第八十二話 氏治包囲網 その2
小田城の評定の間には小田家の重臣が集まっている。皆で久幹の到着を待っている状態である。見回してみると南蛮鎧をつけている人は半分くらいである。さすがの又兵衛も時間が足りなかったらしい。皆の鎧が珍しくて眺めていたら久幹が到着したと知らせがあった。久幹は評定の間に入ると私に平伏した。
「真壁久幹、参上致しました」
「試しと同じ一刻半(三時間)だね。ご苦労様」
「狼煙と鏡は使えますな、時も天候もよう御座った」
軍勢だと遅いけど久幹単騎なら河和田から武装含めて三時間である。予想通り、久幹はとても良い笑顔をしている。
「四番との仰せで御座いましたので、全軍石崎に集結させます。軍勢は二千五百、志願する者も出ましょうから今少し増えるかも知れませぬ。夕刻には数が揃うでしょう」
「こちらは四千五百くらいかな?合わせて七千集まりそうだね。こちらも集まりがいいと聞いているから同じく夕刻だね」
「佐竹様には早馬を送りました。援軍が頂けるのか如何かはまだ判りませぬ」
「それでいいよ。義昭殿には早馬で書状も送ったから心配ないよ」
「左様で御座いますか、承知致しました」
久幹はそう言うと自分の席に着いた。小田家では徴兵を少し工夫している。ただ兵を集めるだけではなく、戦況を想定して集まる場所や援軍要請などを組み合わせているのだ。戦になるとしたら相手は周辺国に決まっているので、考えられる事態を想定して番号を振っているのだ。
ちなみに久幹に指示する四番は『周辺国全てが攻め込んで来る。第二軍団は石崎に集結。佐竹家に援軍を求める。』である。なので皆が四番と聞いて興奮しているのだ。
小田家の兵力は急激な人口増加が後押しして七千程度集まるのだけど、この増えた兵は今まで受け入れて来た移民の数でもあるのだ。何年もコツコツと移民を受け入れた成果である。
そして百地の情報で素早く兵を動かして対応するのである。仮想敵国は基本的に結城家なので攻め込んで来るルートはだいたい決まっているし、違うルートを使った場合や別動隊が出ても百地が監視するので不意を突かれる心配があまり無いのである。
皆が集まったので軍議が始まった。百地が敵の情報を皆に伝える。
「まず、此度の敵は結城家、小山家、宇都宮家、土岐家、相馬家、豊島家、大掾家で御座います。結城政勝は小山家、宇都宮家と共に当家を討つと吹聴し、陣触れをしたようで御座いますが、今も兵を集めている最中で御座います。小山家と宇都宮家の軍勢は未だ現れておらず手の者が探って居ります。土岐家、相馬家、豊島家、大掾家は兵を集めて居りませぬが荷が動いて居ります。鹿島では兵を集めている様で御座いますので当家に攻め込むものと思われます」
百地の報告が終わると久幹が口を開いた。
「結城家の吹聴はこちらの注意を引く為で御座いましょうな。随分と見え透いて居りますが。当家の軍勢を引きつけ、常南、行方、鹿島の衆が当家に討ち入ると言った所で御座いましょうか。そのような小細工をせずとも日時を決め、一斉に討ち入れば良いものを」
「慎重になったので御座いましょう。こちらには鉄砲も御座いますからな。我らの領土を包囲し、すり潰すのが敵方の算段で御座いましょうが、ちと動きが遅う御座いますな」
久幹に続いて政貞がそう言った。
「どういう取り決めがあったかは知らないけど、常南と行方が兵を集めていないのは私達が結城と矛を交えてから兵を集めて奇襲するつもりなんだろうね。距離のある鹿島は兵を集めているし。前の戦では馬防柵で受け身の戦をしたし、江戸家との戦でも同じだったから結城が攻め入るまでこちらが待つと思っているんじゃないかな?江戸忠通は結城家に身を寄せているから戦の話はしただろうし」
私がそう言うと久幹が答えた。
「まあ、そんな所で御座いましょうな。常南、行方、鹿島に百地殿の忍びが入っている事を知らぬので御座いましょうから、策が露見している事に気づいていないのでしょうな」
久幹がそう言うと勝貞が笑った。
「某も大殿に従い多くの戦を致しましたがこの様な事は初めてで御座いますな。尤も、皆で様々な戦を予想し、軍議してきた成果で御座います。それなくしてこの余裕は御座いません」
