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宝物になる日  作者: momo
本編
34/96

失恋の傷



 ラシード率いる一行は都への帰路にて、町の有力者から労いを受けると、旅の疲れを癒すために彼が経営する風呂を借りることになった。

 久し振りの湯船に女たちは浮き立ち、それはキアラも同じだ。

 魔力なし故に人目を避けて、最後に入浴を済ませたキアラは呼び止められる。


「キアラさん」


 振り返るとユリンが立っていた。

 ユリンの茶色い髪は乾いているが、キアラの黒髪は濡れてだらしなく雫が垂れている。

 風呂の脱衣所には梳かすと髪を乾かすことができる櫛が備えられていたが、魔力なしのキアラでは使うことができない。

 同じ人であってもキアラは違うのだと見せつけられているような、卑屈な気持ちになってしまう。


「少しいいかしら」

「なんでしょうか?」


 髪を簡単に一つにまとめピンでとめながら問うと、薄茶色の瞳が戸惑ったように揺れたが、すぐにキアラと目を合わせた。


「あなた、セオドリクと付き合ってたりする?」

「いいえ。彼とは一緒にいることが多いですが、そんな関係ではありません」


 近頃のセオドリクは少し……いや、かなり不安定な様子だ。

 ユリンのことはセオドリク自身があきらめた結果だが、どうしてそうなったのか本当のところはキアラには分からない。

 あまりに苦しそうなので尋ねることもやめていたが、もしかしたらユリンは、今になってセオドリクに興味を持つようになったのだろうか。もしそうならセオドリクが元気になるかもしれない。


「そんな関係じゃないって言うけど、セオドリクと手をつないだりしてたわよね」

「ああ、それは」


 普通の男女なら手をつないだりしないが、エルフは普通と違うのだろうとキアラは勝手に認識していた。


「魔力なしで何もできないわたしを心配してくれてのことであって、それだけです。今は手をつないだりはしていませんよ」


 濁流に呑まれて命が危ぶまれたのだ。セオドリクは心配してくれただけであると、感情的にならないよう注意深く返答した。


「それは魔法で姿を偽っているからでしょう。魔力なしに触れると魔法が解けてしまうから。まぁいいわ。あなたは魔力なしだから、セオドリクがエルフだって知ってたのよね」

「それは、まぁそうですけど、だからって付き合っているわけではありませんから。彼とは友人です」

「わたし、セオドリクの気持ちに気付いてたのに。エルフだって知ってたら邪険にしなかったわ。今回のことでも活躍したそうじゃない。エルフだなんて、とても重要なことよ。セオドリクはどうして秘密にしたのかしら。ラシード様だって教えて下さらなかったし。あれだけの美貌だから姿を偽るのは分かるけど、彼がエルフだって知っていれば、彼に対する周囲の評価も初めから友好的だったはずよ」


 不満気に漏らすユリンの言い分も尤もだ。

 魔法使いが雇われて軍に入るのだから、もともと軍に属している魔法使いは気分が悪かっただろう。けれど相手がエルフだと知っていれば、彼らが不満に思うことはなかったかもしれない。

 

 けれどセオドリクが立場を偽装して軍に雇われたのはユリンがいたからだ。

 ユリンには見た目ではなく、セオドリク自身を好きになってもらいたかったから。エルフだから駄目とかいいとかではなく、種族を超えて、セオドリクという個人を分かって欲しいと願い、笑顔で自分に正直に心のままを告白し続けていたのに。

 自分自身を見て欲しかったから隠していたのだと喉元まで出かけたが、友人とはいえ、キアラがセオドリクの気持ちを勝手に代弁して良い訳がない。


「ユリンさんは、セオドリクさんがエルフだって分かっていたら、彼の想いに応えたんですか?」

「あんなに綺麗な人に乞われたらほろっとなって当然じゃない?」

「当然って、そうかもしれませんけど……」


 相手の中身が分からない状態では、見た目は重要な部分かもしれない。けれどエルフだと分かっていたら当然とか、邪険にしなかったとか聞いてしまうとがっかりしてしまう。

 キアラはセオドリクが馬鹿にされたような気持になってしまい、胸がむかつく感覚を覚えた。

 勝手な言い分だが、セオドリクがあれほど純粋に望んだ女性なのだから、ユリンにはほんの少しでもセオドリクの気持ちを察して欲しかったと思ってしまう。


「セオドリクさんじゃなくて、エルフならいいってことですか?」

「やだ、怒らないでよ。それにエルフだから付き合えるとは言ってないでしょう。エルフが特別な力を持っているというのは割と知られていることよ。ラシード様の力にもなる。そうと分かってたらわたしだって役に立てたのにと思っただけよ」

