金貨
母親というものにどう接すればいいのかキアラは知らない。
そのせいで少しばかりよそよそしくなる時もあったが、ロルフとセオドリクがいてくれたお陰で気まずい瞬間は訪れなかった。
メノーテはクラウスが死んだことを嘆くよりも、望んだとおりキアラを守ったことが何よりも息子のためだと思っているようだ。
キアラからすると、ほんのわずかな時間しか一緒にいなかった娘より、長い時間を過ごした息子の方が大切なように感じるが、母親からするとそうではないらしい。
彼女の感情をいつか知ることができたら幸せだが、魔力なしにそんな幸福は訪れないことをキアラは知っていた。
メノーテはキアラに会えたことを心から喜んでくれたが、必要以上に踏み込んできたりはしない。先の短い身では何も出来ないことや、取り戻した娘が大人になっていることなど様々な事情をきちんと理解しているからだろう。
キアラにとって母親とは憧れで、夢の存在だった。
そんな母親に会わせてくれたクラウス、そしてロルフには感謝の気持ちしかない。
多分――確実にキアラは戦場で死ぬことになる。その時がきても不幸ではないと思えた。
キアラには守る人がいる。
命を懸けてくれたクラウスを初めとする護衛騎士たちの気持ちも然り、取り戻すために奔走してくれた両親や、ロルフにまだ見ぬ彼の妻と子。そして心の奥にある大切な人、カイザー。
カイザーは王になるためにキアラを利用したが、彼と過ごした時間を嘆くのはやめた。生きて来た過去を嘆いてばかりでは、両親や兄たちに顔を合わせるのが申し訳ない気持ちになったからだ。
そしてセオドリク。
彼はキアラにとって初めての友人で、魔力のないキアラを恐れずに触れてくれる人でもある。
エルフ族と魔力なしという、特異な存在同士だったせいでおのずと一緒にいることが多くなったが、短い付き合いの中でこれほど心に入り込んだ人はセオドリクが初めてだった。
セオドリクは何の損得もなく、キアラの側で笑顔を向けてくれる。
前向き過ぎることに呆れることもあるが、嘘偽りない言葉で恋を語る彼はいつだってまっすぐで純粋だ。
短い人としての時間を勿体無いからと急かし、辛い過去に絡み取られているキアラを笑顔で諭すが強制なんてしない。卑屈なキアラに幸せになるべきだと、彼自身がとても幸せそうに教えてくれるのだ。
名実ともに輝いているエルフ。
短い人生だが、彼のように輝いて生きることができるかもしれない。
これから先の時間が決まっているなら、魔力なしだから仕方がないではなく、魔力なしだけれども――と、笑顔で前に進めばきっと幸せだ。
キアラは魔力なしなのに恋をして、友人を得て、決して得られない家族まで持っている。父親には会えなかったが、キアラが持つ瞳と髪の色は父親から受け継いだものだと知れば、体の中に見知らぬ父がいてくれるのだと思うこともできた。
翌日、キアラは明るい気持ちで朝を迎えることができた。
家族と初めての朝を迎え、食事をして、幼い頃の話を聞く。授乳以外は二人の兄がほとんどの世話をして、夜泣きの時には父親が寝ずにあやしてくれたこともあったことや、二人の兄が妹の取り合いに興じた様々な場面。勉強も良くできる方が妹に好かれるからと頑張っていたが、教えるのは自分だと言い争うこともあったとか。
魔力のない子がいて生活に不便があっただろうが、メノーテとロルフはそれについては何一つ苦労を語らなかった。彼らにとってはそんなこと苦労でもなんでもなかったのだろう。
ロルフとセオドリクが猪を狩って捌いてくれたので、キアラとメノーテが台所に並んで肉を焼き、スープを作った。
狭いテーブルを囲んで、体が触れるような距離で会話を楽しむ食事のなんと美味しいことか。
不仲だったロルフとセオドリクの距離がいつの間にか縮まっていて、それに気付いた途端、キアラはおかしくなって笑ってしまった。
楽しい時間はいつまでも続かない。
キアラは国のもので、ロルフはラシードの側に仕える騎士だ。今回の休暇はカラガンダから王女が輿入れして来るのに合わせて与えられただけで、ロルフならともかく、キアラに休みなんてものは存在しないのだから、王女の輿入れに必要な時間が過ぎれば城に戻るのは当然である。
別れは惜しいが悲愴感漂うようなことにはならなかった。
キアラは出発の前に両手のひらに乗る、風呂敷に包まれた箱をメノーテから渡される。
