あなたの味方
隣に座ったアデリナの体温を感じる。
キアラは驚きすぎて言葉が出ず、不躾なまでに凝視したが不敬を咎められることはなかった。
「キアラと呼んでも?」
笑顔のように見えるがアデリナの目は笑っておらず、まるで表情が抜け落ちた人形のように感じた。怖かったが、キアラの手に重ねられた彼女の手は温かくて嫌な感じがしない。
「アデリナ様のお好きなまま、なんとでもお呼びください」
「わたしのことはアデリナと」
大国カラガンダの王女を、王太子妃を呼び捨てにできるわけがない。とんでもないと蒼白になって首をふるとアデリナが目元を緩めた。
「カラガンダでは魔力なしの地位はそれなりに高いのです。魔力なしの友人は、わたしのことをアデリナと呼んでくれます」
魔力なしが友人と語るアデリナの視線はキアラに固定されていた。細められてはいるが、威圧感のある翡翠色の瞳に捕らわれた気分だ。
しかしアデリナからは権力者としての威厳は感じ取れるが、是が非でも命令に従わせようとする嫌な雰囲気はない。そのおかげで捕らわれて目を抉ったりされないというのだけは分かった。
「妃殿下――」
「アデリナ、と」
「それはできません」
申し訳ないと謝罪して頭を下げると「仕方がないわね」とアデリナはキアラの手を優しく二度叩く。
「尊厳を踏みにじられて生きて来たのです。同じ人間だから親しくしろと急に言われても戸惑って当然ね」
アデリナは両手でキアラの手を握り込むと顔を突き合わせる。キアラは驚いて首をすくめた。
「カラガンダには現在二十名の魔力なしがいて、特性を生かした仕事をしています。あなたと同じように戦場に立つことも稀ではありませんが、決して強制はしていません」
生まれた側から魔力なしを国のものとして扱い、戦場で役立たせるのは世界の常識だ。しかし世界に名をしらしめる大国カラガンダでは、魔力なしが生まれても国が取り上げるようなことはしないとアデリナはキアラに語った。
「勿論、生活に不自由が生じますから、魔力なしを預かる専門の施設に預ける親がほとんどです。けれど他国のように親子の縁を切らせることはしないし、蔑まれたり軽んじたりされることもない」
「ですが戦場に立つのは同じなのですよね?」
「ええ、そうよ。彼ら自らが望んで。国家に強制されたのではなく、彼らが守りたいもののために」
そんなこと、魔力なしにとっては夢のような話ではないか。
しかしカラガンダの魔力なしはヴァルヴェギアと同じく戦場に立つ。自ら望んでと言うが、思考を操られているのではないのかと疑念が湧き起る。
キアラだって同じだ。
魔力がないせいで普通の人間として生きていけないが、戦場で役に立つから国の所有物とされ生かされている。
逃げたいとか、人権を求めるために抵抗するとかいった考えを持たないように教育されたし、他の生き方を示されることはなかった。そのせいで大人になっても魔力なしとしてしか生きる場所を見つけられない。
狭く囲われた檻の中で死ぬのだ。
それでも死ぬのが怖くて必死で生きていた。
カイザーを守りたくて戦場に立っていた過去は、カラガンダの魔力なしが誰かを守るために自ら望んで戦うのとどの程度の違いがあるのだろう。
友人とか綺麗な言葉を並べても、結局は同じなのではないだろうか。それでもカラガンダの魔力なしは、友人や大切な人を守るために自ら戦場に立つだけましなのだろうか。
「戦場に立たない魔力なしは何をしているのですか?」
「王族の護衛が多いわね。他には引退して余生を送っている者、子育てをしている魔力なしもいます」
「子育て?」
人は愛し合い、結婚して命を繋ぐ。
当たり前のことだが、キアラにとってはあまりにも遠い話だ。まして子育てなんて夢に見た日もないし、側に子供の影すらなかったせいで首を傾げてしまう。
「魔力なしはわたしと違って王族ではなくカラガンダの民です。好きな相手と結婚して子供をもうけるのは当然の権利なのですよ」
王族に結婚の自由はない。損得を勘定して国のために嫁ぎ子を成すのだ。
けれど魔力なしは普通の人だから、恋をして子を成す権利だってあるのだと、アデリナは少し怒ったような顔つきになり、説得するかにキアラの腕を掴んで揺すった。
「わたしたち王族は多くの特権を与えられている代わりに、国のために尽くさなければなりません。キアラ、わたしがいなくてもあなたとカイザーは結ばれることはなかった。あなたが恋に破れたのは仕方がないことよ」
「分かっています。カイザー様とどうにかなりたいなんて思ていませんし、アデリナ様が不快になるようなことも致しません。本当です。それに初めからカイザー様の心はわたしにはありませんでした」
カイザーが王になるために利用されたと知った時は苦しかったが、今は自分が思った以上に穏やかに、冷静に言葉にすることができた。恐らくセオドリクのお陰だ。
キアラはアデリナを不快にさせないよう、表情や声の大きさにも気を使って穏やかに口にする。するとアデリナは瞳を瞬かせたが、「そうなの」と言ってキアラから手を離した。
「少し話が反れた気がしますが……わたしが言いたいのは、あなたには自由に生きる権利があるということです。けれどヴァルヴェギアでは難しい。ここでは死ぬまで自由に生きる権利は与えられないでしょう。だから考えて。カラガンダは喜んであなたを迎えます」
アデリナの言葉が全て事実なら夢のような話だが、キアラは考える間もなく首を横に振った。
「唐突すぎて驚くのは理解できます。今すぐに決断しなくていいのです」
「いいえ妃殿下。カラガンダの魔力なしが自ら望んで戦場に立つのと同じで、わたしにもヴァルヴェギアで守りたい人がいます。だからわたしはこの国で生きていきます」
「それはカイザーに心が残っているからですか?」
「カイザー様はお仕えするべき尊い方ですので、お守りするのは当然です」
「では誰を守りたいと?」
「同じく戦場に立つ人たちです。わたしを守って死んでいった人もいます。彼らと、彼らの大切な人を守るためにできることは少ないですが、簡単に逃げ出すことはできません」
綺麗ごとだが嘘ではないし、母や兄がいるヴァルヴェギアを離れて生きるつもりはないのだ。夢のようなカラガンダの実情を知ってもキアラにとっては見知らぬ世界の出来事で、大切な人たちを捨てる理由にはならない。
「そう、残念です」
「わたしのためにありがとうございました」
「気が変わったらいつでも言って頂戴ね。わたしはあなたの味方です」
アデリナは口を引き結んでキアラをじっと見つめた後、「送って差し上げて」と、キアラをここまで連れて来た女性に命じた。