「皆に言っておくけど、此度は敵対した家は平らげるからそのつもりで。それとせっかく育った領を踏み荒らされる訳には行かないから敵領に討ち入るよ」
私がそう言うと皆から歓声が上がった。音がビリビリと伝わって来る。勝貞が皆を静める。
「此度は御屋形様が戦に乗り気で御座いますな。この勝貞が見事平らげ御屋形様に献上致します」
「勝貞、私は此度は怒っているんだよ。私は戦は嫌いだよ。だから戦は仕掛けないし、戦になっても敵兵をなるべく討ちたくない。だけど、言葉の通じない獣に容赦するつもりは無い。皆で育てた領が踏み荒らされるのも我慢できない。兵が集まり次第出陣する」
「此度は周辺国の全てが攻めて来る最悪の事態だけど、皆で様々な予想を立てて軍議したから対応は皆解っていると思う。此度の戦は府中を獲り、行方、鹿島の半島を封鎖し、常南を黙らせて結城家と決戦する。その後に鹿島を降して終わりの話だったけど、小山家と宇都宮家は想定してなかったね。でも、それに対しては策があるから安心するといいよ」
「義昭殿には宇都宮家を切り取って頂くようお願いしたよ。義昭殿はきっと動いてくれるから私達は結城と鹿島と小山を降したらそのまま宇都宮領に攻め込む。宇都宮領で得た城は全て義昭殿に差し上げるからそのつもりで」
「飯塚、赤松」
「はっ!」
「はっ!」
「貴方達が小田家に逃げて来る民を慈しみ、彼らのために身を粉にして働いたから私は多くの兵を集める事が出来ます。まずは己を誇って欲しい。常南、行方、鹿島の衆は自らの民が逃げた事を逆恨みして此度は敵になったようだけど、彼らは自らの民に滅ぼされる事になるのです。皆も此度の事をよく覚えて欲しい。民を粗末に扱えばそれはいつか必ず自分に返って来るのです」
私がそう言うと諸将は『はっ!』と一斉に平伏した。
「私の戦嫌いの為に小田家の勇猛な坂東武者達の手柄を立てる機会を奪って来たけど、此度の戦は長くなりそうです。皆は存分に手柄を立てるように。全て平らげれば三十七万石の大領土です、皆で分け合いましょう」
諸将は一斉に『応!』と声を上げる。
「ただし、今の小田家の石高は表高二十五万石、これに三十七万石が加わると六十二万石。私は戦後の論功と仕事で頭が痛いよ。皆も喜んでいるけど、しっかり仕事してもらうからね?戦ではなくお役目に討ち取られない様に気を付けてね?」
私がそう言うと皆が一斉に笑った。
「飯塚と赤松は褒美として今日の最初の戦を任せる事にする」
「飯塚!」
「はっ!」
「飯塚には兵を千五百と鉄砲衆五十を与えます。既にそのくらいの兵は居るから直ちに出陣して府中を落として来て欲しい。府中を落としたら守備の兵を残して竹原、小川の順に城攻めを。敵が兵を集めないのだから存分に武功を挙げるといいよ。小川を落としたら鉄砲衆と守備の兵を入れて行方の衆を半島に封じ込めて欲しい。出口を抑えてしまえば何も出来ないしね。余った兵と飯塚は私に合流してね」
「大掾慶幹を運よく捕らえる事が出来た場合でも行方の半島は封鎖したいから小川は獲ってね。では行って、なるべく怪我しないでね」
「承知致しました!この飯塚美濃守、必ずや成し遂げて御覧に入れます。御屋形様もご武運を!」
私が頷くと飯塚は足早に出て行った。
「赤松には今宵の戦で武功を挙げて貰うから待っていて欲しい」
「承知致しました。この赤松凝淵斉、必ずや御屋形様のご期待に応えましよう」
「久幹!」
「はっ!」
「直ちに石崎に向かって欲しい。久幹の軍団は兵が集まり次第、徳宿から拠点を落として鹿島の半島を封鎖してね。必要な守備兵を置いたら残りの兵と私を追いかけて来て欲しい。大掾家と鹿島家の領地は二本の細い半島だから地形が仇になったね。簡単に分断出来てしまうし」
「そうで御座いますな。兵を集めたとしても少のう御座いますし、鉄砲を置けば早々に抜けるものでは御座いません。早合がさっそく役に立ちますな。鹿島と行方はゆるりと落とせば良いでしょう。趨勢が決せられれば自ずと落ちるとは思いますが」
「そうだね、あとは常南を黙らせれば結城領に入れるから土岐家は今夜中に落とすよ。皆で待っているからね。鬼真壁が居ない戦は華が無くて寂しいからね?」
