勧誘
手をつないだ二人は互いに微笑みあっているようだ。
金色の髪の王女――カラガンダの元王女アデリナは王太子妃となり、カイザーを見上げて何かしら言葉をかけている。妻となった女性に笑みを落とすカイザーの横顔は、キアラの知る優しく穏やかなままだった。
会話をかわす二人の間にはとても親密な雰囲気が流れて仲睦まじそうだ。
数か月前、庭園の東屋で貴族の娘と口づけを交わしていた不誠実なカイザーの影は消え、妻となった女性と穏やかな愛を育んでいる様子を見せつけられる。
あの時は信じた恋人の裏切りを知り衝撃を受けたが、今回は何も感じないことに対して驚きを覚える。
恋は終わり、引き摺っていたのはキアラだけだ。これからは苦しい想いをしなくていいと喜ぶべきだろうし、酷い裏切りをしたカイザーを心の中で見下すことだってできただろう。
けれどキアラの中には何も起きない。
ただ目の前で元恋人が異国から迎えた女性と仲睦まじくしているだけ。それだけにしか見えない、何も感じないことに驚いた。
あんなに好きだったのに何と呆気ないことか。
かつてセオドリクに「期間限定の恋は気の迷い」と言われたが、本当にそうだったのではないかと思えるほど、キアラの心からカイザーは消えてしまっていた。
カイザーを想う気持ちがこんなにも呆気ない、幻のような感情だったのかと驚き、キアラは自分があさましい人間だとすら感じてしまう。
新しい恋をすると、過去の恋心は簡単に消えてしまうのか。
好きだった気持ちに嘘はなかったのに、そう思っていただけで、本当はカイザーへの想いはその程度であったのではないだろうか。だとしたらセオドリクに感じている気持ちも――と、考えていると、カイザーの護衛と目が合う。
見知った彼らが向ける視線はかつてと同じ憐みではなく、王太子夫妻に害をなす者をとらえて離さない鋭利な視線だ。
ラシードによると、嫁いでくる王女にキアラが危害を加えるのではとの声が上がっていたというが、その声は今も消えていないらしい。
逃げるように踵を返すと、少し離れた場所にセオドリクが立っていた。彼は何かを言おうとしたがすぐに口を閉じて痛ましそうに顔を歪める。
どんな顔をしても美麗な人だ。
キアラはどうにか笑って見せようとしたが上手く行かず、言葉を交わすことなくセオドリクを避けてその場を離れた。
その夜、指示された場所に触れて魔法を解除する役目を終えて部屋に戻ろうとしたところへ、王太子妃の使いを名乗る女性に引き留められる。
「王太子妃アデリナ様があなたに会いたいと申しております。ついて来て下さい」
キアラの事情なんて考慮しない権力者の呼び出しは初めてではない。またかと思ったが、キアラには拒絶する権利がないので黙ってついて行くしかなかった。
人目につかないよう忍んで連れていかれた先は王太子妃の居室だ。扉の前には護衛がいて、彼らの守る扉を潜ってさらに二つの扉の先に王太子妃アデリナがいた。
入浴を済ませたのだろう。金色の髪は湿り気を帯び、前合わせのゆったりした衣装を身に付けている。長椅子に腰を下ろしたアデリナの瞳は翡翠のように煌めく緑色で、口元だけに作られた笑みが恐怖を抱かせた。
昼間目にした雰囲気とはまるで違う、下々を支配する権力者の威厳とでもいうのだろうか。
大国カラガンダから嫁いできたのだ。恐らくだがキアラとカイザーの関係を知っているに違いない。カイザーが相手をした過去の女性達もこうして呼ばれたのだろうか。今回はパフェラデルのように裸にされるだけではすまない気がして身が竦んだ。
キアラを案内した女性がアデリナの後ろに控える。キアラはアデリナを刺激しないよう、視線を落として息を潜めていたが、「そこに座りなさい」と言われてその場に腰を落とし、膝と両手をついて首を垂れた。
「顔を上げなさい。わたしは這い蹲えと言っていません。そこに座れと言ったのですよ」
命令されたので顔を上げると、美しい顔を顰めたアデリナが、少し離れてはいるが彼女の正面にある椅子を指差している。
「この国であなたがどのような立場に置かれているのか知っていますが、わたしは魔力なしを人以下に扱うつもりはありません。さぁ、そこに座って。這い蹲うのは止めてちょうだい」
アデリナの言葉に戸惑いながら立ち上がると、命じられた通りの椅子に腰を下ろして、座り心地の良さに驚かされた。
少しばかり距離はあるが、目の前のアデリナが満足そうに頷く。
「昼間、庭園で会いましたね。目は合いませんでしたが、あなたの視線を感じていました」
「申し訳ございません」
本来なら膝をつくべきだったが、あの時は恋が終わっていたと気付いて動転していた。態度を改めるよう指摘されたのだろうが、椅子から降りるのも命令違反になるので座ったまま頭を下げる。
「わたしが憎い?」
「けしてそのようなことは御座いません」
「正直に言っていいのよ。あなたとカイザーが恋人同士だったことは知っています」
「魔力なしに本気になるような人間はいません」
「あら、そうなの。まぁいいわ」
微笑んではいるが感情の読めない目をしたアデリナは、椅子に背を預けるとおもむろに足を組んでキアラをじっと観察している。己の身に起こるであろう辱めを想像したキアラは身を硬くするばかりだ。
「単刀直入に言わせてもらうわ」
カイザーに近付くなとでも言うのだろう。キアラもそうしたいが、魔力なしとしての役目をこなしている時に、偶然見かけてしまう場合はしょうがない。
権力者は戯れだ。カイザーを視線で追えないよう目を抉ってしまおうか――なんて言われるのではと蒼白になるキアラに、アデリナは思いもしない言葉を向けた。
「魔力なしの娘、キアラ=シュトーレン。ヴァルヴェギアに見切りをつけて、カラガンダに身を置くつもりはありませんか?」
驚きの言葉に顔を上げれば、椅子を立ったアデリナが歩み寄る。そしてキアラの強く握り締めた拳に柔らかで温かい彼女の手が乗せられ、驚いたキアラは彼女の手を凝視した。
「わたしはあなたを助けたいのです。カラガンダは他国と異なり、魔力なしを同じ人として扱います。キアラ=シュトーレン。あなたが望むなら、カラガンダはあなたの尊厳を守るために力を尽くします」
嫌悪もなく自然に重ねられた手は艶やかで心地よく、ふと顔を上げると翡翠色の瞳が力強くキアラを捉えている。
思いもよらない態度と言葉にキアラは言葉を失っていた。




