キアラ以外に興味ない
嫁いできたアデリナと共にヴァルヴェギアに残ったのは、女官と護衛を兼ねた魔法使いのミアともう一人。今年で三十を迎える騎士のオレム=クローンだ。
ヴァルヴェギアが望みカラガンダから嫁いできたアデリナだが、カイザーの血を引く子を産まなければ意味がない。カラガンダがヴァルヴェギアの後ろ盾になるのは、カラガンダの血をヴァルヴェギア王家に入れるためなのだ。
万一子ができなければカラガンダはアデリナを引き取り、別の王女を寄越すことになる。国と国の結び付きとはこのようなものだ。
オレムはアデリナがカイザーと子を成し、未来のヴァルヴェギア王妃として確固たる地位を築くまでの不特定な期間、ヴァルヴェギアに身を置いてアデリナを護衛する役目を担っていた。
カイザーの妻になったアデリナを守るのは、カラガンダの王族専用の騎士であるが、最も近い場所に身を置くのはミアとオレムであった。
しかしながら異性であるオレムは、アデリナの私的な空間に足を踏み入れることはない。外を歩く際やミアが側に控えることができない時に限りの限定的なもので、危険を避けるためにほとんど外出しないアデリナの護衛に加わるのは、移動時と庭園の散歩くらいのものである。
そのオレムはラシードの管轄する騎士団にて、腕が鈍らないよう訓練に励んでいた。
ラシードに言わせるとかなりの手練れであるらしいが、剣を使わないセオドリクにはかなりの手練れがどの程度の強さなのか理解できなかったし、実力のある騎士を他国で遊ばせておくのは疑問しかない。ヴァルヴェギアに危険が迫りカラガンダが間に合わない時に、アデリナを帰国させるためだと説明されても理解不能だ。人の世界の婚姻は、愛し合ってのみ添い遂げるエルフと異なりすぎている。
昨日の早朝にキアラが消え、魔力を頼りに怪しい人物を探し、幾人かの特定をして、ラシードが必要と定めた者には監視がつけられている。カラガンダ出身の魔法使いであるミアにもだが、昨夜から今朝までの時間に彼女が建物の外に出る姿は確認されていない。セオドリクは徹夜で魔力の持ち主を特定して回ったが、百近い数すべてを特定するにはまだまだ時間が必要だった。
セオドリクはラシードから現在の状況を聞きながら、騎士が訓練する広場に案内される。多くの騎士が鍛錬に励む中、ラシードが「彼だ」と示した先には、訓練場の周りを一人で淡々と走る赤髪の男がいた。
木立の下に潜んで赤髪の男を目にした瞬間、全身に鳥肌が立つような感覚が走ると同時に、周りの木々がざわめいた。きんっと、耳の奥で人ではない声が響き、穏やかだった訓練場に一陣の風が吹いたかと思うと一点に集約され、渦を巻いて走る赤髪の男を包んで消える。
思わず手をついた木立の幹が震える。自然と語り合うことができるエルフだが、確実な声は聞こえない。しかし「彼だ」と言われた気がした。
「彼がオレム=クローンだ」
ラシードの言葉にセオドリクは赤髪の男に視線を釘付けにしたまま、しっかりと深く頷いた。
「昨日感じた魔力と同じだ、間違いない。彼の魔力はミアの魔力と一点で交わってる」
同じ時間、同じ場所で。それもたった一つの場所だけ、ミアとオレムが交わった点があることをセオドリクは正確に掴んで記憶していた。
「同じ場所で交わったのに、互いに来た道を戻ってる。ミアの魔力は強いからしっかりと覚えてるし、オレムのは弱いけど独特なんだ。カラガンダ特有の色なのかもしれない」
オレムの魔力はけして強くないが特徴的だった。ミアとオレム、二人の関係性を教えられたお陰で、セオドリクの頭の中で大量に覚えた魔力の交錯が丁寧に解かれ、二人のものだけが浮き彫りにされ、色濃い繋がりを見せる。
「騎士団長、僕あいつを見張るよ。他の魔力は追わない」
突然の我儘にラシードが何を言い出すのかと眉を寄せた。
「見張りは他の者にやらせる。お前はお前にしかできない仕事があることを忘れるな」
「駄目だよ、見逃すなって言ってるもん」
