妹
非常時だから気にする方がおかしいのだ。ロルフはキアラのために尽くしてくれているだけで――そう思っても逞しい男性の腕の中はちっとも落ち着かず、キアラは体を硬くして戸惑う。
しばらく無言が続いたが、頭上で小さく息を漏らしたロルフがゆっくりと口を開いた。
「私には妹がいたと言ったのを覚えている?」
「先日、そのような話を聞きましたね。生まれてすぐに亡くなったと」
国境に到着する前の朝食の席で聞かされた。他にも話があると言われたが、そのままになっていたのを思い出す。恐らく話の続きをしようとしているのだろう。キアラは少しだけ体の強張りをゆるめた。
「そう、死んでしまったんだ。だけど……」
口籠ったロルフだったが、辛そうに眉を寄せたかと思えばキアラの背をゆるりとなでる。
「不躾なことを聞くけど、君の腰の下辺りには痣があるのではないかい?」
「痣ですか? 痣なんてありませんが」
「自分では見にくい場所だから、気付いていないだけかもしれない。その……私に確認させてくれないだろうか」
「ロルフ様!?」
さすがに驚いてキアラはロルフの膝から飛びのいた。
ロルフはあっさりとキアラを開放したが、手はすぐに届く距離だ。キアラを見つめる瞳は焚火の光を受けて揺らめいている。
「とても小さな、天使が羽を広げたような可愛らしい痣なんだ。どうか……」
「痣なんて……」
そんなものはないと言いかけたキアラであったが、しばらく前にテヘラゲート公爵家でラシードの婚約者であるパフェラデルに指摘されたのを思い出した。
蝙蝠のような奇妙な痣があると。
言葉を止めたキアラの様子に、察したロルフが「あるんだね?」と確認する。
「自分では知りませんでしたが、先日パフェラデル様に蝙蝠のような痣があると言われました。決して天使ではありません」
「見せてはくれないだろうか?」
「さすがに嫌です。ロルフ様、いったいどうしたんですか?」
眉を寄せ懇願するロルフはどこか寂しそうで、今にも泣き出しそうにも見えた。それでも肌を見せろと言われてキアラは戸惑い逃げ腰だ。
「妹には天使が羽を広げた痣があったんだ」
「妹さんは生まれてすぐに亡くなったんですよね?」
「これは――正解でも間違いであっても他言しないでもらいたいのだが。妹は――一歳の誕生日を迎える前に国に奪われたんだ」
苦しそうに吐き出された言葉に、キアラは声なく「え?」と口を開く。
他言無用、国に奪われた――というのはどういう意味なのか。
死んだ妹と同じ痣を求め、恥も外聞も捨て、不躾にもキアラに見せて欲しいと懇願するのはいったいどういう意味なのか。
「ロルフ……様?」
自分に関わる大きなことがありそうな予感に、鼓動が強く胸を打つ。息苦しさを感じて胸元をぎゅっと掴んでロルフと正面から見つめ合った。
「私は君に近付きたくて護衛騎士になった。私が国に奪われた妹を探しているのはラシード様しかご存じない。私がしていることは国の方針に背く行為で、誰にも知られるわけにはいかないんだ」
「奪われたのは、魔力なしの妹さん?」
恐る恐る問えば、ロルフはしっかりと頷く。
「私達にとって大切な家族だ。死んだとして墓まで作らされたが、父も母も、兄も私も家族皆があきらめきれなかった。妹は今も生きていると信じている」
決意を秘めた視線はとても強く、キアラは呼吸が早くなって息苦しさを感じたが、目を逸らすことができなかった。
魔力なしは生まれた瞬間に家族から引き離されて国のものとされるのだ。
家族が抵抗しても問答無用に引き離される。恐らくだが、抵抗を続ければ最悪命を落とすことになるだろう。
「魔力なしは生まれてすぐに家族と引き離されます。一歳の誕生日前まで一緒にいることなんて不可能です」
魔力がないことは、出産時に産婆が真っ先に気付くのだ。魔力なしが生まれるのは滅多にないことだが、珍しいだけに生まれたら大騒ぎになる。
産婆の手を借りずに生まれたら話は違うが、秘境で他人のいない場所で産まない限りはどこかで露見するのが常である。
「両親は迷わなかったよ。私たちは従順なふりをして、生まれたばかりの妹をつれて家を捨て、名前を変えて生活していた。けれど追っ手は執拗だった。もうすぐ一年という所で見つかってね。私たち家族だけではない、匿ってくれた人たちの命も取ると脅されたら手放さない訳にはいかなかったんだ」
ロルフは掌を見つめた後、とても悔しそうにぐっと力を込めて握りしめた。
「歳が離れているだけに、可愛くて可愛くてしょうがなかった。私達は命に代えても妹を守ると決めていたのに、結局は守れなかった。だから私と兄は妹を守るために騎士になったんだ」
ラシードの理解があるとはいえ、ロルフがしているのは国に背く行為だ。もしキアラが報告すればただではすまない。
キアラは早鐘を打つ胸元を握りしめたまま、ゆっくりとロルフに背を向けた。
そんなことがある訳ないと思う。けれどもし――と、緊張で熱がある体に冷や汗が伝う。
無言で背を向けたキアラの背にロルフの手が伸びた。
気配で下着を掴んだと分かったが、そのまま動かない。
彼にも葛藤があるのだと感じたが、やがて持ち上げられ外気が触れると、背後でロルフが息を呑むのが分かった。
そのまま食い入るような視線を感じたが、しばらくすると下着が元の位置にもどされ無言が続く。
キアラは耐えられなくなり振り返ると、ロルフが声なく泣いていた。
「ロルフ様?」
窺うように名を呼んだ途端、ロルフの腕が伸びて力任せに抱き締められる。
「キアラ、君は――!」
ロルフはキアラの肩に顔を埋めると嗚咽を漏らした。




