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第七十九話 槍大膳の来訪 その1

 

 本格的な冬が近づきだいぶ寒くなって来た。私はこたつを出して読書を楽しんでいる。背中には次郎丸がいてクッション代わりで快適である、暖かいし。読んでいるのは堺で買い付けて来た公家の日記である。私の感覚だと他人に日記を読まれるのは黒歴史を作るだけとしか考えられないけどこの時代は違うのである。


 他人の日記は読んでいてとても面白い。秘密を覗いている気がしてドキドキするのだ。何故日記が出回っているかと言うと、困窮した公家や武士が商家に日記を売るのである。商家としては日記には商品価値が無く、相手が身分のある人だから仕方なく買い取るのである。そして捨て値で売るのだ。私からすればお宝なのだけど。


 日記にはその日の出来事や、何を食べたとか、感心したとか、ありきたりな事が書かれているけど、公家の日記などの食生活は意外に為になるのだ。生活レベルを計る事が出来るので、将来あるかも知れない公家との交渉に役立つ可能性があるのだ。


 質素な食事のメニューが書かれたページを感心しながら読んでいると、政貞がやって来た。


 「御屋形様、里見家よりご使者で御座います」


 「里見家?夏に沼尻が行ったばかりだよね?何だろう?」


 小田家も周辺諸国とは交流しているのだ。遠交近攻の原則もあるし、疎遠で良い事など一つもないのである。山内上杉家と扇谷上杉家、長尾家、武田家、今川家、里見家と大きい所は担当を決めて交流しているのである。子が生まれればお祝いを送ったり、戦に勝てば祝いの使者を送るのである。


 同盟国の佐竹家と織田家は私が義昭殿と信長と文通状態なので私が担当している。里見家の担当は沼尻である。又五郎の父親である。


 「悪い事でなければよう御座いますが、里見家ですと北条がらみやも知れませぬ。いずれにせよ、お支度をお願い致します」


 「わかった、それで御使者はもう来ているの?」


 「土浦から知らせが参りました。今少し掛かるでしょう」


 「船で来たのかぁ、里見家と言えば水軍だよね、菅谷も負けないでよ」


 「我らの水軍衆は規模が小さいですからな、いずれは考えねばなりませんな。では某は支度が御座いますので」


 里見家の当主は里見義堯(さとみよしたか)である。安房を拠点とし、正木、神余、東条などの海賊衆をまとめ上げ上総へ領土を広げた戦国大名である。今は上総の久留里城を本拠にしているはずだ。史実では里見家は北条家と長い抗争を繰り広げている。その最初の戦が第一次国府台合戦である。


 小弓公方の足利義明に助太刀して始まった第一次国府台合戦だけど、渡河して来る北条軍に対して里見義堯(さとみよしたか)は足利義明に攻撃を進言した。でも足利義明は将軍家の自分に弓矢など放てるわけが無いと、そして北条軍を上陸させたら自ら成敗するとのたまったのだ。


 渡河中の敵を討つのは兵法の基本中の基本である。この足利義明の言葉に失望した里見義堯(さとみよしたか)は負けを確信し、さっさと軍を引いて帰ってしまったそうだ。幾つかの説があるけど私はこれを信じてる。そしてこの判断は正し過ぎるほど正しい。正しいから正しく行動出来ればいいけど、そう簡単に行かないのが人という生き物である。


 戦国時代に転生して、この時代の常識を知る私からすればこの『軍を引く』ことの難しさが理解出来る。戦は自分一人でしている訳では無いのである。この場合は将軍家の血筋である足利義明に皆が従っているのだ。自分だけ撤退するには相当な度胸と決断力が必要である。人同士の付き合いもある。私達は歴史の結果を見て当然だと思うのだけど、それは責任から遠く離れた人の意見であり、自分が当事者なら果たして同じ事が出来るだろうか?私は性格的に出来ないと思う。


 足利義明は当然のように敗退し、自身は討ち死にし、従った武将も多くが討ち取られる事になるのである。しかし、直後に里見義堯(さとみよしたか)は討ち取られた武将の領地に次々と攻め込んでこれを獲ってしまったのである。北条家も苦労して戦に勝利したにも関わらず、気が付けば里見家が多くを得ているのを知って激怒したという。


 そして里見義堯(さとみよしたか)の凄い所は北条家と戦い続けた事である。里見家の石高は三十万石前後だと思われる。大国である北条家と戦うには悲しいほど国力が低いのだ。私が里見家に生まれていたらさっさと臣従している気がする。そのくらい国力の差があるのである。だって相手は百万石だよ?にも拘わらず戦い続けられたのは里見義堯(さとみよしたか)の将器と言うしか説明が付かないと思う。


