邪魔な美貌
野営地に戻るころにはキアラも一人で歩くことができるようになっていた。
森からずっと背負い続けてくれたロルフから離れると、セオドリクがすかさず手をつないでくる。
見上げれば瑠璃色の瞳が不満だと語っていた。
彼はロルフを誤解しているが、魔力なしと家族の関係が世間に知られるのはよくないことなので、キアラはセオドリクの誤解をどうやって解こうかと首をひねったが、まずは迷惑をかけたロルフに謝罪をすることにした。
「足手まといになってしまって申し訳ありません。ここまで背負ってくれてありがとうございました」
「君も私も役目を果たしただけだ」
「勝てたからよかったですけど、早々に落ちてしまって役にたてたとは思えません」
本来なら敵の前に出て真っ先に攻撃を受けるものなのに、橋が崩れて濁流に呑まれたが、矢もいられていなければ大きな怪我もしていない。
「君がいなければ多くの犠牲が出たはずだ。犠牲は必要とはいえ君は生きている。軍としては満足のいく結果だ」
冷たいもの言いに聞こえるが、ロルフが血の繋がった兄と知ったせいで感慨深いものに聞こえてしまう。
キアラには家族の記憶がないせいで、ロルフが兄であると知っても夢心地の気分が抜けず、普通の兄妹のような態度をとることはできないが、優しい眼差しを向けられるだけで嬉しいという感情が芽生え、なんとなく恥ずかしくて俯いてしまった。
セオドリクは不満のようでつないだ手に力を込められる。
「キアラ、騎士団長も犠牲はつきものだって言ってたから、君が死んだって思っているよ。生きてるって分からせてやろう」
「セオドリクさん、わたしのために怒ってくれるのは有り難いですが、そんな風にロルフ様を睨まないで。これが魔力なしの役目だってちゃんと分かっていますから」
「僕はそれが嫌なんだよ。キアラはこの世界しか知らないから当たり前だと思っているけど、悪いのは魔力なしに生まれた君じゃなくてこの世界だ」
悪いのはこの世界――
セオドリクの言葉で、そう言い残して死んだ人の姿が蘇る。
記憶にある彼の顔を覚えていないが、キアラにとっては長兄になる人だ。
キアラを守るために騎士になり、立場を口にしないまま、守り抜いて死んでいった人。
今キアラの前にいるエルフの青年は、あの人と同じようにキアラのために怒ってくれている。
キアラは友人だと言ってくれ、魔力なしの特性を承知で手を握ってくれるセオドリクを見上げた。
怒りを宿した瑠璃色の瞳に恐怖を感じるのは、セオドリクが怖いからではなく、彼がキアラのために何かをして、命を失ってしまうかもしれない恐怖だ。
どうしてだかセオドリクと長兄が重なって見えてしまう。
「セオドリクさん、そんな風に怒らないで下さい。わたしはちゃんと生きています。わたしが生き残るために沢山の人が死んだんです。だから命を無駄にしようなんて思っていません。ただこの現状は、魔力なしとして生まれたからには仕方がないことだと思っています」
「僕が言ったこと覚えてる?」
「セオドリクさんが言ったこと?」
「エルフの世界なら魔力があろうとなかろうと、君は君らしく生きられる」
エルフは長い時間を生きるせいで退屈しているのだ。だから魔法を使って生活するのではなく、人間が無駄と思うような労力を使って生活をしている。
「ねぇキアラ、僕と一緒にエルフの里で暮らさない? 人間の手の届かない場所だから追われることもないよ。妻と子供がいるような男に惑わされたら破滅するよ?」
「あ……えっと。ロルフ様とはそんな関係じゃないですよ?」
「僕には二人の距離が変わってるように見える。命が危うかったんだ、道を踏み外してもおかしくない状況だった。もしかしてもう深い関係になった?」
「なっ、なってません!」
ロルフに失礼だと目を吊り上げれば、セオドリクは親の仇を見るような目でロルフを睨み付けた。
美貌が美貌なだけに凍てつくような視線だ。正面から睨まれたロルフは驚いて硬直してしまっている。
「行こうキアラ。服を着替えないと気持ち悪いでしょう。それに騎士団長には生きてるって報告しないと」
「ちょっ、セオドリクさん!?」
セオドリクが強引に手を引くものだから足を止めることができない。
振り返るとロルフは仕方がないとでも言うかに眉を下げ、小さく手を振ってくれたので頭を下げて別れを告げた。
濁流に呑まれた先の森から軍の野営地まで丸二日かかった。人目を避ける道を選んだが、それでも人目につかずに進むのは困難だ。
必要なくなったからといって姿を偽らなくなったセオドリクの美貌に、すれ違う人が仰天して腰をぬかすなんてことを経験しながらだったが、人の集まる野営地に戻った途端、多くの視線が一気にセオドリクへと向かう。
誰もが遠巻きに様子を窺っていた。
フィスローズとの戦いの時点でエルフの姿を曝したというのは本当のようで、誰もが美しいエルフをセオドリクだと認識しているようだが、混乱させているのも事実だ。
「やっぱり魔法で姿を変えたほうがいいのでは?」
「そうしたらキアラと手をつなげなくなるからやだよ」
「は?」
子供のように拗ねるセオドリクにキアラは瞳を瞬かせる。
どうも様子がおかしいと感じるが、それは自分がロルフと仲良くしているせいだと思っていたのだが、キアラの手を引いて辺りを見渡したセオドリクが急に方向を変えたせいで、キアラは引きずられるようにして連れていかれる。
その先にいたのはユリンだ。
ユリンは迫りくるセオドリクに釘付けで、薄い茶色の瞳をこれでもかと見開いていた。
これまでの態度は一変、嫌味も言葉もなくセオドリクを凝視している。
セオドリクはユリンの目の前で立ち止まると、キアラの手を掴んだまま直角に腰を折って頭を下げた。
「君を好きだと言って追い回したけど間違いだと気付いたんだ。これまでの僕は恋に恋していただけで、君への気持ちは本気じゃなかった。ごめんねユリン」
「いえ、そんな……気付いていただけてなによりです」
ユリンは好きでもない相手にふられる形になっているが、怒るでもなく、瞬きひとつせずにこくこくと首を縦に振って頷くばかり。
冷静になれば公開処刑だが、セオドリクの美貌のせいで誰もが冷静な判断を下せない状況だ。
キアラは、セオドリクがユリンへの恋心を失ったと知って驚き声を失くしていた。
あんなに好きで好きでたまらないといった風だったのにいったい何があったのか。しかもフラれたからあきらめるではない。状況が分からないキアラだったが、はっとしてこれはいけないと頭を振った。
美しいエルフを前にして誰もが正常な状態ではいられないのだ。セオドリクには面倒でも前の姿に戻ってもらわないと――と、考えていると、騒ぎを聞きつけ姿を現したラシードがセオドリクを怒鳴りつけた。
「術を纏え。でなければキアラの側にいることを許さん!」
「エルフって分かっているのに今更?」
「その形がどれ程の影響を与えるか分かっているだろう。とにかく邪魔だ」
「魔法をかけてもキアラと手をつないだらすぐに解けるのに?」
「キアラに触れることを禁じる!」
「嫌だね」
「それならお前は解雇だ!」
ラシードは力ずくでキアラとセオドリクを引き離すと、「横暴だ」と訴えるセオドリクを無視してキアラを見下ろし、「戻ってなによりだ」と無事を労ってくれた。




