第百七十五話 箕輪城の攻防1 女子衆
―――翌日。
私達の軍勢は、義昭殿と信長の軍勢と共に箕輪城に出陣した。信長は私と轡を並べたり、義昭殿の所へ行ったりと、動きの激しい子供のようにとても落ち着きがない。次郎丸の方が余程落ち着いているのが面白い。前から私達と戦がしたいと言っていたし、文でもその事をよく書いていたから気持ちは解るけど、史実の信長のイメージと違い過ぎて今更だけど可笑しかった。
その信長の後を前田利家や池田恒興が困ったような顔をして付いて回っていた。そして例の太田牛一もである。太田牛一を私が意識し過ぎているせいか、どうしても視線を外せなくて、彼がやって来ると目が合うのだ。その度に彼はビクッとして目を逸らすのだけど、その様子を見て私は益々疑念を深めるのである。ゴシップ記者に見えてしまって、落ち着かない。こうなったら隙を見て太田牛一を締め上げるしかない。どうやって因縁をつけようかな?
そうしているうちに箕輪城が見えて来て、前世で見た箕輪城との違いに私は驚愕した。前世では無かった榛名沼に挟まれるように城があって、石垣は無いけれど、曲輪の全てが板壁に覆われていて、外曲輪の堅固さに目を見張った。そして二の丸と本丸が崖のようになっていて、平山城とは思えない威容を晒していた。この城自体が長野業正という人物を表しているように感じられた。これは大変だと感心していたら、隣に居る信長が口を開いた。
「これは何とも見事な。この城に音に聞く長野殿が籠られるのであれば、さぞ守りは固い事でしょう」
「地形も厄介ですね。川や榛名沼に挟まれるようにありますし、搦手も細くて攻めるのは容易ではないですね。大手門を攻略しないといけませんが、あそこを抜くのは苦労しそうです。信長殿ならどうされますか?」
私の質問に信長は即答した。
「降伏の使者を送り、どうにかして降そうとすると思います。あれを力攻めするのは骨が折れますね。やるのであれば、此度、義昭殿に降った上杉の兵を使って先ずは様子を見ます」
ふむ。私と信長は意見が合う。史実の信長は若い頃は少数の軍勢を率いて何度も戦をした記録がある。特に桶狭間の後の斎藤家との戦では、少数で西美濃に攻め込んで、勝ったり負けたりを繰り返していた。機動戦を好むと思われる信長らしい戦い方だけど、この世界線の信長は慎重な感じがする。
機動戦といえば、もう一人の武将を思い浮かべる。松平元康だ。彼を題材にした小説やドラマでは語られていないけど、三河で独立した松平元康は西三河に勢力を伸ばしていた織田家に与する国人達と激しく戦っていた。そして若くて未熟なはずの松平元康は素早い移動と殴撃を繰り返して、西三河の国人を次々と撃破して行くのだ。その力量を見て信長は同盟するに足りると判断したのではないかと研究者は見ているのだ。思えば、小牧、長久手の戦いでの行動でもそれが見て取れると思う。信長と松平元康との同盟は小説やドラマではさらりと流されるけど、常識で考えれば松平元康に力が無ければ信長に攻め滅ぼされていた筈である。力があったから同盟を結んだと考えるのは、ごく自然な事だと思える。彼が元服するのは来年だけど、西三河を尾張織田家が制しているから彼はどんな未来を歩むのだろうか?