大きさの割にずっしりと重かった。
「これはあなたが持っておくべきものよ。なにか辛いことがあって、どうしようもなくなったら役立ててちょうだいね」
「これは何ですか?」
「その時が来たら開けてみて」
メノーテの瞳が悲しそうに揺れたのは何か秘密があるのだろうか。
キアラは少しばかり不安を感じたが、別れの場所でこれ以上しんみりしたくはない。「ありがとう」と礼を言って箱を受け取ると、かならずまた来ることを約束して馬に跨り帰路につく。
「それ、なんだろうね?」
セオドリクも気になるようで、キアラが持つ箱に興味を示す。当然キアラも気になるのだが、その時が来たらと言われた手前、早々に開けることはできなかった。
「ロルフ様はご存知ですか?」
「それは――私は見なかったことにしてもいいだろうか?」
ロルフは何とも言えない曖昧な表情をして口を閉じる。
なんだか嫌な予感がするが、万一の時に役に立つものには変わりないはずだ。ただロルフは知っているが、知っていることを知られるのは良くないことらしい。
キアラとセオドリクは互いに目を合わせて首をひねったが、箱の中身についてそれ以上の詮索はしなかった。
そして当然――城に戻り一仕事終えたキアラとセオドリクは、二人して風呂敷に包まれた箱を眺めている。
セオドリクは姿を隠してキアラの部屋を訪れ、キアラは迷うことなく招き入れた。
二人しかいない部屋の中なのに、額が触れそうになるほどの距離で顔を突き合わせてこそこそと声を落として話す。
「いったい何だろうね」
「よくない物だったら……その時はどうしたらいいでしょう?」
「ハウンゼル殿が見なかったことにするって言うんだから、あまり良い物じゃなさそうだけど。キアラのお母さんがくれたんだから、爆発したりするような危険物ではないと思うよ」
「爆発……わたしは魔法が使えないから、強力な爆薬って可能性もありますよ?」
どうしようもなくなったらこれ……爆薬を使って敵を倒せと言いたかったのかもしれない。
キアラがごくりと唾を呑みこむと、セオドリクは「まさか」と頬を引き攣らせる。
「素人が火薬を扱うのは危険だし、手に入らないでしょう。ないない」
「そうですね。でも……開けるのが怖いですね」
「もし見つかってまずいものだったら、強力な誰にも解けない鍵をかけてあげるから安心して」
その時がきたら開けろと言われたが、その時まで待てる二人ではない。
母親が授けてくれた、辛いことがあってどうしようもなくなったら役に立つもの。
それが何なのか、事前に知っておかないと使い方を考えることもできない。
何事にも準備が必要だというのは、キアラだけではなくセオドリクだって分かっているし、当然ロルフもだ。ロルフはキアラが早々に開けてしまうことを察してはいるだろう。
「それじゃぁ、開けますね」
「うん、いいよ。もし何かあっても僕が魔法で誤魔化すから任せて」
頼りになるセオドリクを前にキアラは一つ頷くと、手に汗をかきながら風呂敷の結びを解いた。
中は年季の入った古めかしい四角い木箱が。蓋を開けると革袋が詰め込まれていて、箱から引っ張り出すと革袋が形を変え、袋が動いたせいで中からチャリっと音がした。
「え、なに?」
「お金かな?」
セオドリクが、音からしてお金かも知れないとあたりをつける。持ち上げた革袋はずっしりと重く、硬貨がぶつかる音がした。
「やっぱりお金だね。いくら入ってるんだろう?」
国のものであるキアラに給金は与えられず、必要な物はすべて支給されていた。なのでお金とは無縁だが、硬貨の音くらいは聞いたことがある。
確かに硬貨の音に似ていると思いながら革袋の紐を解くと、袋一杯に金貨が詰まっていた。
「うわ、凄い。ハウンゼル家ってお金持ちなんだね」
手のひらに乗る大きさとはいえ、窮屈なまでに箱に詰められた金貨は大変な額になる。キアラは知らないが、この世界では庶民が数年は遊んで暮らせる額だ。倹約すればもしかしたら生涯働かずに生活できるかもしれない、それほどの額。
キアラは大量の金貨を目にして例えようのない悲しみがこみ上げた。
金貨の入った袋をぎゅっと握り締めた後、逃げるように立ち上がったが、眩暈のせいでその場に蹲ってしまう。
取り落とした袋から金貨が零れて床に散らばると、全身から大量の汗が噴き出した。