 里見家には強力な水軍がある。彼の領土である房総半島からは江戸湾や三浦半島、伊豆半島と北条の領土が目で確認できる。この地勢を利用して水軍を効果的に使い北条家と渡り合ったと歴史家は言うけど、その事実だけでも異常だと思う。目で見て?どうやって?北条家にも伊豆水軍があるんだけど?やはり里見義堯(さとみよしたか)の才覚が優れているとしか考えられないのである。私のようにズルして鉄砲を使っている訳では無いのである。


 その里見家の使者がやって来るのである。小田家に祝い事とか無いし、北条家との戦のお誘いだったらどうしよう?関東管領を巻き込まれたら私も出兵するしかない。やるなら長尾景虎もお誘いして欲しい。今の小田家で北条家と戦うのはちょっと怖い。鉄砲をあと五百は欲しい所である。


 着替えをしてしばらく待っていると里見家の使者が到着したと知らせが来た。私は広間に移動して自分の席に着く。そして平伏している里見家の使者に声を掛けた。そして互いに挨拶を交わす。


 「里見家家臣、正木大膳亮時茂と申します」


 正木時茂である。里見家の重鎮であり、歴戦の勇士である。彼は槍術に優れていて槍大膳と称された人物である。更に朝倉宗滴が語った言葉をまとめたとされる『朝倉宗滴話記』には当時の優秀な武将を記しているけど、今川義元、武田信玄、三好長慶、長尾景虎、毛利元就、織田信長、そして正木大膳亮時茂と記されている。


 今川や武田、三好、長尾、毛利、織田などの大名は現代でも有名である。そこに家臣に過ぎない正木時茂が入っているのである。これはとても凄い事なのだ。私も頑張ったら記録して貰えるだろうか?信長もランクインしているし?


 そしてとても嫌な予感がするのである。正木時茂は長尾景虎を関東に引っ張り出したり外交上手でも知られているのだ。そして彼は今回の訪問の目的を語ってくれた。


 「つまり、上杉朝定様のご領地を取り戻して差し上げるという事ですね?」


 「左様で御座います。我が主、里見義堯(さとみよしたか)も上杉朝定様の今の窮状を嘆いて居られているので御座います。そこで今一度、諸国で力を合わせ、武蔵の地を上杉朝定様にお返し致してはと、某が諸国を巡り、こうして参ったので御座います」


 二〇〇パーセント嘘なんだけど?嫌な予感が当たってしまった。たぶん、里見家は連合軍が武蔵を攻めている隙に上総の統一と下総の奪取を目論んでいると思う。それに武蔵を上杉朝定に獲らせれば今後も続いて行く北条家との戦に対しても有利になるのだ。関東中央への出口を確保して援軍の当てに出来るし里見の軍は海から北条を攻め、上杉朝定は更に旧領である相模を狙うだろう。あまりに見え透いているけど、成功するなら私は北条に怯えなくて済むんだよね。


 でも、河越の戦では慢心が過ぎて敗退しているし、仮に連合軍を組織しても指揮は上杉憲政が取る事になるだろうから不安しか無いんだよね。でも、私が上杉朝定を助けた事で北条家は関東で苦戦しているし、今川家とも和睦はしているけど緊張状態が続いている。今なら勝てそうな気はする。すでに歴史は変わってしまったのだから。


 「正木殿、他にはどの家が参加するのですか?」


 「山内上杉家、扇谷上杉家、宇都宮家、上総武田家、那須家、これから向かいますが佐竹家、そして小田様で御座います」


 ふむ、義昭殿は断らないだろうなぁ。でも肝心の家が入っていない。私は正木時茂に聞いてみた。


 「今川殿と武田殿はお動きになられないのですか?今川殿が背後を武田殿が脇を攻めれば戦上手の北条殿でも防ぎきれないと思うのです。合力致すのであれば徹底すべきだと私は考えます」


 私がそう言うと正木時茂が少し顔色を変えた、私は見た目がこうだから説き伏せるのは容易いと思うだろうし、でも仕方ないとも思う。小娘だし。私がそう言うと彼はガバッっと平伏した。突然なので私は驚いてしまった。


 「正木殿、どうされたのですか?どうぞお顔をお上げください」


 私がそう言うと彼は居住まいを正した。


 「この正木大膳、小田様のご器量を見誤って居りました。どうぞお許しくださいますよう」


 そう言って再び平伏する。私は再び彼に顔を上げるようにお願いする。それにしても上手である。乗せられないように注意しないといけないね。


 「私は大した者ではありません。正木殿の武勇は坂東の誰もが知る所です。私は身分はありますが小娘に過ぎません。武勇の士である正木殿がそのような事をしてはいけません」


 「そのようなお言葉を賜るとはこの正木大膳、感激致しました。小田様の仰る通り、今川家と武田家が動けば確実に勝てまする。ですが、武田家は信濃で戦をしており動かす事は叶いませんでした。今川家は態度を保留して居ります」


