真の目的
ひどい頭痛に吐き気と眩暈。最悪の気分で目覚めたキアラは両手足を縛られるだけでなく、さるぐつわまでされた状態で寝台に転がされていた。
ぐっと奥歯に力を入れて噛み千切ろうとしても口の端が痛むだけだ。真っ暗な中、状況を把握しようと寝返りを打てば足元で金属の音がする。足を拘束しただけなく鎖で繋がれているようだ。キアラは体の辛さを堪えて辺りの様子を窺った。
闇に目が慣れると辺りの様子がはっきりしてくる。
板を打ち付けただけの壁と天井。窓には薄いカーテンが引かれ隙間から同じく薄い窓ガラスが覗いていた。
どうやら安宿のようだ。狭い室内にはキアラ以外の気配がない。
眩暈に加え吐き気も襲ってきたが、どうにか体を起こした。腕の拘束が後ろではなく前なのは有り難いことだったが、足首を探るとロープでしっかりと両足を固定しただけでなく、左足には鉄の輪がはめられ、さほど長くはない鎖が寝台の足に向かって伸びていた。
足首のロープを解こうとしたがキアラの指では結び目を解くことができない。さるぐつわをされているので手首のローブを歯でどうにかすることもできなかった。
何処からどう見ても誘拐だ。
さてどうしたものかと、堅い寝台に転がって考える。
キアラの不在は早々に知れるだろう。魔力なしが姿を消す理由は、己の意思よりも連れ去られたと考えるのが妥当だ。ラシードはキアラが逃げたとは考えないと信じたい。
もし誘拐ではなく逃げたと判断されても追っ手は必ずくるのだが、キアラの場合は魔力がないだけでなく魔法をかけることもできないので、居場所を特定する術がないのが問題だ。
キアラが川に流された時はセオドリクが見つけてくれたが、それは一緒にロルフがいてくれたからに他ならない。
セオドリクはロルフの気配を追うという極めて高等な技術を使ってキアラを探し当てたが、今回のキアラは一人。誘拐犯が誰なのか気付いてくれたとしても、セオドリクが犯人の魔力を知っているかといえば怪しい所だ。
いったいどうしたらいいのか。このままカラガンダにつれていかれるのは嫌だ。ヴァルヴェギアはキアラにとって優しい国ではないが、大切な人が暮らす国であり未練しかない。いくら待遇が良くても誘拐された国に尽くさせられるのは絶対に嫌だった。
身も心も最悪の状態で考えるがいつの間にか眠っていたようだ。
物音で目を覚ますと籠を手にしたアデリナに仕える、キアラを誘拐した女が部屋に入って来た。
彼女を再び目にしたキアラは驚く。
てっきり他の人間に預けられ、かなりの距離を進んでいるとばかり思っていたが違ったようだ。
アデリナに仕える女性がキアラと同時に姿を消したら怪しまれるため、てっきり彼女はキアラを城から連れ出す役目だけを担っていると思っていた。
アデリナに仕える彼女がここに居るということは、恐らく城からたいして離れていない。ほんの少しの安心がキアラに余裕をもたらしてくれる。
「食事を持ってきました。気分は最悪でしょうがなにか食べないと体がもちません。さるぐつわを外しますが、大きな声は控えてください。分かりましたか?」
逆らえば力ずくで黙らされるのだろう。目の前の女がただのお付きではなく、訓練を積んだ戦闘能力がある人間であることを身を持って知っているキアラは素直に頷いた。
「手足の拘束を解くことはできませんので、わたくしがお手伝いいたします」
そう言って籠から取り出したパンが一口大にちぎられ口元に差し出される。
「あなたは誰。いったい何者なんですか?」
「わたくしの名はミア。アデリナ様にお仕えする魔法使いで、女官の役目も果たしております」
「ちゃんと教えてくれるんですね」
「敵意はございませんので。手荒なことを致しましたが、全てはあなた様のためです」
アデリナの好意を無下にしなければ誘拐することはなかったと言いたいのだろう。大した忠誠心のようだが、方向性が間違っているように思うのはキアラの勘違いではないと思いたい。
「わたしカラガンダには行きません。連れていかれたとしても必ずヴァルヴェギアに帰って来ます」
「愛する夫と子が出来ればカラガンダがあなた様の国になります。さぁ、お食べになって」
「あなたに使われた薬のせいで最悪です。食べたら間違いなく吐きます」
「そうですか。分かってはいましたが魔力なしは面倒ですね」
ミアはキアラの口元に持って行っていたパンを籠に戻すと、水筒を取り出してコップに注ぐ。口元に運ばれて僅かに迷ったものの、水を飲まないで脱水を起こしてしまうのは逃げる時の障害になるので口をつけた。
