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宝物になる日  作者: momo
本編
38/96

母親



 町はずれにある小さな家。

 子供は独り立ちし、夫を亡くして住むには手ごろな家屋。

 その周囲には小さな畑に井戸があり、辺りを見渡せば数件の家がちらほらと建っている。

 女一人が住むには手ごろだが、とても寂しい印象を与える土地に枯れ葉が舞った。

 緊張したキアラの肩に、励ますようにしてロルフの手が置かれる。


「中を見て来るよ」


 ロルフは声をかけてから家の扉を開いて中に消えた。

 落ち着かないキアラは掌に汗をかいていたが、辺りを窺っていたセオドリクに手招きされて足を向けた。


「ねぇキアラ、あれ」


 セオドリクが指を差した先には、古い切り株に腰を下ろして背を向けている小さな背中があった。

 頭には三角巾をしていて、束ねただけの髪は白髪交じりの茶色。

 人の気配を察したのだろう。痩せた肩が小さく動いてゆっくりと振り返る。


「あら、お客さんなんて久し振りね。どなたかしら?」


 五十代前半と思しき女性は、皺の刻まれた目元を優しく細めて素性を問う。その瞳の色はロルフと同じ、そして初めての護衛騎士とも同じであることを思い出してしまい、喉に何かがつかえたようになって言葉が出てこない。


「ご夫人、初めまして。ご子息と共に王都から訪ねてまいりました。私はセオドリク=キルヒ、彼女はキアラ=シュトーレンです」


 流れるような仕草で頭を下げ自己紹介をしたセオドリクの隣で、キアラも慌てて腰を折る。

 すると女性は切り株の上で座ったまま移動して体を向けた。


「まぁ、遠くから来て下さったのね。座ったままでごめんなさい、体を悪くして動くのが億劫なのよ。ロルフも一緒なのね。お構いしたいのだけど、ロルフは家の中かしら?」


 体を動かすのが辛いと言いながらも切り株から立ち上がろうとしたので、歩み寄ったセオドリクが手を差し伸べて彼女を支えた。


「ありがとうセオドリクさん。優しいのね」

「とんでもない。ご子息は直ぐに来ると思いますが、このまま家まで向かいますか?」

「そうしてくれると嬉しいわ。それからわたしのことはメノーテと呼んでちょうだいね」


 名乗った彼女の視線がキアラの後ろに向かうと、「お帰りなさいロルフ」と呼んで目を細めた。


「ただいま母さん」


 ロルフはメノーテに速足で寄ると、セオドリクが支える反対の手を取って腰に手を回す。


「ずっと顔を見せられなくてごめん」

「仕事なのだから当たり前のことよ。生きてさえいてくれたらそれでいいって思っているけど、こうして帰って来てくれて嬉しいわ」

「セオドリク、後は私が。母さん、調子はどう?」


 ロルフの呼びかけにセオドリクが手を離すと、メノーテは嬉しそうにしたが、視線がセオドリクを追っていた。


「変わらないわね。それよりロルフ、あなたじゃなくて、こちらのセオドリクさんに支えてもらうとなんだか心地いいし、とても楽だわ」

「それは光栄です。ご子息に変わってこのまま私がエスコートさせて頂きましょう」


 母親に望まれてロルフは驚きながらもセオドリクに託す。ロルフの問うような視線にセオドリクが穏やかに微笑んで返したので、キアラは魔法で歩みを楽にしてあげているのだろうと察した。 


 キアラはロルフと並んで二人の後ろをゆっくりと歩いた。ロルフは不安そうな表情をしているが何も言わない。


「ロルフ様、セオドリクさんは悪戯したりしませんよ?」


 気付かれないように声を落として囁くと、ロルフは眉を寄せたまま無理して笑って見せた。


「そんな風には思っていない、分かっているよ。ただ母が、前に会った時よりもかなり弱っているふうなので、君のことをどう紹介しようかと。急に不安になってしまった」

「驚いて病状が悪化するくらいなら名乗るのはやめます」

「だが……母にとって君のことだけが心残りなんだ」 

  

 ロルフ個人だけでなく、ハウンゼル家にとっての終着点はそこだろう。

 彼らは魔力なしの娘が生まれたから仕方なく手放したのではない。家族を奪われたくなくて身を隠したが、追っ手に見つかって奪われたのだ。


 奪われてもただ奪われたのではなく、取り戻すことを考えて行動した。

 ハウンゼル家の人々は、可愛い娘を奪われて悲嘆に暮れ、諦め生きていくのではなく、取り戻す決意を持って生きてきたのだ。

 クラウスとロルフの兄弟は魔力なしに近付くための手段として騎士の道を選んだが、時の流れと共に選択するべき道も変えなければならなかった。


 クラウスは護衛騎士としてキアラを守り、生きる術を身に付けさせた。またロルフもキアラに辿りつき、妹である確証を得て母親の元に帰ってきている。


 老い先短い母のために、奪われた娘が生きていると告げたいのだ。

 十八年は簡単に語れる時の流れではない。

 キアラが誰であるかを告げるのは簡単だが、痩せ細ったメノーテが娘との再会をどう受け止めるかをロルフは案じているのだ。


 思い残すことはないと、寿命を縮めてしまうかもしれない。

 キアラには家族がいなかったが、ロルフには妹を取り戻すという信念を持って団結し、強い絆を結んだ家族がいた。父と兄は死んでしまい、残っているのは母親だけだ。その母親が娘を取り戻す目的を果たしたせいで、自然の摂理とはいえ死期を早め亡くなってしまうのは辛いに決まっていた。


「母のためにも言わない選択肢はない。だが……人は気力で生きる部分もある」


 多くの死を見て来たキアラも、死に瀕した人が気力だけで命を長らえるのを見て来たので分かっている。

 瀕死の状態でも目の前の敵を沈めるためや、誰かを守るため。そして生きて家族に会うためになど、理由はそれぞれだが、大量の血を流しても気力だけで両足で立ち、事を成し得る存在であることを知っていた。


 不安になって立ち止まっていると、メノーテを支えて扉を開いたセオドリクが二人に呼びかける。


「二人共どうしたの、大丈夫だからおいでよ」





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