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あやかし専門学習塾・結 ~女子大生と半妖の狼~  作者: 貴堂水樹
第四章 妖魔

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20/33

1-1.

 雪乃が家政婦兼『結』の講師として働き始めて一ヶ月。円の体調は目をみはるほどの回復を見せた。

 雪乃の作る簡素だが栄養バランスの取れた食事を、円はぱくぱくとよく食べた。母の櫻子は亡くなるほんの少し前まで元気に台所に立っていたそうで、体力低下の主な原因は食生活にあったことがわかった。

 口には出さないけれど、つらかったのだろうなと雪乃は心の中で思った。父である狼のあやかし・八雲は不慮の事故でこの世を去ったらしく、当時円は二歳だったという。櫻子も六十一歳と女性の平均寿命よりはるかに若くして亡くなった。人里での教師生活を終えてまもなく、重い病に冒されていたことがわかったそうだ。

 人間の母を持ち、半分は人間として生まれた円は、これまでおおよそ人間と同じように歳を取ってきているというけれど、今年で三十路を迎えるにしては少々幼く見えなくもない。あやかしの血が混ざっているから普通の人間よりは長生きできるかもしれないというのは本人の弁だが、果たして。

 かまどのある旧式の台所で夕食の準備をしながら、雪乃は居間のちゃぶ台で書き物をしている円を見やる。『結』の生徒たちのための小テストを作っているのだ。ちなみに今作成しているのは来週の分で、今日の分はすでに出来上がっている。日々計画的に動いているのが実に円らしくて、好感と尊敬の念をいだいた。

 雪乃がここへ来たばかりの頃は一日の大半を眠って過ごしていた円も、今は七時間程度を睡眠に当てれば十分という人間らしい生活サイクルを取り戻している。半妖であるためもともと少ないという妖力を使い果たし、やむを得ず狼の姿に戻ってしまう時間があるものの、半日以上を人の姿で過ごせるまでになった。

 元気になってよかったなと心から思う。出会った頃は立って歩くことさえままならなかったのだ。人助けをしたつもりはまるでなかったけれど、もしかしたら少しは役に立てたのかもしれないと思うと嬉しくなる。なにより、円が毎回おいしいと言って雪乃の手料理を食べてくれることが幸せだった。特別凝ったものを作ったことは一度もないのに、円はいつも新しいものを食べたような顔をしてくれる。優しい人だ。我知らず、雪乃は笑みをこぼした。

 キッチンタイマーがけたたましい音を鳴らす。火にかけていた鍋を一度かまどの鉄板から下ろし、濡らしたふきんの上に移した。ふたを開けると具材がいい感じに煮えていて、雪乃は小さく「オッケー」とつぶやく。

 円のリクエストで、今晩のメニューはカレーライスになった。せっかくなので、焼きなす、薄くスライスしてフライパンで焦げ目をつけたカボチャ、同じくフライパンで炒めた赤パプリカ、それから茹でたオクラを準備した。器に盛ったカレーの上に添えれば、彩り豊かな夏野菜カレーになる。季節は夏にほど遠く、梅雨入りさえまだだけれど。

 雪乃は料理家でもなんでもないので、ルーは市販のものを迷わず使う。割り入れて溶かし、再び鍋を火にかける。底が焦げつかないようにおたまでくるくるとかき混ぜていると、「いいにおいですねぇ」と円が台所を覗きに来た。

 台所用の草履ぞうりを引っかけ、円は雪乃の真横に立つ。スパイシーなカレーの香りの中に、ほんの少し、円のにおいをふわりと感じてドキリとした。

 うっかり赤らめた頬を隠そうと、雪乃は鍋に目を落とした。

「まだですよ。あと十分くらいかかりますから」

「そうなんですか? 待ちきれないな」

「そんな、子どもじゃないんだから。というか円さん、さっきおやつのおせんべい食べたばっかりでしょ?」

「おやつは別腹です」

「なに女子みたいなこと言ってるんですか。ほら、向こうで待っていてくださいっ」

 恥ずかしさに耐えかねて円を台所から追い出そうとすると、換気用に開けていた窓からなにかがスッと母屋の中に入ってくるのが横目に映った。円とふたり、雪乃は突然の闖入者ちんにゅうしゃに視線を向ける。