「ラシード様の役に立つために、セオドリクさんを受け入れたってことですか?」

「わたしは王家にお仕えしているのだから当然のことだと思っているわ。こう言っては悪いけど、カイザー様だってあなたを利用したのでしょう?」


 見えない刃がキアラの胸にぐさりと突き刺さる。

 顔色を悪くしたキアラに、ユリンは流石に言い過ぎたと思ったのか、申し訳なさそうに眉を寄せると「とにかく」と続けた。


「二人が恋人関係にあるのか知りたかっただけよ」

  

 セオドリクに恋人がいないなら、ラシードの役に立たせるためにエルフである彼を誘惑するのだろうかと思ったが、それは違うと思い至る。

 何故ならセオドリクは初めから特別な魔法使いとして参加していた。偽りだが、素晴らしい経歴を準備していたのをユリンだって知っていたはずだ。

 本当にラシードの為だけなのであれば、その時点でセオドリクへの態度は柔和であってよかったはずだ。

 それがエルフとわかった途端になんて。

 

 腹がたっても文句は言えない。セオドリクがユリンとの関係を望んだときに邪魔になりたくないからだ。

 キアラは口出す勇気のない自分自身にも腹がたった。


 束ねそこなった髪が夜風に揺れて肌を撫でる。冷たくて不快に感じたが、そのまま町の外に作られた野営地に戻った。

 テントにたどり着く前にセオドリクが迎えてくれ、髪から滴る雫に気付いて乾かすのを手伝ってくれる。

 セオドリクが纏う魔法が解けてしまうと断ったのだが、「秘密ね」と言って、姿を消す魔法を使ってキアラのテントに潜り込んで来た。

 今更だ、未婚の男女がとか気にするのも馬鹿らしくなって、キアラはセオドリクの好意を受け入れた。


「あのさ、キアラ」


 後ろに座って髪を拭ってくれていたセオドリクが、恐る恐るといった感じで名を呼んだ。


「なんですか?」

「その……何を怒ってるのかなって思って」

「別に何も怒ってませんよ」

「怒ってるよ。僕、何かしたかな?」 

「セオドリクさんは何もしてませんよ。あ、してくれてますね。ありがとうございます」


 キアラにほんの少しでも魔力があれば魔法で髪を乾かすことができるのに。


「ありがとうって……やっぱり強引だったよね?」

「何がですか?」

「だから……こうやって密室で二人きりになったこと」


 どうやらセオドリクは、強引にテントに入り込んだことを言っているようだ。

 キアラはくるりと向きを変え、セオドリクと顔を突き合わせる。


「わたし、セオドリクさんには何一つ怒っていませんよ。わたしが怒っているように見えるのは、多分……悲しいことがあったからです」

「悲しいことって……まさかハウンゼルに何かされたか言われたかした!?」

「ロルフ様じゃなくて。その……セオドリクさんの良さをユリンさんに分かってもらえなかったこととか、カイザー様のこととか、色々考えると悲しくなってしまったんです」


 国のためなら人の心を利用してもいいというのか。

 キアラだって国の命運がかかっているなら仕方がないと思っていた節があるが、カイザーに自分が利用されたことよりも、ユリンがセオドリクを利用しようと目論んだことに腹が立ち、そして悲しかった。

 涙を零さないように唇をぎゅっと噛むと、眉を下げ、小さく微笑んだセオドリクが綺麗な指でキアラの唇をなぞる。


「ユリンに不誠実だったのは僕の方なんだからどうでもいいよ。だけど、第三王子とのことは――辛かったね」


 乙女の時間は短いのだから忘れろ――と、セオドリクは前と同じことを言わなかった。


「傷がつくから噛んでは駄目だよ」


 セオドリクはキアラが唇を噛むのを止めさせると、とても辛そうに眉を寄せてテントを出て行く。

 その姿を無言で見送ったキアラは、セオドリクが今もまだユリンを好きなのだと思って胸を痛めた。






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