酷いとは言わない
種族が違っても、女性のテントに男性が入るのは問題だと知っている。
当然、今回はただの冗談で、ロルフに対してキアラが経緯を説明しようとしたが、セオドリクは先に口を開いてその発言を止めた。
「そういうあなたこそ、妻子がありながらキアラに良からぬ想いを抱いているのではありませんか?」
「なっ……私は!」
「言葉に詰まるってことは、そういうことですよね?」
セオドリクは腕を組んで、胡散臭いものを見る目をロルフに向けた。
護衛騎士でただ単に面倒見がいいだけならいいが、ロルフから感じるものはそれだけではない。
二人の関係が気になるならユリンに探りを入れさせるのではなく、自分で直接確かめればいいことなのに、やり方が気に入らなかった。
人よりはるかに優れた能力を持つセオドリクは、ロルフが常にキアラに視線を送っているのを知っていた。
ロルフは護衛騎士であると同時に、ラシードの側に仕える優秀な男だ。そっちの仕事が最優先である筈なのに、貴重な魔力なしを守る理由にしては少しばかり大げさではないかと違和感を覚えていたのだ。
セオドリクはキアラのことを気に入っている。
一緒にいて苦にはならないし、何よりもセオドリクの話を嫌な顔をせず、永遠に聞いてくれるような人間なのだ。
大抵の人間は面倒になって途中で話を逸らしたり、自分の仕事に戻ったりと適当にあしらうものだが、キアラは特殊な体質のせいで人にあてにされずやることはほとんどない。それが理由だとしても、どうあれセオドリクにとってキアラの隣は居心地が良かった。
そんな訳で、妻子ある男に弄ばれる様を見過ごすような不義理はしない。
どちらにしても戦場で女は珍しい。魔力なしでもない限り女が男に混じって戦いの場に立つことはなく、それだけ目立つということだ。
基本的に魔法使いは魔力なしに近づかないし、魔法を込めた守りを身につけている騎士も必要以上に接触することはしない。
特にキアラはラシードの軍では新参者で、気の置けない相手がいないのだ。だからセオドリクやロルフが話しかけるだけでも目立ってしまう。
そもそも魔力なしというだけで注目の的だ。
自分が一番なセオドリクだが、魔力がなくて男に振られたキアラを可哀想な存在として位置付け、傷つけないようにしてやろうという程度には大切に思っている。……いや、話し相手として失いたくないほど、とてもとても大切だ。
「彼女は貴重な魔力なしだ。気にするのは理解できますが、あなたはその領域を超えていないと言い切れますか?」
闇の中、少ない光を集めた瑠璃色の瞳が鋭い光を放つ。
それは魔法で姿を変えていても伝わったのだろう。怪しい輝きを放った瞳にロルフは一瞬目を細め、一歩後ずさると無意識に剣に手をかけていた。
「それに王子は、妻子あるあなたをキアラの相手として絶対に認めない」
「王子? ラシード様のことならば、私は彼女の護衛として認められている」
「へぇ、知らないんだ。まぁそうでしょうね。知られたら意味がない」
「なにを言っている?」
ロルフも、フラれたキアラ自身も、カイザーがどのような決断をしたのか知らないのだ。
人の世界の理では、叶えてはいけない恋だったのだろう。
キアラのためにと決断したらしいが、キアラを傷つけている矛盾に納得は行かない。しかし当事者であるあの王子が決めたのなら、セオドリクは余計なことは口走らない。
大切な友人が、過去の恋人に捕らわれ続け、短い乙女の期間を無駄にするのは勿体無いとも思っているから、セオドリク自身も教えたくなかった。
セオドリクが口を閉じた所で、キアラが口を挟んで言い訳を始めた。
「ロルフ様、セオドリクさんは汚れた服の始末を請け負ってくれただけです。わたしが手間取っているから急かしただけで……彼は魔法使いですよ。わたしに触れて被る被害を想像したら、ロルフ様の考えるようなことになる筈がありません」
普通の魔法使いなら、特別で難しく厄介な魔法を己にかけている場合が多い。それを再びかけ直す苦労を想像すると嫌になることもあるだろう。
しかしセオドリクは人ではなく、魔法の扱いに長けたエルフだ。魔法をかけるのなんて息をすることに等しい。
そうと分かっているのに、必死になって言い訳して守ろうとするキアラの何と好ましいことか。