 ふむ、武田はともかく今川が来ないなら行きたくないな。あと連合軍が気になるんだよね、また舐めプされると困る。


 「正木殿、大変失礼な事をお伺いします。私もこのようななりですが、一国の主なのです。家臣も領民も等しく大切に思っています。ただの一兵も無駄に死なせたくないのです。ですから心配なのです。連衡合従は兵書で誰もが知る所ですが、正木殿が蘇秦(そしん)にならないか」


 私がそう言うと明らかに顔色が変わった。私はかなり無礼な事を言っている。私からすれば失敗されると困るし、戦は人も物資も無駄に浪費するから簡単には頷けないのである。


 「某がしくじると申すので御座いますか?」


 「そこまでは申しません。ですが武田家は仕方ないにせよ、今川家が動かないと当家は軍を出せません。それに今川家が動いたとしても合従策に対して氏康殿は連衡策を取るのも当然の動きです。戦が始まって直ぐに今川家と北条家が和議を致しては策の効果も薄れると思うのです。正木殿もご存じの通り今川家と北条家は今でこそ争っていますが、古くからの姻戚関係でもあるのです。伝手も多いでしょうし」


 「ではどう致せばご賛同頂けるので御座いましょうか?」


 「そうですね、上杉朝定様が武蔵を取り返すまでは今川殿が軍を引かないと言った所でしょうか?」


 「それは、、、」


 これは確約出来ないと思う。でも河越の再現は私も困るし仕方ないのである。それに私は参加しないとは言っていない。大切な事なのでもう一度言いたい、私は参加しないとは言ってない。


 「承知致しました。この正木大膳、必ずや成し遂げて御覧に入れます。小田様の仰るように致せば良いので御座いますね?」


 えっ?やるの?絶対無理だと思うよ?北条家の当主はあの氏康だよ?氏政ならともかく、あの人天才だからね?絶対和睦して連合軍に奇襲かけて来ると思うんだけど?あの人奇襲大好きだし。


 「そうですね。今川殿が参るなら当家も軍を出しましょう」


 「承知致しました。小田様、この正木大膳、今一つお願いの儀が御座います」


 「なんでしょう?」


 「某、小田様の元に参るまでに土岐家、相馬家、豊島家、大掾(だいじょう)家と巡って参りました。ですが良い返事を頂く事が叶わなかったので御座います。そして皆様は口を揃えて仰るので御座います。小田様が民を返せば合力致すと」


 まさかのクレームである。土岐家、相馬家、豊島家、大掾(だいじょう)家からのクレームは無視している状態である。民を返せと言われても民が逃げて来たのは小田家の問題ではない。民に見捨てられた領主の問題のはずだ。


 「正木殿がどのような話を聞いたのかは存じませぬが、私は民を奪った事は御座いません。民が戦や過酷な取り立てや飢え、賦役(ぶえき)から逃れようと逃げて来るのです。それに逃げて来るのは土岐家、相馬家、豊島家、大掾(だいじょう)家だけではありません。小競り合いの多い国境や戦場に近い民人(たみびと)も当家に保護を求めに参るのです。村一つの民が参る事も珍しくありません。皆苦しいのです、私はこれを見捨てる事は出来ません。もし、正木殿が御疑いであれば当家をお好きに調べて頂いても構いません。私は神仏に誓って間違った事はしておりませんし、逃げて来る民の世話をしている私の家臣も同様です。土岐家、相馬家、豊島家、大掾(だいじょう)家は当家を非難しているようですが、民に見捨てられる領主が一体何を言われるのか私には理解出来ません。どんなに小さい領主でも君主である事に変わりはありません。私が彼らのように民に見捨てられたならば、それは私の恥であり、家の恥です。私だけが非難されるなら構いません。ですが、逃げて来る民の世話をしている私の家臣が侮辱されるなら私は我慢が出来ません。どうぞ、正木殿の気の済むまでお調べください」


 私は一気に言葉を並べた。土岐家、相馬家、豊島家、大掾(だいじょう)家許すまじである。里見家だって私達を利用しに来ているのに、その家からも言われる筋合いは無いのである。相手があの槍大膳であってもだ。


 逃げて来る移民の保護は赤松や飯塚が担当している。熊のような見た目をしているけどあの二人は優しい人なのだ。だから親身になって移民の世話をしてくれている。そのおかげで移民は居場所が出来、田畑を耕すことが出来、生活が立ち、暮らせるようになるのである。私も領の人口が増えるから国力を蓄える事が出来るのである。


 移民の世話は本当に大変な仕事なのだ。あの二人だからやってくれているのだ。そんな赤松と飯塚を侮辱されたような気がして私は怒りを感じていた。


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― 新着の感想 ―
里見は八犬士が居るから強いですね 皆ステータスも高いし
[一言] むしろクレーム入れてきた家を各個撃破してあげた方がいいのではw
[一言] クレームつけてる家が無条件で参加しないなら出兵中に侵略されそうだから出兵できないって言っちゃえw
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