第六十五話 信長への結婚祝い その6
翌朝の朝餉の席で帰国する話をしたのだけど、引き留められて困ってしまった。私としては婚姻の祝いはついでで、帰蝶の疑惑を晴らしたかっただけなのだ。これは私にとっては非常に迷惑だし、とても不名誉な事である。ただ、帰蝶の立場もあるから言う訳にはいかないけど。
あまりに引き留められるので、一日だけ帰国を延期する事になった。そして今日は熱田の観光をする事になった。信長が案内してくれるそうだ。雪や赤松達のお土産タイムも取れるので却って良かったのかも知れない。ただ、勝貞が渋い顔をしているので余りはしゃぐと叱られそうだけど。
私と信長を護衛する為の兵が選抜されたようで、その中に前田利家の姿もあったけど柴田勝家の姿もあった。右腕を手ぬぐいで釣っていたけど、ちょっと悪いことしたかな。目が合ったので軽く会釈をしたらちゃんと返してくれたので少し安心した。これでガンでも付けられたら厠の裏に連れて行かなくてはならない所である。
私達は織田家の兵に守られながら熱田に出発した。馬を歩かせる私の傍らには当然のように次郎丸が歩いている。それが人の目を惹くのだけど、熱田の街に入ると当然注目の的になった。馬を降りて街を散策するように皆で歩き、お店を見つけては覗いていった。雪や赤松達が楽し気にお土産を物色しているのを眺めながら私は信長に詫びた。
「次郎丸が一緒だと流石に目立ちますね、信長殿や護衛の方々に迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「何を仰いますか、この程度は容易い事です。ですが、次郎丸の噂は明日にでも京に届きそうですね。これはこれで愉快な事です」
「悪い噂にならなければ良いのですけど」
一巡りしてお土産を買い求めると熱田神宮へ向かう事になった。これは私の要望である。
私は前世で熱田神宮を訪れている。信長が桶狭間の戦いに赴く前に戦勝祈願をしたのは有名だし、熱田神宮には三種の神器の一つ、草薙の剣が祀られている事でも有名だ。草薙の剣は源平合戦の壇ノ浦の戦いで失われてしまったけど、今では形代として宝剣が祀られている。そして現代までそれが続いているのである。
私が前世で熱田神宮を訪れた時は街の中のど真ん中にあって驚いたものだ。当時の私のイメージは映像や小説で語られる熱田神宮が頭にあって都会の街並みに埋もれるようにあるとは想像していなかった。
そして今生で訪れた熱田神宮は伊勢湾に突き出すようにしてある岬にあった。私の地元の香取の海もそうだけど、干拓事業で地形が丸ごと変わってしまったせいで現代ではこの美しい景色を観ることは出来ない。今後変わってしまうのがとても惜しいと思った。平地の少ない日本で米を増産する為に埋め立てをするのは仕方のない事なんだけど。
せめて小田領側の香取の海を保存できないものかと考えながら熱田神宮内を案内して貰った。お寺は無駄に派手な装飾や金ぴかの仏像が並んでいて好きではないけど神社は良い。素朴で本当の日本の美を感じられるし、何より日本人の宗教である。神社に来ると敬虔な気持ちになる。
そうして一日をゆっくりと過ごし、翌日に帰国の途に就いた。信長と信秀は別れを惜しんでくれたけど、帰蝶は割とサバサバしていた。戦場に出ると言い出さないといいのだけど。
♢ ♢ ♢
常陸に帰国した私は信秀に依頼された布団の製作をしながら割とのんびり過ごしていた。常陸中部では久幹が頑張っているし、小田の本拠は勝貞と政貞が取り仕切っている。
下妻城は今年の冬に完成の目途が立ったと連絡が来たので楽しみである。小田と真壁の石工も石積みの技を物に出来そうだし、来年は大宝と関の城を改修する予定である。