セオドリクは「これだから好きなんだよね」と心中呟いて、己に向けられる気遣いに頬が緩みそうになった。
キアラは二人の間に陣取るとその場で腰紐を解き、酒の匂いを放つ重ね着したチュニックをさっと脱いでセオドリクに差し出す。チュニックを脱いでもワンピースの上に重ね着しているので問題はない。
「よろしくお願いします。濡らさなくても綺麗にできるなんて、セオドリクさんの魔法は本当に便利なんですね」
言葉にセオドリクが何をしようとしたのか説明も加えつつ、少し不安そうな視線が送られていた。
セオドリクは笑って受け取ると、その場で広げて濡れた個所を確認する。
「まさかここで脱ぐなんて思わなかったよ。これは私ではなくハウンゼル殿のせいだ」
裸や下着姿にならなくても、女性が人前で服を脱ぐのは褒められたことではないのだ。
責められ、はっとしたロルフが辺りを見回すと、二人の声を聞きつけて戻っていた男たちが様子を窺っていた。
慌てたロルフは「すまない」と謝罪してキアラをテントの中に押し込んだ。
セオドリクはその様子を横目で見届けてから手にした服を広げる。
軽く振って適当にたたんだ後、手の上でぽんぽんと布を叩いて再度広げ、乾き具合を確認して鼻を寄せた。
「うん、臭いも消えた」
セオドリクは「できる魔法使いだ」と心内で自画自賛しながら、乾いたチュニックをテントの中にいるキアラに差し出した。
受け取ったキアラがセオドリクと同じように鼻を寄せて確認する。
「本当に乾いているし、お酒の臭いもしません。セオドリクさん凄いです!」
不満を持って駆け付けたロルフも、洗濯を魔法だけで済ませた様に驚きを隠せないようだ。
「君の役に立てて良かったよ。さて、私はもう戻りますが、ハウンゼル殿。あなたも用がないのなら主の元に戻られてはいかがですか?」
騎士団長はあちらですよと、セオドリクはわざとらしく喧騒を指し示す。
見下すような不遜な態度は挑発のあらわれだが、ロルフが挑発に乗ることはなかった。
「そうだな、人の目も戻ったことだし私は行くとしよう。キアラ、騒がしくしてすまなかったが、案じる故の失敗と受け止めてくれれば有り難い。それから君に話があったのだけどまた今度にするよ。周囲には人がいる、何かあったら声を上げる様に。いいね?」
何かあったらに、セオドリクを含んだ言葉であることは否めない。
踵を返して去って行くロルフの背に、セオドリクは呟く様に問いかけた。
「妻子がいるくせに、よからぬ想いは否定しないんだ」
「ロルフ様に失礼ですよ、そんな言い方しないで下さい」
護衛騎士という存在は魔力なしにとって特別なものだ。彼らがキアラをどのように思っていようと、命を守り、同時に奪う存在でもある。
馴れ合うには不適切な、けれど拒絶できない相手であることは変わりない。
自分を殺すかもしれない相手に対してキアラは普通に接している。
セオドリクはキアラにとって、彼と自分が同じ位置なのかと感じて少しばかりむっとしたが、顔には出さずに明るく口を開いた。
「あいつ絶対キアラのこと狙ってるよ。魔力なしだから何もできないと思って付け込む気だよ。何かされても悲鳴を上げるくらいしかできないんだから、警戒心を失くしちゃだめだよ」
「ロルフ様は気を使ってくれているだけですよ。だけど、心配してくれてありがとうございます。服も……こんな風にしてくれた魔法使いはセオドリクさんが初めてです」
嬉しいと、はにかんだキアラの様子に満足したセオドリクは微笑み返す。
「役に立てて僕も嬉しいよ」
エルフと知って変わらぬ対応ができる人間は少ない。
キアラの存在はセオドリクにとっても本当に嬉しいものなのだ。
この幸薄い特別な存在は自分の価値に全く気づいていない。その考えを取り上げたのは、魔力なしを利用する人間たちだ。
セオドリクは笑顔の下で、悪意ある人々に「愚かな人間め」と悪態を吐く。
魔力なしを、キアラを役立たずと思わせることで好き勝手に利用して、簡単に命を捨てさせるのだ。
貴重性に気付いていながら認めようとせず、役立たずと洗脳して、無駄に命を捨てさせている。酷いことだが、キアラに言っても心を痛めるだけと思い、「酷い」との台詞は声にしなかった。




