カラガンダの魔法使い
ミアと呼ばれるカラガンダ出身の魔法使い。
女性にしてはすらりと背が高く綺麗な一重まぶたの彼女は、仕える王太子妃より十年上の二十九歳だとロルフが耳打ちしてくれた。
明々と灯された光の中で、無表情のミアは何を考えているのか分からない。セオドリクは彼女を苦手な人種に感じた。
人の世界において、王侯貴族には表の顔と裏の顔があり、上手く使い分けをするのが普通のようだが、セオドリクが彼らの本心を見抜くことは容易い。しかしミアに至ってはとても難しかった。彼女の目や纏う雰囲気からは一切の感情が読み取れず、淡々とした態度は陶器で出来た冷たい人形のようで薄気味悪く感じるほどだ。
キアラが通った場所にミアの気配があった。ただそれだけで、彼女がキアラに何かしたとかの証拠はないし、今の時点では何も分かっていない。
だからミアに問えるのはキアラの所在を知らないかという点だけであったが、ミアとキアラの繋がりを問うカイザーの質問に答えたのは、ミアの主である王太子妃アデリナであった。
「ミアにキアラへの接触を命じたのはわたしです」
「あなたが?」
キアラの行方が分からなくなったと知ったカイザーは、焦りの色を濃くしてセオドリクとラシード、そしてロルフを含む三人の前に現れた。
残されていたのと同じ魔力を探して歩き回るセオドリク先導のもと、カイザーも王族の居住する敷地を共に歩いて、行き着いた先が自らの妃であるアデリナの住まう場所だったのである。
セオドリク以外の三人は、キアラがカラガンダに連れ去られた可能性を強く感じていた。訊ねても当然嘘をつかれると思っていたようだが、接触を命じたと言うアデリナに、カイザーは「あなたが?」と目を見開いて確認する。
「ええ、こちらでの扱いがあまりにも酷いと思いましたので。カラガンダに身を移すなら手を貸すと申し上げました。キアラと会う手配をミアに言いつけたのはわたしです。そちらの方がミアの魔力を感じることができるというのが事実ならその時のものでしょう」
アデリナの緑の瞳がセオドリクを一瞥する。昨日カイザーと歩いた時には穏やかに微笑んでいたのに、男たちを前にして棘を含んだ物言いだ。カラガンダの元王女は、魔力なしを人として扱わないヴァルヴェギアの態度を不満に感じているのは一目瞭然だった。
「キアラは何と?」
「このままヴァルヴェギアで生きていくと。自分を守って死んだ人もいるからと、実に魔力なしらしいお返事を頂戴してしまいました」
戦場でしか生きていけない立場に追い込まれた娘の言葉だと、アデリナは夫であるカイザーをしっかりと見つめて答える。
「カイザー、あなた方はわたしがキアラを連れ去ったと思っているのでしょうけど違います。わたしは彼女の意思を尊重いたしますから、無理に連れて行くなんてとんでもない。懐を広げいつまでも待つつもりでいました。キアラが姿を隠したのが事実なら、昨夜の話で心を動かされ、一人になりたいと考えたか。あるいは自らの意思で旅立ったのかもしれませんね」
行き先は当然カラガンダだと暗に語るアデリナを前に、セオドリクは徐々に焦る気持ちが落ち着いて冷静さを取り戻して行った。
昨夜カイザーと顔を合わせた時は、悔しさと情けなさから感情が渦巻いて逃げ出してしまった。
カイザーはキアラのためだけを考え、自らを貶めて嫌われることを選んだ。それが正しいとは思えないが、自分の欲求を優先したくなるセオドリクからしたら究極の愛の表し方のようにも感じてしまい、とうてい勝てないと唇を噛んだ。
大切なキアラのために何ができるのか。
何もしないで自分のものにしてしまう道が最もいいことなのに、それではカイザーの想いがセオドリクよりも強いと認めてしまうような気持になってしまう。
一番にキアラの幸せを考え行動したカイザーに対して、セオドリクは二人で幸せになりたい。けれどそれでいいのかと迷いが生じ、胸が抉られ苦しくなるのだ。
自分の幸せのために口を噤むのか、卑怯なまま大切な人の側にいるのが正しいことなのか。カイザーが想いを押し込めるのはキアラのためだ。それでキアラが傷ついたままなのは、真実を知っているセオドリク自身がキアラを傷つける片棒を担いでいることになるのではないかと、自問自答の一夜であった。
「キアラは、誰に何も言わずにいなくなったりする娘じゃない」
セオドリクの言葉に、ミア以外の視線が一斉に集まる。