「わたしを連れていると魔法が使えません、かならずどこかで見つかります。その時、立場を悪くするのは妃殿下なのではありませんか?」
「その通りですが、妃殿下のご迷惑になるような仕事は致しませんのでご安心を」
「わたしの不在は知られているはずです。都から簡単に出られるとは思えません」
「確かに有能な指揮官がいらっしゃいますね。お陰で予定変更をする羽目になりましたが、十日もすれば都の警備も緩むでしょう。それまでご不便をおかけします」
ラシードのことだから都を出る人間をしらみつぶしに確認するに違いない。それでも時を長くすれば既に都を出られていると判断するのが一般的だ。捜索する人員にも限りがあるので、可能性のある場所へと人を向けるのは当然。キアラを動かすのは都の警備が薄くなるまで待つらしい。
「わたし、カラガンダに居つきませんから」
変わらぬ無表情のミアをキアラは睨み付けた。
たとえ無理やり連れて行かれても必ず帰って来てみせる。そもそも大人しく連れていかれる気もない。今ここで大声を上げて抵抗しても無駄なのは分かり切っているので、誘拐されるときに体に入った薬が抜けて動けるようになり、逃げ出す好機を逃さないようにするのが賢いやり方だろう。
すると無表情だったミアが、まるで可哀想なものを見るような憐みの眼差しをキアラに向ける。
「あなた様は自分がいかに稀で、大切にされるべき存在であるかをご存じないのです。戦場で命を散らすのが役目だと思い込んでいるだけです」
ミアは水筒を籠に戻すとキアラの手を取り、これまでとは異なり説得するように瞳を覗き込んできた。
「カラガンダでは、可能な限り魔力なし同士で婚姻を結んで子を成します。その理由が分かりますか?」
同族意識だろうか。キアラはよく分からず横に首を振る。
「魔力なしの夫婦から産まれる子供は、魔力なしである確率がとても上がります」
「か、確率?」
何を言っているのか。魔力なし同士で婚姻し、子を成す。その理由が魔力なしを産む確率が上がるからだと、とんでもなく恐ろしいことを口にしたミアに返事ができない。
「産まれた十人のうち一人は魔力なしです。これはいつどこで産まれるか分からない魔力なしを待つよりずっと高い確率なのです。ですが女性の魔力なしは珍しい。カラガンダでも四人中一人しか女性の魔力なしはいません。あなたはとても貴重な、出産可能な魔力なしなのですよ」
力説するかに語るミアの言葉にキアラは絶句して声が出せなかった。
出産可能な魔力なしとは――魔力なしを産ませるためにキアラを欲しがっているとしか思えない言葉だ。アデリナに勧誘された時とは異なる、薄ら寒さを感じる説明にキアラは息を呑む。
「それって……繁殖のためにわたしが欲しいってことですか?」
「誰と婚姻するかの強制は致しません。同族を選ぶのは魔力なしの意思です」
「でも、一番の目的のように聞こえました」
「カラガンダとしては望んでおりますが、決して強制ではございません。現に魔力なしの女性の数は限られています。全ての魔力なしが同じ立場の伴侶を得られるわけではないのです」
それは男性側が多いのでそうなっているだけではないのだろうか。恐ろしい事実を教えられた気がして背筋が凍った。
「妃殿下は、自国からわたしを連れてくるように言い渡されているのでは?」
キアラの問いにミアから冷たい雰囲気が漏れ出す。まるで心外だと言わんばかりに無表情でキアラを睨み、怒りを宿しているようにも見えた。
「妃殿下のお心は純粋なものです。ですがあなた様をカラガンダに向かわせる役目を背負っているのも事実。妃殿下はあなた様が望まぬなら強制しないおつもりですが、それではカラガンダにおいてアデリナ様の立場が悪くなります。わたくしたちはカラガンダでも、ヴァルヴェギアにおいてもアデリナ様の立場を確固たるものにすると誓っているのです。あなた様もお判りでしょう、妃殿下のお優しいお心を。大丈夫、今は恐れしかないでしょうが、カラガンダは魔力なしにとって本当によい所です。あなた様も気に入ると確信しています」
どんな言葉を並べても、アデリナが純粋にキアラの状況を嘆いていたとしても、真の目的は一つしかない。
子供を産む道具にされるなんて絶対に嫌だ。もし産むのを許されるなら――キアラの脳裏に浮かんだのは、屈託なく笑う美しいエルフの青年の姿だった。




