恋の終わり
魔力なしはどこに行っても魔力なしだ。
触れたものの魔法が解除されるせいで、隠れて生きていくにも限度があるし、もともと逃げて生きようなんて気持ちがない。
だからといって思いがけず手にした大量の金貨を散財できる性格でもなかった。
それにこの金貨はハウンゼル家の人たちが家族を奪われた代償でもあるのだから、キアラ一人が手に入れてしまうのはおかしい。けれど返却するのも彼らの気持ちを無下にしてしまうような気がしてできなかった。
そんなわけで金貨は床板を剥いだ下に隠してある。
国から支給されたのではない、キアラだけの持ち物なんて初めてだ。
初めての私物が使いきれない大量の金貨というのは驚きであるが、魔力なしという稀有な存在だからこんなことがあってもいいのかもしれない。
キアラの人生を奪うためにハウンゼル家に与えられた大量の金貨。これが今後キアラを苦しめるに違いないと感じていたのだが……城に戻って一月。意外にもそうならなかったことにキアラは戸惑いを感じていた。
原因は「絶対に幸せにする」と、セオドリクから言われたことがキアラの心に刻み込まれているからだ。
恐らく言葉通りで男女間の深い特別な意味などないのだろうが、もしかしたらと僅かにも期待をしてしまう。
互いに友人という関係を認めているのに、彼が幸せにすると言ってくれたせいで男女の特別な感情を抱いてくれているような錯覚を感じさせられた。
もしそうなら嬉しいと思ってしまいそうになるが、それだけは嫌だとの葛藤も生まれる。
友達ならずっと一緒にいられるが、男女の関係には終わりがある。
人は愛を育んで家庭を築き未来をつないでいくが、魔力なしの生涯はとても短く、そんな期待をしている時間なんてない。
キアラは自分が長生きするとは思っていないし、セオドリクに恋をして辛い思いをするのも嫌だった。
セオドリクは恋に恋をするきらいがある。
過去の恋が真実の恋ではなくて辛いと苦しんでいたが、必ずまた新しい恋に目覚めて、元気で明るく前向きなセオドリクに戻るのだ。
セオドリクが次に誰かに恋をした時、明るい気持ちで話を聞ける自信がキアラにはない。
キアラは今もカイザーのことが好きだが、ふと気づけば恋とは違う感情に変わっていた。
幼い頃から共に過ごして、互いに依存して縋り励まし合った。運良く生き延びたが、毎日が恐怖との戦いで、当時のカイザーが嘘を吐いていたとはとても思いたくない。
あの頃の二人は確かに心が繋がっていたし、互いを思いあっていた。
その思い出を捨て去ってしまう気はないし大切にしたい。カイザーを好きだった気持ちも本物だ。
酷いふられ方をしたが変わらないまま、苦しい想いをかかえて死ぬまで愛し続けるのだと思っていたのに、セオドリクが側にいてくれたお陰で、いつの間にか苦しみは和らいで恋の芽が育とうとしている。
「育とうとしているんじゃなくて、もう育ってしまっているのかも」
キアラは白い息を吐いて灰色の空を見上げる。
幸せにするなんて可哀想な友人に向けた慰めの言葉だ。
セオドリクに恋をしてもいいと言われたが、叶わないとも言われた。
その時は彼の想う人がキアラではないと分かっていて何とも思わなかったのに、今頃になって胸を抉るような痛みを感じるのはそういうことなのだ。
パフェラデルから辱めを受けてみっともない姿を曝したときは、誰にも知られたくなかったのに、セオドリクの前では恥ずかしいという気持ちにはならなかった。
権力者に弄ばれている事実をラシードやロルフに知られたのは嫌だったが、カイザーにすら知られるのが嫌なことだったのだ。なのに屈託なく笑って口先だけの謝罪をしたセオドリクには、どうしてだか知られて嫌な気持ちにはならなかったのだ。
キアラにとってセオドリクは特別な存在だったのだろう。
眩い美貌を持った、けれど子供っぽい自己中心的な考え方をする、素直で正直なエルフ。
キアラが初めて笑顔を見せると、嬉しいと言って照れたように微笑んでいた。
出会ってからずっと、ほとんどの時間を傍らで過ごしてくれた人は、カイザーの他にはセオドリクが初めてだ。
寂しいから側にいてくれた彼に恋をしてしまったのだろうか。
けれど気を使ってくれるロルフに対しては違ったなと、実は兄であった人の姿を思い浮かべようとしても現れるのは笑ったセオドリクばかりで。
灰色の空を見上げていると白い花が舞ったように感じたが、頬に触れる冷たさに雪だと知る。
その時、不意に人の気配を感じて振り返れば、金色の髪をした二人の男女が手をつないで寄り添う姿が目に入る。
それについて何も感じないことに、キアラはやはり恋は終わったのだと実感した。




