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宝物になる日  作者: momo
本編
33/96

苦悩



 ラシードに言われて、セオドリクはしかたなく魔法で姿を変える。

 既にエルフであることは知られているので無駄なことだが、セオドリクが姿を偽らずに歩き回ると、誰もが視線を向け、釘付けになり、話をすれば己を保てなくなってしまうので仕方がないといえばそうなのだが……不満だ。

 魔法を使うとキアラに触れることができないのでとても嫌だったが、引き離されたり接近を禁止されるよりはましと諦めるしかない。

 こうなると、短時間でエルフの美貌に慣れたキアラは特別な目を持っているかも知れない……とセオドリクは考える。


 運命だと騒ぎ立てないのは浮かれていられないからだ。

 これまで人を好きになったのは、恋をすると決めていたからであって、交流を持って徐々に惹かれていたわけではない。

 エルフが人に恋をすると破滅する――それほど激しい想いがあるのかと憧れて、退屈な日々から抜け出すように人の世界に立ち入った。そしてフェルラとユリンに一目で恋に落ちたが、その恋はセオドリクが憧れから作り出した可愛い子供の遊びのような幻想だったと気付いた。

 まさにセオドリクは恋に恋していただけだったのだ。


 そうして恋とは何であるのか、失いかけてようやく気付いた。 

 キアラのことはいつの間にかであった。

 ユリンに恋をしていたのにいつの間にか忘れて、キアラと語ることに気持ちの重点が置かれていた。

 戦いで功績を上げて好きになってもらう計画もどうでもよくなっていて、キアラが濁流に呑まれた後、ラシードに言われて思い出した位だ。

 その後、自分自身にユリンが好きなのだと言い聞かせたが、心の中はキアラのことでいっぱいで、気持ちに逆らえず魔法を解いて自然に語りかけ、キアラを救ってほしいと願ったほどだ。

 キアラが大きな怪我をせずに助かったのは偶然かもしれないし、ロルフの功績かもしれない。けれどセオドリクは、エルフの願いをこの大地が叶えてくれたのだと思っている。


 エルフとしての力を使ったが、それでキアラが助かったとしても自慢できることではない。

 実際に側にいて命を継いだのはロルフだと分かっているし、キアラが熱で苦しんでいるのを守り、空腹を満たしたのもロルフだ。

 これまでの恋では、ほんの少しでも気を引きたくて自分を主張してきたのに、キアラに恋をした途端、見えない努力を主張しても懐の小ささを露見させるようで言えなかった。

 だから何だ、そんなの望んでいない。守ってくれたのはロルフだ、ロルフが好きだと言われるのが怖くてたまらなかった。

 

 ユリンに恋をしていた時は楽しいことしかなかったのに、キアラを好きだと気付いた途端に辛い恋に変わってしまった。

 ユリンがラシードに恋をしていても、自分に振り向いてくれる日を想像して楽しかった。それなのに、キアラがカイザーを想い続けていることが悲しい。とてつもなく苦しい。そこに楽しいなんて感情はまったくない。そして新たな恋の相手にロルフを選ばれるのが、自分以外を想っているのがとても辛い。

 受け入れてもらえないことを考えてしまうと、とうてい告白する勇気なんてもてなかった。


 しかもカイザーは、キアラを厭うて離れたわけではないとセオドリクは知っている。

 次の王となるカイザーは国のために自分を犠牲にしなければならず、大切なキアラが過去にとらわれることなく幸せになれるように道を開こうとして、大切な女性の心を自ら傷つけるという苦境に耐え、悪役を演じたのだ。

 これをキアラが知ったらどうなるのか。

 本当は裏切られていない、昔も今もカイザーが自分を想っているのだとの事実を、キアラが知ればどうなるだろう。

 カイザーの胸に飛び込んでしまうかもしれない。もしそうなったら――と、セオドリクの心に醜い感情が湧き起こる。


 カイザーの本心を知った当時は、人とは厄介だなと思ったが、口出しするのもよくないと分かっていて放置した。けれど今はカイザーの決断をキアラが知ってしまうのが怖くて怖くてたまらない。


 キアラが知ればどうなるだろう。

 カイザーの側で生きることができないのは理解していても、心では一生想い続けてしまうかもしれない。新しい恋や、ましてセオドリクには見向きもせず、人としての一生を終えるのだろうか。


 本当の意味で人を好きになることを知ったセオドリクは、自分の気持ちをどうしていいのか分からない状態で、カイザーのように愛しい人のために身を引く考えにまでは至れなかった。


