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あやかし専門学習塾・結 ~女子大生と半妖の狼~  作者: 貴堂水樹
第一章 半妖の狼

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1/33

1-1.

 つい先日まで薄ピンク一色だった桜並木が、いつの間にか新緑の輝きに変わっていた。

 昨日雨が降ったせいか、青々とした葉の一枚一枚が太陽の光を乱反射させている。まっすぐ伸びる大学構内のメインストリートは、まるでイルミネーションで彩られているかのようにきらびやかだ。

 初夏の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込めば、あるいはこの荒んだ心も晴れるかもしれない。そう思いはするものの、数歩行くたびにため息をついているという目も当てられない状況である。それが現在ひたすら落ち込みまくっている、三宅雪乃みやけゆきのの哀れな姿だった。

 学生課が運営するキャリア支援センターの入っているB棟という校舎を目指し、重い足取りでトボトボと歩く。情けない理由でアルバイトを辞めてしまい、新たな職を探さなければならなかった。

 三月末、一年間勤めた個別指導学習塾での講師の仕事を辞めた。なにがいけなかったのか、生徒たちからのレスポンスがかんばしくなく、成績を伸ばしてあげることができなかった。

 中学生の頃、数学を担当してくれていた女性教師に憧れ、雪乃は教師の道を志すようになった。山を切り開いて建てられた地方の公立教育大学にどうにかこうにかすべり込み、この春から二年生に進級した。

 少しでも教育現場について知っておきたいと思い、学習塾でのアルバイトを始めたものの、主に中学生の生徒たちがかかえる「わからない」という気持ちに寄り添うことがどうしてもうまくできなかった。なにがいけなかったのだろう、どうすればよかったのだろうと思い悩む日々を送るうちに、いつしか自分には教師という職が向いていないのではないかと考えるようになった。心の折れる音が、耳の奥ではっきりとこだました。

 鉛のような足を動かし、ようやくB棟の入り口にたどり着く。キャリア支援センターでは、アルバイトを含む求人情報を自由に閲覧することができる。

 大学進学を機に実家を離れ、品揃えの悪いコンビニがようやく一軒あるようなド田舎でひとり暮らしを始めた。実家からの仕送りだけでは心許こころもとないのでアルバイトをしなければならないが、まともな職に就こうとすると自転車でかなりの時間をかけて市街地へと出る必要がある。三月まで働いていた学習塾も市街地のほとんど中心部、私鉄の駅の近くにあった。どこまでも貧乏学生に優しくない場所に建てられた大学だと、自分で選んでおきながらため息が出る。

 求人情報はネットでも検索できるが、大学のキャリア支援センターには大手の求人サイトには載っていない、大学生向けの求人情報が豊富にある。授業の都合などによって雇用条件に融通を利かせてくれるところも多く、インターンを兼ねて雇ってくれる企業さえあった。

 四月のはじめは学生でごった返していたB棟二階の学生課も、今日は比較的人の出入りが少ないようだ。ちょうど三時限目の授業中ということもあるだろう。午後二時半という中途半端な時間帯である今は、求人情報をゆっくりと眺めるにはもってこいだった。

 階段を上り、学生課の窓口の前を過ぎると、奥に別室の入り口が見えてくる。小会議室みたいなその場所こそ、目的地であるキャリア支援センターだ。

 開け放たれている扉をくぐると、パーティションを三枚、背中合わせの三角形に並べた掲示板が雪乃たち学生を出迎えてくれる。そこにはびっしりと求人情報が貼り出されているのだが、アルバイト情報に限らず、新卒者向け、それから卒業生――いわゆる第二新卒者向けの就職支援情報も掲載されていた。

 こんにちは、とキャリア支援センターの職員に挨拶される。雪乃も「こんにちは」と返し、早速掲示板の貼り紙に目を向けた。

「塾……じゃないほうがいいかな」

 教育大学という場所柄なのか、学習塾講師や家庭教師の募集が非常に多い。だが、もう一度別の塾で力を試してみようという気持ちには、今はとてもなれなかった。

 かといって、他にやってみたい仕事があるかというとそういうわけでもない。飲食店は大変そうだし、コンビニやドラッグストア、スーパーなどでの仕事もなんとなく気が向かなかった。

 なんの仕事をしよう。悩みながら貼り紙を眺めていると、ふと、ちょうど腰あたりの低い位置に貼られた紙の珍しい文言が目に留まった。


『家政婦募集』


 家政婦? というと、家事代行サービスのことだろうか。

 詳しい内容に目を通してみる。掃除、洗濯、炊事、買い出しと、やはり仕事内容は家事全般だ。給与については応相談、無料送迎付きとある。

 これなら私にもできるかも。雪乃は心が躍るのを感じた。ひとり暮らしを始めたので家事は人並みにこなせるし、料理もプロほどの腕はないが、それなりにおいしいものを作れる自信はある。

「あれ……?」

 だが、困ったことに採用担当者の連絡先が書かれていなかった。キャリア支援センターの窓口をちらりと見る。一体誰が、この不自然な貼り紙の掲載を許可したのだろう。

「見えるの?」

「わっ!?」

 その時、突然足もとから声がした。驚いて声を上げ、視線を落とす。

 赤い着物を身にまとった、おかっぱ頭の小さな女の子だった。首を後ろに折って雪乃を見上げる顔は、無表情だが丸い瞳がきらきらと輝いている。

「その貼り紙、見えるの?」

「え?」

 貼り紙というと、今見ていた『家政婦募集』の案内のことだろうか。

「み、見えるって……?」

「見える人は、特別。普通の人には、見えない」

 特別? 普通の人?

 話がさっぱりわからない。そもそも、この少女はどうしてこんなところにいるのだろう。

 雪乃は静かに膝を折り、少女と目線の位置を合わせようとしゃがみ込む。偶然なのか、貼り紙はちょうど少女の顔の高さにあった。

「こんにちは。あなたのお名前は?」

「沙夜ちゃんね。はじめまして。私は雪乃」

「雪乃」

「うん。ねぇ、沙夜ちゃん。この貼り紙が見えるって、どういう意味?」

「あのー……」

 窓口の向こうから、先ほど挨拶を交わした女性職員が身を乗り出すようにして雪乃に声をかけてきた。

「どうかされましたか?」

「あ、いえ。この子が……」

「見えない」

「え?」

 今度は沙夜が雪乃と女性職員の間に割って入る。

「普通の人には、見えない。雪乃は特別だから、見える」

「見えるって……」

 もしかして、沙夜のことを言っているのか。沙夜の姿は、雪乃にしか見えていない?

 わけがわからず目を見開いた雪乃だったが、このままここにいるのがまずいということだけは即座に察し、「なんでもないです」と言ってそそくさとキャリア支援センターをあとにした。沙夜は掲示板の貼り紙を剥がし、カランコロンと下駄を鳴らして雪乃の後ろをついてくる。

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