人ではありません
会話の内容が聞こえていたのだろう。セオドリクは穏やかに微笑んで「大丈夫」とキアラたちを呼んだ。
天真爛漫とまではいかないが、自分中心な考え方をする無邪気さを持ったセオドリクの「大丈夫」は、少しばかりの不安を掻き立てる。
しかしメノーテに接する彼はいつもと違って思慮深い大人の一面を覗かせもしていた。
「母は、セオドリクに支えられると楽だと言っていた」
「セオドリクさんは医者じゃないって言ってましたよ」
「そうだったな。エルフに奇跡を求めるなんてどうかしていた」
人よりもはるかに優れた魔法が使えるエルフだから、何かしら人知を超えた術があるのではないかと思いたくなる。気持ちは分かるが、もしそうならセオドリクは自慢げに恩を売るのではないだろうか。
これまでのセオドリクを思い返してロルフも同じことを思ったのだろう。小さく笑ってから「行こう」と言ってキアラの手を取り、力強く歩き出す。
手を引かれたキアラは迷う間もなく、あっという間に家の中に入ってしまった。
室内に入ると簡素な台所にメノーテとセオドリクが並んでお茶の準備をしている。
セオドリクの手はメノーテに触れており、やはり彼がメノーテの動きを手助けしているようだ。
キアラはロルフに促されるまま、古い木のテーブルに向かって腰掛ける。長く使われているテーブルに刻まれた傷に時の流れを感じた。幾度か引っ越しをしていると聞いたので、このテーブルに家族の思い出は詰まっていないのだろう。分かっていてもハウンゼル家の痕跡を辿らずにはいられない。
出された茶は決して高価なものではなく、ごく一般的なもので、カップも使い込まれた品。贅沢ではない家に一人暮らし。きっと寂しいだろうなと想像して、根底には自分があるのだと思うと申し訳ない気持ちに陥る。
「母さん、今日は話があって来た」
メノーテの隣に座ったロルフが、彼女を支えるように身を寄せ、緊張した面持ちで口を開く。
と、メノーテは微笑んだまま、灰色の目から涙を流してキアラに視線を移した。
「こちらのお嬢さんを紹介したいのでしょう?」
涙を流すメノーテに、向かいに座るセオドリクがハンカチを差し出すと、メノーテは受け取って流れた涙をそっと抑え、気持ちを落ち着けるように息を吐き出し、笑顔を崩さずに鼻をすすった。
「あなたがお客様を連れてくるなんて初めてのことだもの。それも女の子。結婚したことですら手紙ですませるようなあなたが、妻でもない女の子を連れて来るなんてね」
騎士になって戦争に参加したこともあり、結婚しても妻を紹介してもらえなかったとぼやく。
メノーテがロルフの妻に会ったのは、二人に子供ができた時で、メノーテが都を訪ねてようやくだそうだ。しかもそこにロルフは不在。
戦争に参加している立場ではよくある、ごく当たり前のことであるが、母親としては不満に思って当たり前でもあった。
「仕事がら仕方がないにしても、あなたは大切なことを口にしなさすぎなのよ。わたしはいいけれど、妻や子にはちゃんと口で言わないと、そのうち愛想をつかされてしまうわ。家族は大切にしないと」
親として優しくたしなめ叱りながらも、メノーテの視線はロルフではなくキアラに固定されている。
彼女は分かったのだ、いったいどこから気付いたのだろうと、キアラは緊張から血の気が引くような感覚に襲われた。
「ねぇキアラさん。どうかフードをとって、顔を見せてくれないかしら」
乞われたキアラは、震える手で目深に被ったフードを下ろす。
メノーテは涙が滲んだ灰色の目でじっくり観察すると、幾度も頷きながら涙を拭った。そして最後には何度も頷いて額をテーブルにすり寄せる。
「そう、分かった。分かったわ。どうもありがとう」
罵られるのを恐れながらも、感動的な再会を予想しなかったわけではない。しかしメノーテはキアラの予想に反し、ただ一人で納得して決定的な言葉を何一つ口にはしなかった。
「母さん、彼女は――」
「ええ、分かっているわ。分かってる。ちゃんと分かっているわよ」
ロルフもキアラ同様に困惑気味で、母親の様子を心配して口を開くが、メノーテは「分かっている」と繰り返しながら、最後には正面に座るセオドリクに向かって頭を下げた。
「娘を探すように言ったのはわたしで、息子は関係ありません。まして息子の妻や子も、キアラさんにも何の関係もないことです。どうか罰するのはわたしだけにしてください」
どうやらメノーテは、魔力なしの娘を探していることがばれて罰を受けると勘違いをしているようだ。
それもこれも、同行したセオドリクのせいである。
中肉中背でどこにでもいるような目立たない容姿の魔法使いの青年が、驚くほど丁寧に初めて会う年寄りを案じて優しくしてくれた。
人の好意は嬉しいものだが、魔力なしの娘を取り戻そうとしているハウンゼル家にとって、優しい人たちが偽りなくそうであったかといえば違ったのだろう。
息子と探し出された娘、そこに付き従う青年魔法使い。
メノーテはロルフ一家やキアラの身を案じて、決定的な言葉を言われる前に慈悲を乞うため、セオドリクに頭を下げたのだ。
「母さん、そうじゃない。彼は敵ではないんだ」
「それを信じてどうなったと思っているの」
違うと訂正するロルフに、メノーテは声を落としてはいるが強く否定した。
「信じた隣人に密告されてレオノールを奪われたんだ。それだけじゃない、報奨に目が眩んだ輩にレオノールを探していることを告げ口されたことだってある。しかし彼は違うんだ。気になるところがあるにはあるが、彼女を大切に思って幸せにしたいという気持ちは嘘ではないと……確信している」
ロルフは母親を説得しながらも信頼していると、とても嫌そうにではあるが、セオドリクがキアラを大切に思う気持ちに嘘はないと言い切った。その言葉にはセオドリクも驚いたようで瞳を瞬かせている。
「だけど……人は裏切るわ」
何度も、何度も何度も裏切られてきたのだろう。
魔力なしを出したせいで、ハウンゼル家が幸せには程遠い時間を過ごしてきたのだと思うと、キアラは生まれて来た申しわけなさを強烈に感じて胸に痛みが走った。
胸を押さえるキアラの隣で、セオドリクが「ご夫人」と、メノーテに呼びかける。
「ご夫人、どうかご安心を。私は人ではありません」
セオドリクの告白に、メノーテは何を言っているのだろうと眉間に深い皺を作った。
「私はあなた方を裏切った愚かな人間ではなく、キアラの幸せを願う、嘘を吐かない、正直者のエルフ族なのですよ」
にこりと微笑んだセオドリクの周囲に白い輝きが漏れると、正面にいるメノーテとロルフの瞳が驚きに見開かれた。
その様を黙って見ていたキアラの前で、メノーテの体がかくりと折れ、素早く立ち上がったセオドリクの長い腕が受け止める。
メノーテは麗しいエルフの胸で、病ではなく、エルフの美貌に当てられた衝撃のせいで意識を失っていた。