「一人になりたくて隠れても、時間になったらちゃんと出て来る。それは魔力なしだからとか、権力者に従うように教育されているからとかじゃなく、キアラがそういう娘だからだ」
ロルフの言ったように、キアラは勝手に予定を変更したり規則を破ったりする娘ではないのだ。それは魔力なしだからではなく、キアラが人に迷惑をかけるのを望まない娘だから。戦場で命を懸けていたから、自分の身勝手は命に直結しているのを知っているのもあるし、自分のせいで人が死ぬのが嫌だからというのもある。だからキアラは自分勝手に旅立ったりしないし、隠れて出てこないなんてことにもならない。
「ヴァルヴェギアにはキアラの大切な人もいるしね」
セオドリクの視線がロルフを辿り、その後にカイザーをしっかりと捕らえ、最後にアデリナを見据える
「キアラは魔力なしらしい返事をしたんじゃない。彼女らしい返事をしたんだ。綺麗ごとを言っているみたいだけど、あなたはキアラのことを何一つ知らないんだね」
キアラを守って死んだ者の一人に実の兄がいる。名乗りもせずに死んだ人の心を、生きて会えた母親を、そして兄を残して、何も言わずに自分の幸せだけを願うような娘ではない。
勘違いするなとの気持ちを込めて言えば、アデリナはセオドリクに「あなたはどなた?」と胸を張って問う。セオドリクがエルフであることを告げるとアデリナは驚き、後ろに控えるミアの目元がほんの僅かに動いた。
反応を引き出せたことで道を見つけたような気持になる。セオドリクが感じた魔力は昨夜のものではないと口にしようとしたのだが、ラシードが制止をかけるように先に口を開いた。
「妃殿下には夜も遅く時間を作って頂いたことに感謝いたします」
「いいえ、魔力なしが姿を消したのですから当然だと分かっています」
魔力なしがどのような扱いを受けているにせよ、国家にとっては貴重な軍事力であり財産であることに変わりはない。
「それで、ミアの疑いは晴れまして?」
「晴れるも何も、まだ何も分かっていないのです。誘拐された可能性も、妃殿下の言われるように自ら姿を消した可能性もある。キアラの歩いた場所に残っている魔力はミア殿だけのものではなく、途方もない数が存在しています。セオドリクには徹夜で追って貰うつもりです」
「騎士団にはエルフがいると噂では聞いていましたけど本当だったのですね。ただお姿は噂とは異なるようですけれど、魔法を使っていらっしゃるのかしら」
アデリナの瞳が興味を示す色に輝くが、セオドリクは本当の姿を曝す気持ちにはならない。
無表情を貫く魔法使いを追求したい気持ちを抱えたまま、非常識な時間に訪れた王太子妃の部屋を出る。夫であるカイザーは残したままだ。
「あのミアって魔法使いにもっと言ってやりたかったのにどうして止めたのさ」
キアラを探すヒントに繋がるかも知れないのにとセオドリクは腹を立てるが、ロルフに腕を掴まれ静かにするようにと注意されてしまう。
「時間の経過とともに残された魔力が消えることを指摘して、残されたミアの魔力が昨夜のものではないと主張するつもりだっただろう」
灯りが少なく薄暗い廊下で、不気味に口角を上げたラシードに問われ、セオドリクはぶすりと不貞腐れたまま声を小さくして答える。
「そうだよ。あの魔法使いは王太子妃の世話をしているのだから、朝っぱらからキアラと接触する暇なんてないはずだ。隠すなんておかしいって騎士団長にも分かるよね」
「ああ、だからお前の口を閉じた。魔力を追えることをばらしてしまったが、残された魔力が時間の経過とともに失われることまで知られる必要はない」
「昨夜の魔力だと王太子妃がいっていたのを、このまま否定しないってこと?」
残されていたミアの痕跡がいつの時間帯のものなのか分かっているが、時間の特定はできないふりをするつもりらしい。
「昨夜のものではないと否定すれば、警戒して動きを制限するだろう。キアラとは無関係かも知れないが、あのミアとかいう魔法使いが何かを隠しているのは間違いない。キアラの身柄が近くにあるとも思えないが、接触する可能性も否定できないから出入りの際は監視をつける。セオドリク、お前は引き続き魔力の特定にあたってもらうが、先に確認してもらいたい人物がいる」
ラシードが指名した人物とは、アデリナが嫁いできた際に国から連れて来て残すのを選んだミアを含む二人のうち、残りのもう一人であるオレムという名の騎士であった。