この二城を強化すれば結城や水谷、多賀谷も手を出す事は難しくなる筈である。現在の小田家の敵国はこの三家になる。こちらから仕掛ける気は無いけど、また来るようなら領土を切り取らざるを得ないかも知れない。江戸家との戦で私の戦嫌いに皆が随分気を遣っているのがよく解ってしまった。
皆が皆、武勲を上げたいだろうし知行も増やしたいだろう。戦国大名が戦を止める事が出来ない理由でもある。私の引きこもり戦術もいつかは破綻するのだろうか?歴史を紐解いても戦を嫌う家なり国家は滅んでしまう事が多い。私も同じ愚を犯してしまうのだろうか?偶にこうして思い悩んでしまう事がある。私は歴史を知っているけど、私が関わった事で大きく状況が変わってしまった事も多い。
座卓の前でぼんやりと考えていると百地がやって来た。私と百地が挨拶を交わすと早速とばかりに百地が口を開いた。
「お言いつけ通り、今川、武田、北条に我が手の者を忍ばせまして御座います。長期との仰せで御座いましたので親子、母子を偽装し、何組か忍ばせました」
「ありがとう、風魔や三ツ者にバレないよね?」
「問題御座いません、風魔や三ツ者如きに遅れは取りませぬ。無事に忍べれば此度の目的をお話頂けると仰られましたが、お聞きしても宜しゅう御座いましょうか?」
「うん、風魔や三ツ者の警戒が厳し過ぎたら中止するつもりだったから言わなかったのだけど、百地、此度の仕事は成功しても武功にすることは出来ないけど本当にいいの?」
「忍び働きにはそのような事も御座います。お気になさらず我等をお使い頂けますよう」
「分かった、百地には悪いのだけど他言無用でお願い。勝貞にも政貞にも久幹にも内緒ね」
私は百地に念を押してから彼に目的を語った。
私が百地に依頼するのは甲相駿三国同盟を阻止するための情報収集である。天文二十三年(一五五四年)に結ばれるこの同盟は歴史上でも有名な出来事である。そしてこの同盟が結ばれると武田は信濃へ北条は関東へ、そして今川は尾張へと侵攻するのである。
これが私にとって非常に都合が悪いのである。今は北条家と今川家が争っているので北条家は力をいれて関東への進行が出来ないでいる。それに私が逃がした上杉朝定は健在で、両上杉家と里見家も敵対しているから史実通りに勢力を伸ばす事が出来なくなっている。
三国同盟が結ばれれば北条家は関東に力を入れられるのでこれを阻止したいのだ。三国同盟は善徳寺の会盟で結ばれるというのが通説だけど、ある歴史家は当主同士が集まるのはおかしいとも言うし、善徳寺ではなく興国寺城に重臣が集まって結ばれたとか幾つかの説があるのである。
私は百地に三家を見張らせて会盟を結ぶ当主なり重臣を鉄砲で狙撃するつもりである。殺害が目的ではないので馬や他のものを狙う事になるけど、鉄砲の攻撃を受ければ相手の罠だと思って引き返す筈である。そしてターゲットは北条家になる。
河東を巡って今川家と北条家が敵対しているので、その感情を利用するつもりだ。北条家に今川家の罠だと思わせる事が出来れば同盟は結ばれないし、大国同士で睨み合ってくれれば関東に力を入れる事は出来ない筈である。歴史の知識を使ったズルいやり方だけど黙っていると北条家が大きくなり過ぎて手が付けられなくなるのだ。
「三国で同盟で御座いますか?」
「うん、私がおかしな事を言っていると思って貰っても構わない。でも、何年かしたらそうなると思う。今川、北条、武田に手を組まれれば北条はきっと常陸までやって来る。だから三家を見張って手を組まないように妨害したいんだよ」
私の話を聞いた百地は暫く思案してから口を開いた。
「確かに殿の仰るように三国が盟を結べば厄介で御座います。ですが、何故御三方に秘すので御座いましょうか?」
「あるかどうか判らない同盟の妨害をするなんて聞いたら反対されそうだし、義昭殿への謀略の件もあるからね。皆に責められるのは懲り懲りだから今後は百地とだけする事にしたんだよ」
私がそう言うと百地は微笑みながら口を開いた。
