見せなくて当たり前だった。




