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あやかし専門学習塾・結 ~女子大生と半妖の狼~  作者: 貴堂水樹
第三章 感情

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3.

「おおぉ!」

 居間のちゃぶ台が雪乃の手料理でいっぱいになると、弥勒がこれでもかとつり目を輝かせて声を上げた。

「すっげぇうまそう! 雪乃ちゃん、これなんて言う料理?」

「ガパオライスです」

 三人分の箸とスプーンを並べながら雪乃は答えた。沙夜は食事をしないのだという。

「鶏挽肉、ピーマン、赤パプリカ、たまねぎを炒めて、豆板醤とうばんじゃん、ナンプラー、オイスターソース、あとはお酒とお砂糖を少しずつ入れて味つけしました。ごはんは白米が一般的ですけど、健康のためにいいかなと思って今回は玄米にしてみました」

 パプリカの赤とピーマンの緑が鮮やかで目を引く肉炒めが、器の端にやや寄せ気味で盛られた玄米にかかるように乗せられている。山の頂上には半熟の目玉焼きとバジルの葉が添えられ、色鮮やかなワンプレート料理に仕上がっていた。

「円さんは今、一日一食しか召し上がらないと伺ったので、朝ごはん兼昼ごはん兼夜ごはんになるように、腹持ちのいいごはんものにしようと思って。付け合わせはコンソメスープと、刻んだサニーレタスに砕いたクルミとオニオンドレッシングをかけたサラダです。たまねぎは血液をさらさらにしてくれるので、からだにいいんですよ」

 コンソメスープはあらかじめ家で作ってきたものをフードコンテナに入れて持参した。器が足りないといけないと思いいくつか準備してきたけれど、台所にあった食器棚に大小さまざまな陶器の皿や椀が揃っていたので無駄骨だった。

「本当にすごいな」

 円も目を大きくして、雪乃の手料理を食い入るように見つめた。

「期待以上です。見ているだけでおなかいっぱいになります」

「いや、そこはちゃんと食ってやれよ、円」

 食卓が明るい笑いに包まれる。お茶を並べ、割烹着を脱いだ雪乃が席につくと、全員で手を合わせて「いただきます」と唱和した。

「んまっ!」

 ガパオライスから食べ始めた弥勒が叫んだ。

「うまいよ、雪乃ちゃん! 最高!」

「本当ですか? よかった」

「おいしいです」

 円も嬉しそうに口もとをほころばせた。

「ピリッと辛いところがいいですね。目が覚めます」

「ありがとうございます。辛さはお好みで調整できますよ。もっと辛いほうがよければ、豆板醤を足せばいいので」

「いえ、僕はこれくらいでちょうどいいです」

 おいしい、と円は噛みしめるようにくり返した。無意識のうちに、雪乃の頬が綻ぶ。

 がんばって作ってよかったと、心の底から思った。


「はー、食った食った!」

 座布団の上でりくり返った弥勒がポンと満足げに腹を叩く。たくさん食べてほしくて多めに作ったけれど、雄飛の分と明日の円の分をよけた残りは弥勒がひとりできれいに平らげてしまった。四合炊いた玄米がすっからかんになり、夜食に焼きおにぎりを作るつもりだった雪乃の計画は台無しになった。

「じゃ、オレ帰るわ」

 弥勒がひょいと席を立ち、台所で洗い物をしていた雪乃に声をかけた。

「ごちそうさま、雪乃ちゃん。また作ってね」

「もう帰っちゃうんですか、弥勒さん、早いですね」

「うん。これからバイトだからさ」

「バイト? なんのアルバイトをしてるんですか?」

「ホストクラブ」

「え」

 雪乃が泡だらけの手を止めた。弥勒はニヤリと口角を上げ、渾身のドヤ顔で言った。

「酒と女が、オレを呼んでんだ」

 じゃあねー、と弥勒は雪乃に手を振って母屋をあとにした。居間の窓ガラスの向こうに、狐の姿になって颯爽と山を下りていく弥勒の姿が見えた。

「お似合いの職業だと思いませんか」

 円が乾いたふきんで雪乃の洗った器を拭きながら笑った。

「お調子者で、女好き。語り口も軽妙で、時にはナンバーワンの座につくこともあるのだとか」

「ナンバーワン!」

 すごい。人気ホストになると一日で何百万という売り上げを叩きだすという。確かに弥勒とは話していて楽しいし、それなりに整った顔に化けているので――狐の姿でもきれいだ――見た目だけでも指名客を稼げそうだなと雪乃は思った。初対面の時のナンパも、彼の人となりを知れば納得の行動だった。

「あの、円さん」

「はい」

「弥勒さんみたいに、人間の世界で人間として生きているあやかしって、どのくらいいるんですか?」

「けっこういますよ」

 円はたまった器を腕にかかえる。

「たとえば、僕が今着ている着物を仕立ててくださった方もあやかしです」

「本当ですか」

「えぇ。いいでしょう、この着物」

 円はとても自慢げに言った。今日の円はてつこんという緑がかった紺色の着物をまとっている。紬の生地も上質で、ラフな着流し姿なのにきちんとしていて隙のない印象を受けた。

時雨しぐれさんという方なのですが、その昔、彼は人間のまとう衣服に強い憧れをいだいて、人里に下りることを決めたのだそうです」

「へぇ。それで着物の仕立屋に」

「はい。京都の有名な仕立屋さんで修行して、今は麓の町で小さな和装専門店を開いています。最近は着物や浴衣だけでなく、和服にも洋服にも合うデザインのアクセサリーや小物を置いていて、女性客からは特に好評なのだとか」

「和風のアクセサリーかぁ。かわいいだろうなぁ」

 雪乃は心を躍らせる。オシャレを楽しむのは女性のたしなみの一つだ。

「全然知りませんでした、そんなお店があるなんて。どこにあるんだろう」

「よかったら、ご案内しましょうか」

「えっ、いいんですか!」

 もちろんです、と気さくに応じてくれた円は、すぐに苦笑いで肩をすくめた。

「時雨さん、電子機器にめっぽう弱くて、お店のホームページもありませんから、知る人ぞ知る隠れ家的なお店という感じになっちゃってるんです。和服のお店なので、現代では冠婚葬祭か成人式くらいしか出番がなくて、皆さんあまり馴染みがありませんしね」

 なるほど、どうりで知らないはずだ。きっと時雨という仕立屋のあやかしも、気張って稼ごうというつもりはないのだろう。趣味で細々とやっているお店というところか。

「では、近いうちに」

「え?」

 器をかかえたまま微笑まれ、雪乃は虚を突かれて手を止めた。円は不思議そうに小首を傾げて雪乃を見つめる。

「時雨さんのお店、一緒に行くのではないのですか? ついでなので、他の方のところにもいろいろお邪魔してみるのもおもしろいかもしれませんね」

 穏やかだった空気の流れが、一瞬、ピンと張りつめた。

 右手の中のスポンジから、泡がとろんと滴り落ちる。ひょっとして、と雪乃はその場に固まったまま考えた。

 もしかして。いや、もしかしなくても。

 これは紛れもなく、デートのお誘いなんじゃないだろうか。

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