 パタパタと、二対の翼がはためいていた。小鳥が迷い込んできたのかと思ったけれど、それは鳥ではなかった。

「折り鶴……?」

 赤い千代紙で丁寧に折られた、手のひらサイズの折り紙だった。梅や牡丹ぼたん紅葉もみじなどの和風で鮮やかな柄が細かく散りばめられて、普通の折り紙の何倍も華やかだ。

「鶴ではありませんよ」

 円が右の手のひらを上向けると、折り紙の鳥はその上で静かに羽を休めた。

はとです。人間が電話を使うように、我々あやかしはこれを通信手段にします。電話というより、手紙みたいな感じなのですが」

 円は折り紙の鳩の頭をトントンと指で軽く叩いた。すると、鳩は円の手の上に止まったまま、バサァッとその翼を大きく広げた。

『久しいの、円』

 鳩から甲高い女性の声が聞こえてきた。「しゃ、しゃべった……!」と雪乃は目を見開く。

『その後、どうじゃ? 近頃はからだの具合がよくないと風の噂で耳にした。大事にするがよい。決して心を壊すでないぞ。おぬしまで食らいとうはないからの』

 円が一瞬顔色を変えた。口を真一文字に結んだまま、『ところで』としゃべり続ける鳩を見つめる。

『このところ、人間の気配をよう感じるのじゃが、なにごとじゃ? 無論、円、おぬしとは別の人間の気配じゃ。まさかとは思うが、またしてもこの山を切り開こうなどと目論むやからが出入りしておるのではなかろうな? 無礼者! 何度来ても同じことじゃ。おぬしら傲慢な人間どもにこの山は決して渡さぬ! 円、さっさとそやつらを引っ捕らえてわれへ差し出せ! われがひとり残らず食らい尽くしてくれるわ、この愚か者めがっ!』

 吠えるようにしゃべり倒した鳩が、意識を失ったようにパタリと翼を畳んでおとなしくなった。最後のほうはほとんど罵声だった。

 はぁ、と円はぐったりした様子でため息をついた。雪乃は鳩の勢いに圧倒され、ひたすら目をしばたたかせている。

 なんだったのだろうか、今のは。

 声は高さとハリがあって若々しいのに、ひどく時代と年齢を感じる口調だった。それに、ところどころ聞き捨てならないセリフが混じっていた気がする。傲慢な人間だとか、愚か者だとか。

 人間とは、無論雪乃たちのことを言っているのだろう。雪乃は居心地の悪さを感じてそわそわした。

「すみません、お騒がせしました」

 円が困り顔でくしゃくしゃと髪をかき乱した。

「この千代紙には特殊な力がありまして、伝言を吹き込むと、届けたい相手のもとへ飛んでいってくれるんです」

「へぇ。伝書鳩みたいですね。……あ、だから鶴じゃなくて鳩なんだ、この折り紙」

「ご明察です」

 円は肩をすくめた。

「今この鳩から聞こえていた声は、伝言の送り主……玉藻前様のお声です」

 玉藻前。ピンと来て、雪乃ははっとした顔になる。

「人間に追われて石にされた、九尾の狐……」

 円は静かにうなずいた。

「美しい女性の姿に化け、時の権力者に取り入ろうとしたあやかしです。彼女が石にされた時、割れた石のかけらが日本のあちこちに散らばったそうで、そのうちの一つがこの山にあります。石に魂を宿した玉藻前様は、この山をひどく気に入られて安息の地に選び、かれこれ千年ほどこの地で生きておられます」

 千年! 途方もない数字だ。弥勒の言葉を思い出す。あやかしには死という概念が存在しないのだ。

「石にされて以来、玉藻前様は人間をひどく恨んでいらっしゃいます。善人と悪人とにかかわらず、この山へ踏み入る人間を片っ端から食い殺してしまうほどに」

 その話も弥勒から聞いていたけれど、雪乃はいよいよ生唾をのみ込んだ。やはり、さっき玉藻前の声で再生された伝言に出てきた『人間の気配を感じる』というのは……?

「大丈夫ですよ、雪乃さん」

 事態を察した雪乃に、円はなにごともなかったかのように穏やかに微笑む。

「確かに玉藻前様は人の気配に敏感ですが、事情を話せばちゃんと理解してくださる方です。ほら、僕の母も人間でしたけれど、この山で暮らすことを許可されていましたし」

 言われてみればそのとおりだ。人間であれば誰彼かまわず食い殺していた頃もあったのだろうが、今は違うというわけか。円も半分は人間だけれど、体調を気づかわれるくらいには玉藻前から好かれているようだし、彼の口添えがあれば無闇に食われることはないだろう。雪乃はひとまず胸をなで下ろした。

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