「御屋形様にそう申されてはこの鬼真壁、急がぬ訳には参りませぬな。御屋形様、ご武運を!」
私と久幹は頷き合った。そして久幹も出陣した。鹿島家の人、本当に逃げたほうがいいよ?煽ったのは私だけど、やるのは久幹だから私は悪くないと思う。
「他の皆は私と出陣だよ!土岐、豊島、相馬の順に討ち入るから励むといいよ。常南の衆はまだ兵も集めていないし、私達が攻め込んで来るなんて考えても居ないと思う。戦は夜だけど、今夜の戦は全てが奇襲になるから手柄を立て放題だよ。政貞、鉄砲は全て持って行く。下妻、大宝、関の城は旗指物を多く立てて、夜は篝火を多く灯すように。領民には城に入って貰って。兵が籠っているように見えるはずだから。兵が集まるまでは時があるから身体を休めておいてね。では解散!」
―太田城 佐竹義昭―
氏治から援軍を要請された佐竹義昭は今こそ恩を返す時と兵を集めていた。真壁久幹からの使者によれば周囲の国が全て敵になったという。如何に小田家と言えど防ぐ事は難しいだろう。義昭は盟友として、人として氏治を助けるつもりである。
緊急で招集された軍議で氏治からの援軍要請を義昭から伝え聞いた諸将は『今こそ恩を返すべし!』と気炎をあげた。兵が集まるのをじりじりとした気持ちで待っている義昭の元に小田野義正が足早にやって来た。
「御屋形様!小田様から書状が届いて居ります」
「なんだと!」
義昭は小田野義正から書状を受け取るとその目を走らせた。
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義昭殿、援軍を頂き心から感謝致します。義昭殿と盟友になれた氏治は幸せ者です。
氏治は義昭殿にお願いがあって書状をしたためました。お優しい義昭殿の事ですから氏治のお願いを聞いて頂けると確信して居ります。
氏治は此度の戦で敵対した敵領を全て平らげるつもりでいます。ですが、宇都宮家の援軍の数が多く苦戦が予想されるのです。氏治のお願いは義昭殿に宇都宮領に討ち入って頂いて領地を切り取って頂きたいのです。
かつての氏治が義昭殿の為に江戸家に致したように、この氏治の為に義昭殿に致して欲しいのです。氏治は結城家と小山家を降した後に宇都宮領で義昭殿と合流し、義昭殿のお手伝いをし、義昭殿と共に宇都宮領を平らげたいと考えています。
戦が終われば宇都宮領は義昭殿に治めて頂きたいと考えています。これは報酬ではありません。義昭殿の御領地が側にあれば氏治は心から安心する事が出来るのです。
氏治は必ずや戦に勝利し、義昭殿にお会いするつもりです。
義昭殿のご武運を氏治は心よりお祈り致しております。
小田氏治
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「カハッ!」
義昭は思わず片膝をついた。その様子を見た小田野義正は慌てて義昭を支えるように手を貸す。
「御屋形様、大事ありませぬか?」
義昭は身体を起こし口を開いた。
「う、う、う、氏治殿の願いとあらば叶えぬ訳には行くまい」
義昭は氏治のお願いに弱かった。
「御屋形様、如何致したので御座いましょうか?何か凶報でも?小田様は何と?」
小田野義正は義昭に問うた。
「氏治殿は宇都宮を切り取って欲しいと願われている。そしてこの義昭に宇都宮領を治めよと申された」
「なんと!ですが、小田様の御身に危険が迫っているのでは御座いませんか?」
「この義昭が宇都宮領に攻め入れば宇都宮の軍は取って返すしかあるまい。それが氏治殿の狙いだ。氏治殿は宇都宮が邪魔だと申されている。ならばこの義昭が成敗致す!」
「宇都宮家は十万石の大名で御座いますな、兵は二千五百程度。これを切り取り、更に那須家を従えれば当家は三十万石で御座います」
氏治からの書状を大切そうに仕舞いながら義昭は口を開いた。
「先祖でも成し得なかった武勲を挙げる機会にもなった。下野は山が多く進軍も難しいが、氏治殿と挟み討てば切り取るのは容易、またとない好機でもある」
「将も武勲に飢えて居ります。存分に働く事で御座いましょう」
「小田野!諸将に伝えよ!宇都宮領の全てを切り取り武勲とせよ!」
「承知致しました!」
こうして義昭は宇都宮領に侵攻する事になる。




