誘拐
昨夜はアデリナに呼ばれたせいで寝不足の状態だ。不安な気持ちもあってなかなか寝付けず、浅い眠りのまま朝を迎えた。
支度をして一番にラシードの元へと向かう。アデリナの好意を告げ口するのは気が引けるが、報告しない選択はできないのだ。
ラシードの執務室へ向かう途中、人気のない場所で不意に腕を引かれ物陰に連れ込まれる。
悲鳴を上げる間もなく背後から拘束され口を塞がれそうになるが、体が勝手に反応して相手の腹に肘を食らわすと、相手からうめき声が漏れ拘束の腕が緩んだ。その隙に逃げようとしたが相手の手が伸びる。掴まれる前に回し蹴りを繰り出すが交わされ、軸足に向かって足払いを受けそうになるのを何とかしのいで背を壁に付け相手を確認する。
「あなたは!」
襲撃の相手は昨夜出会ったアデリナの付き人の女性だ。驚くキアラの首に腕が伸び、慌てて弾いたが腹を蹴られて壁に押し付けられる。衝撃で胃液を吐き出した。
「な、んでっ……」
「妃殿下の好意を無視させません」
女はキアラの口に薬品をしみこませた布をきつく押し当てる。吸い込んではいけないと抵抗するが息が続かない。
「すべてあなたのためですよ。カラガンダはとても良い所です」
誘拐される。これはいけないともがいたが、相手も訓練を受けているようで逃れられない。つんとした刺激が鼻を襲い、途端に眩暈と臓腑が蠢くような気持ち悪さを覚え意識が遠退いた。
キアラが意識を失うと男が姿を現し、手足を拘束して持っていた袋に詰め込む。その後、二人の男女は何事もなかったかに別れると、それぞれの仕事に戻って行った。
それからしばらくして、姿を見せないキアラを心配したラシードがセオドリクを呼びつけるが、そのセオドリクもなかなか姿を見せない。苛立ったラシードは騎士団長自らキアラの部屋を訪問するがもぬけの殻だ。
「ロルフ、キアラの足取りを確認しろ」
「承知しました」
魔力なしは消費されるものであり、虐げられるものであり、嫌厭されるものであり、近付き触れたくないものだ。しかも城内にある宿舎、自ら近付くのはセオドリクやロルフといった少ない者だけ。
「魔力なしの特性に胡坐をかきすぎたか」
ラシードは舌打ちするとセオドリクの部屋を目指す。合図もなしに扉を蹴り破る勢いで押し開くと、こんもりと盛り上がった寝台に目を止め眉間の皺を深くした。
「いつまで寝ているつもりだ!」
掛布を引っぺがすとセオドリクは丸くなって眠っていた。起きないので揺すれば、嫌そうに茶色の瞳を覗かせる。
「僕は考え事で忙しいんだ。今日は休む」
セオドリクは奪われた掛布を取り返すと全身をすっぽりと覆い隠した。ラシードのこめかみに血管が浮き出るが知ったことではないようだ。
「キアラの姿が見えないのだが」
「王太子を眺めているんじゃないの。好きな者同士が引き裂かれるなんて本当に可哀想だよね」
「エルフの頭には恋愛以外の問題は存在しないのか?」
「僕の頭の中は自分のことでいっぱいだよ!」
セオドリクは被っていた掛布を跳ねのけ、噛みつかんばかりの勢いで声を上げて反論した。
「僕は僕のために放っておくべきなのに、それだとキアラが悲しいから駄目なんだ。だけどそうしたら僕の想いは成就しない。好きでもない女と仮面を被って結婚するような騎士団長に僕の気持ちは理解できないよ!」
「お前に私を理解してもらおうなどとは思っていないし、お前の気持ちを理解したいとも思っていない」
「はぁっ!? これまで尽くした僕に対して冷たすぎない!?」
「好いた惚れたの議論に付き合ってられるか。キアラの姿が見えないと言っているだろう」
「キアラは子供じゃないんだから」
「ああ、そうだ。キアラは子供じゃない、立派な魔力なしだ」
「魔力なしってだけでキアラをがんじがらめにして、好きな者同士で結婚もさせてやらないなんて。本当に人間って酷いよね」
「さっきから何を言っているんだ?」
「本当に酷いよねおたんこなす!」
「おたっ……!」
二人して低俗な言い合いが始まるが、間もなくロルフが飛び込んで来て言い合いも終結する。
「キアラが宿舎を出るところまでは目撃した者がいますが、その後の足取りが掴めません」
「え、キアラいないの?」
「だからそう言っているだろう!」
「まさか、世を儚んだりしてないだろうね!」
セオドリクは寝台から飛び出すと確認のためキアラの部屋に走る。ラシードとロルフも後を追い、もぬけの殻になっている部屋の中に立ち尽くすセオドリクを余所に部屋の確認を始めた。
「特に乱れたところや気になる点はありませんね」
「いや、まて。ここに床板を剥いだような痕跡があるな」
床の歪みに気付いたラシードが膝をついて手を伸ばした先、ダンッと音を立てて踏みつけた人の足が阻む。見上げるとむっとした表情のセオドリクが見下ろしていた。
「そこ、僕とキアラの秘密だから暴かないで」
「何を言っている?」
「暴かないで。暴いたら爆発する鍵をかけてもいいんだけど?」
どうする? と視線で問われ、ラシードは仕方なく手を引いて立ち上がった。
「ここにキアラが姿を消したヒントがあるかも知れないではないか」
「ないよ。それよりキアラを探した方が現実的。もしかしたらどこかに隠れて泣いてるかもしれないんだから。さっさと探してあげなくちゃだよ」
セオドリクの言葉に異論と不満はあるが、キアラの行方が知れないのは事実だ。
ラシードはロルフと目を見合わせ、すぐに捜索を始めるよう指示を出した。