「ねぇキアラ、まだ起きてるよね?」


 キアラのテントにぴったりとくっつける形で、自分のテントを設置したセオドリクは、隣のテントに向かって手を忍ばせ、気配はあるが見えない人を探して指をうごめかす。


「起きてるなら僕に触って。テントの中だから人目に触れない。君に触れないと不安でたまらないんだ」


 キアラの側にテントを張る輩はセオドリクだけだが、人に聞かれないように声を押さえて囁く。すると伸ばした指にひやりとした指先が触れる。

 テント越しではあるが目の前にキアラがいるのだと実感して、嬉しさのあまりセオドリクの全身が泡立った。


「起きていますよ、どうしたんですか?」

「君がどこかに行ってしまいそうで怖いよ。不安なんだ」


 セオドリク自身、自分の感情に戸惑っているのだ。

 本当ならこんな弱い自分を見せたくないが、不安でたまらなかったし、奇怪な行動の意味を気持ち悪がられるのも嫌なので本当のことを隠さずに口にした。

 

「わたしのせい、ですよね?」

「えっ!?」


 告白もしていないのに気持ちを知られているのかとどきりとする。こんな弱い自分だとフラれてしまうと焦るセオドリクの手を、キアラがしっかりと握ってくれた。


「国境の橋で、目の前で落ちたりしたからびっくりさせてしまったんですよね。増水した川に呑まれて、わたし自身、生きているのが不思議なくらいです。こういうのってセオドリクさんは初めてでびっくりしましたよね。心配をかけました。ごめんなさい」

「キアラが謝ることじゃないよ」

「でも動転してますよね。あんなに大好きだったユリンさんに、好きだったのは間違いだったとか言っちゃうし。エルフの姿に戻ったのもそのせいでしょう?」

「エルフの姿に戻ったのは、確かにキアラを心配してつい……というか、当たり前のようにやっちゃったというか……でもキアラのせいじゃなくて、自分のためだよ」

「そうなんですか。でも――ユリンさんを諦めたこと、後悔しているなら、もう一度告白してみるのはどうでしょうか。セオドリクさんがエルフだと知って動揺しているみたいでしたが、もしかしたら上手く行くかもしれませんよ」

「ユリンのことはもういいんだ。というか、僕が間違っていたんだ」

「好きになってもらう前にエルフの姿を見せてしまったのは計画通りじゃなかったかもしれませんが、それだけで諦めるというのも違う気がしませんか?」

「キアラ、その。僕は――」

 

 君を好きだと気付いた――とは言えなかった。

 本当に好きな気持ちをようやく理解したなんて、どの口で言えるというのか。


 ユリンが好きだといって沢山の話を聞いてもらったし、妻子あるロルフの不誠実な態度を非難したのはセオドリク自身だ。

 恋に恋していただけで本当の意味での恋を知らず、安易に告白してユリンに付きまとっていたセオドリクが、本当に好きなのはキアラだと言って信じてもらえるとは思えないだけでなく、まさに不誠実ではないか。

 馬鹿にしているのかと思われて、友人としての立場すら危うくさせる行為だ。

 

 セオドリクはテントの向こうに突っ込んだ自分の腕に視線を落とす。

 全ての魔法が解かれているのは、キアラがセオドリクの手を握ってくれている証拠だ。

 二度と触れることができない危険をここで犯すのか。

 そんなことはできないと、セオドリクは恋しい想いを押し止めるためにぐっと奥歯を噛んだ。


「ごめんねキアラ、君と話せて落ち着いたよ」

「いいえ、何でも話して下さい。あの……恥ずかしいんですけど、セオドリクさんは初めてできた友達なんです」

「友達――そうだよね。僕とキアラの絆は特別だよね」


 友達と言われて、それ以上の特別な関係にはなれないのだと突きつけられた気分になって一気に落ち込む。

 それでも初めての友人で、魔力なしのキアラにとっては唯一なのだ。

 そうやって前向きに解釈しようとしても心が痛んだ。

 これ以上話しをしていたら身勝手で醜い本心を悟られてしまうと感じたセオドリクは、名残惜しくはあるが会話を打ち切ることにする。


「ありがとうキアラ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 同じ温度になっていた手が離れると、セオドリクは一つ息を吐いてから、突っ込んでいたテントの下から手を引き抜き、抜いた手の甲にそっと唇を寄せた。





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