「誰が?」
「人間には聞こえない声」
「ミアの時には言われなかったのか?」
「建物の中だから聞こえなかったよ」
「セオドリク――」
額に手を当て溜息を吐いたラシードをセオドリクは一瞥した。
「僕は彼を見張るよ。彼だって教えられたのに無視できない。絶対にキアラに関わってる。信じられなくてもいいけど僕がエルフだってこと忘れないで」
エルフだから特別な声が聞こえるし、人間の支配を受ける必要もない。消えてしまったキアラを探すために従っていたが、エルフが優先するのは人が積んだ経験から導き出される声ではなく、自然が与えてくれる恩恵の方だ。
セオドリクはラシードの命令を無視してオレムを見張り続けたが、オレムの日課は単調で、訓練と時折アデリナの護衛に参加する程度で一日を終える。同じ国出身で同じ主に仕えるミアと仕事以外で接触することもなく、何の進展もないまま五日が過ぎた。
キアラが自分の足で城や都、町の検問を通過するとは考えにくいし、魔力なしが要所を通れば確実に気付かれる。連れ出されるとしたら荷物としてだ。しかしあらゆる積み荷を細かに検分しても見つかるのはキアラではなく他の事件ばかり。監視をつけているミアは王族が住まう地域からほとんど出ることなく、出てきたとしてもオレムと業務のやり取りをするほんの短い時間だけである。
怪しいと思われた人間は調べたが何も出てこなかった。既にキアラはヴァルヴェギアの国境を越え、国外に連れ出されているかもしれない。
「キアラが個人的に恨みを買うことも考え対象者を探ったが違った。カラガンダに連れて行かれたと考えるのが最も有力だな」
「キアラが恨みを買うって誰にだよ」
キアラは人から恨まれるような娘ではないと眉を吊り上げたセオドリクに、「護衛騎士の家族だ」と、ラシードはロルフが側にいるにもかかわらず遠慮も何もなく告げる。
「え、ハウンゼル殿なの!?」
「ロルフを疑っているんじゃない、対象にしたのはクラウスを除く護衛騎士の家族だ。魔力なしの護衛担当になったせいで命を失ったと恨んでいる可能性もあるし、その他にもな。当たりをつけたが全員違った。現状から推察するとカラガンダが最有力だ」
「騎士団長はミアが怪しいって思ってるんだよね」
「女が一人でキアラを連れ出すのは無理だ。キアラには魔法が効かないうえに護身術が使える。抵抗は必須だし、意識を失わせるにしても一人では無理だな」
協力者がいるとするならカラガンダ出身の騎士、オレム以外にいないだろうが、この五日間、セオドリクが張り付いているがまったく怪しい節は見当たらない。セオドリクは腕を組んで「う~ん」と声を漏らした。
「人では無理だと思っていたけど、もしかしたら僕と同じように姿を消せるのかもしれない」
「姿を消す魔法はないわけではないが、どんなに優秀な魔法使いでも使えば暫く寝込むことになる。亡き第一王子マクベスが使ったのを一度だけ見たが、その後の状態は酷いものだった。あんな状態でアデリナ妃に侍るのは無理だな」
「僕にはオレムが怪しいって分かってるけど、動きがないからどうしようもない状態だ。ねぇハウンゼル殿、オレムの監視を頼むよ。僕は王太子妃の部屋に忍び込んで、ミアを四六時中徹底的に監視してみるから」
「ちょっと待て。監視を代わるのは構わないが、四六時中姿を消して女性の部屋にというのはあまりにも失礼極まりない」
ロルフが狼狽えるのは当然だ。姿を隠して若い女性の部屋で過ごすとなると、男性では見てはいけない場面が多々出て来る。セオドリクがその度に目を瞑っていると思えないのは、ロルフだけではなくラシードも同意見だ。
「大丈夫。僕はキアラ以外に興味ないから」
「そういう問題ではない」
ミアを疑う証拠があるなら問題ないが、何もない状態でばれたらとんでもないことになる。許可できないと告げたラシードを無視して、セオドリクは「オレムは任せたよ」とロルフの肩を叩くと、二人の前で姿を消して目的の場所を目指した。