「そうで御座いましたな、一国を滅ぼす謀略で御座いました。この百地、殿の下知を疑う事など御座いません。殿がそうなると仰るのならそうなるので御座いましょう」
それからは幾つかの打ち合わせをすると百地は退出して行った。私はまたぼんやりと考え始めた。私が関わった事で関東の史実は大きく変わっている。そして影響を受けたのは命を救われた上杉朝定や国を獲られた江戸忠通だけど、北条家にも大きな影響を与えている。
私が逃がした上杉朝定は健在である。管領上杉家、扇谷上杉家、共に未だに生き残っていて、上杉朝定の家臣である太田資正も健在だ。史実での北条家が上杉憲政を関東から追い出すのが天文二十一年(一五五二年)だからあと二年ちょっとだけど、北条家も両上杉家に苦戦していて河越から勢力を伸ばせないでいる。
現代人の私や歴オタの同好の士が持つ北条家のイメージは関東最強である。現状でも伊豆と相模、そして武蔵と下総の半分を領有している大国である。だけど現実には彼等も同じ人間で特殊な能力を持っている訳では無いから別に無敵な訳では無いのだ。そしてなにより北条家は関東では余所者である。
北条家の祖である伊勢宗瑞は戦国大名の先駆けとして有名だけど、彼は備中の出である。堀越公方、茶々丸の討伐を幕府から命じられて伊豆討ち入りをしてから永正の乱で相模を盗ったのである。
彼の息子である伊勢氏綱が北条を名乗ったのは鎌倉時代の執権北条家にあやかっての事である。執権北条家は将軍の補佐が仕事である。伊勢氏綱はこれに倣って北条を名乗り鎌倉公方である足利氏を補佐すると主張したのである。
そしてこれに怒ったのが関東管領の上杉家である。何故なら関東管領の仕事が鎌倉公方の補佐だからだ。そして今川義元と武田信虎が今川家と親戚関係である北条氏綱を差し置いて同盟を結ぶと、これに怒った北条氏綱が駿河に攻め入るのである。
有名な河東一乱が勃発するのだ。そして上杉家は今川家と武田家に協力する形で北条家を攻めるのだけど大敗北となり河越城を奪われる事になる。
そして小弓公方、足利義明と争っていた古河公方、足利晴氏から北条氏綱に救援要請が入るのだけど、北条氏綱からすれば又とないチャンスだったのだ。北条家は余所者である。だから関東を統治する正当性が弱かったのだ。
古河公方の命令で小弓公方を討つという大義名分を得たのだ。そして始まったのが第一次国府台合戦である。この戦に勝利した北条家は勢力を盤石なものとするのである。
だけど、北条家は余所者であるという意識が関東の各家では根強い。私が上杉朝定を逃がしたせいで両上杉氏は健在で、関東の家々は関東管領である上杉氏に味方する者が多いのである。
そして上杉家は別に弱い訳ではない。現代人の私達からすれば滅びた家だから錯覚してしまうけど関東管領の権威は絶大だし、ずっと戦をしているから将も兵も強者が多いから弱い筈がないのである。
だから史実のように北条家が上杉家を切り崩す事が出来ないでいるのだと思う。史実通り上杉朝定を討ち取っていれば扇谷上杉家は断絶となって北関東は北条家の草刈り場になった筈である。そんな訳で、北条家が史実とは違う状況になってしまったのだ。
そしてここから先がどうなるかは判らない。結城と江戸との戦にも勝ってしまったし、北条家の運命も狂わせてしまった。ここからの情勢で歴史の知識を利用できそうなのが三国同盟くらいなのである。
ただ、これが成功すると信長の桶狭間が無くなる気がする。そうなると三河で松平元康が独立する事も無くなるし、そうなると信長は美濃に侵攻出来なくなるかもしれない。上方の歴史が変わってしまうと信長の五畿制覇が無くなってしまうかもしれない。
かと言って、私も家臣や領民を守らなければならない。情けない話だけど、私は自分と皆の生活が一番大切なのだ。もう歴史は変わってしまっているし、悩んでも仕方が無いのだけど。