そんな事を考えながら、私は信長の意見を肯定した。私と信長は箕輪城の攻略を議論しながら大きな寺に置かれた義昭殿の本陣に入ったのである。小田家の軍勢は既に包囲に参加していて、私の本陣は放棄された砦に置いたと勝貞から報告を受けた。私と信長は佐竹家の軍議にそのまま参加して、暫くは包囲のみで箕輪城の周りを固める事が正式に決定した。攻撃は明日の早朝からで、義昭殿に降った上杉家の軍勢や家臣や国人達が担う事になった。
私は義昭殿に降った上杉家の領地の治安維持を申し出て、盗賊や乱暴者の排除をする事になった。義昭殿からは捕らえた人達は金山送りにするから全て佐竹領に送って欲しいとお願いされた。義昭殿、容赦無しである。
軍議が終わると、私は小田家の本陣が置かれた砦に入った。厩橋城と同じように整えられていたそうで、まるで使えと言わんばかりである。侍女や小者達が忙しく働いている中を私は広間に歩を進めた。重臣が勢揃いしていて、これから小田家の軍議を行う事になる。いつもは居る一門の五人が居ないので、席順が変わっていたのが印象的だった。私は佐竹家の軍議で決まった事を皆に報告した。私の話が終わると勝貞が口を開いた。
「佐竹様の戦で御座いますので、仕方ないかと存じますが、野盗共への仕置きは良いかと考えます。暫く戦も無かったので、若手にお役目を与えるのが良いかと。野盗共が相手でも戦の呼吸を学ぶ事が叶います」
「そうだね、戦が無いのは良い事だけど、若手が経験を積めなくなるのは痛いね」
確かに勝貞の言う通りだと思う。次代の人間も育てないといけないから、勝貞の提案を採用しよう。半兵衛はどうしようかな?私が思案していると久幹が発言した。
「勝貞殿の申される通りで御座います。真壁の家では百地殿にお願いして奥州で小競り合いが起これば若手に戦を見に行かせて居りますが、遠過ぎて参った頃には戦が終わっている事が多々ありまして困っているのです。以前の某は御屋形様をお連れしてよく戦を見に参ったものですが、坂東は相模と上野以外は全て当家と佐竹様の領地。戦を見に参るには遠方に出向くしか御座いませぬからな。此度は若手にお役目を与える事に賛成致します」
そういえばそんな事もあったっけ。久幹は嫌がる私を無理やり戦の見学に連れて行くのだ。何回も何回も。初めて人が死ぬところを見た時は卒倒したものである。あの頃は大名や国人が割拠していて、年中小競り合いがあったけど、今では小田家と佐竹家で関東を統治しているから小競り合いなんて無いしね。
「分かった。明日は最初の城攻めがあるから、主だった若手にはよく見るように命じて欲しい。野盗や乱暴者の仕置きはその後かな、半兵衛は勝貞と久幹に付いて戦を学んで欲しい。書物では得られない事を多く学べると思う」
私がそう言うと半兵衛は「承知致しました」と頭を下げた。
「それは責任重大で御座いますな?」
勝貞はそう言うとカラカラと笑った。勝貞は荒っぽい戦を好むし、久幹は知恵を絞るタイプだから両極端で教育には丁度いい。
「赤松と飯塚はどうするの?お金とお銀も来ているのでしょ?」
私がそう問うと飯塚は後ろ頭を摩りながら答えた。
「某は出しとうないので御座いますが、お銀は聞き入れませぬな。他家の者が参るならお銀も参ると申すでしょう」
渋々といった様子の飯塚に続いて赤松も悩まし気な顔をして言う。
「お金も参ると思われます。某には止められませぬ。桔梗殿や雪殿のようになるのだと、常から鍛錬致しているようで御座いまして、無茶をせぬか案じて居ります」
飯塚と赤松の様子を見て皆が笑った。その中で豊田と野中は顔を顰めているけど、彼等の娘も城代だから参加する事を危惧しているのだと思う。
「領地を取り過ぎて土地を治める者が足りなくなり、女子の城代が増えましたからな。この様な言い方は良く御座いませぬが、下位に甘んじていた譜代の家にとっては女子であっても城代に変わりは御座いませぬ。城を任されたからには責任も御座いますれば、男女の別を付けるのは宜しく御座いません。統治の手伝いだけをさせたとあっては気の毒で御座います」
「岡見様の御言葉に光秀も賛同致します。このような言い方は良くないと存じますが、上がって来る訴状などを見て居りますと、女子衆が記した書付などは良く纏められており、太政官の皆が感心して居ります。また、女子だけあって慈悲深いようで、細かい気配りも多く御座いました。間違いなく内政の功を挙げているので、戦は駄目だとは申し上げ難いと存じます」
「岡見と光秀の言う通りだね。男女の別は付けない、お役目として命じて欲しい。郎党も付いているのだから心配ないよ。豊田、いいよね?」
「致し方ありませぬな。娘のお転婆に困って居ったので御座いますが、此度のお役目で益々盛んになると思うと頭が痛う御座います。戦が決まると某が留守の間に娘が屋敷を訪れ、某の気に入りの槍を持ち出して去って行ったそうです。某の槍は今頃どうなっているのやら、長さが合わぬと勝手に切り詰めていないか案じて居ります」
豊田は腕を組んで不機嫌そうである。そんな豊田の様子を見て、久幹が笑いながら言う。
「陣中に女子が多いので華やいでよう御座います。此度の戦ではお付きの侍女も多く参っている様子で、具足に得物を携えて居りました。女子が居ると雑兵共も張り切りますし、良い事も御座います。郎党に軍勢も付いて居りますので、野盗ずれに後れを取る事も無いでしょうからご安心召されよ」
「真壁殿は気楽でいい。当家の娘も此度の戦では手柄を挙げるのだと張り切って居りまして、当家伝来の薙刀を勝手に持ち出し、某が止めるのも聞かずに去って行きました。この野中は無茶をすまいか案じて居るのです。ですが、確かに良い事も御座いますな?娘には婿を取るので手元に置く事が叶います。他家に可愛い娘をくれてやるより余程いい」
野中の発言を聞いて、再度皆が笑った。何だか、娘を想う父親の悲哀を感じるけれど、当の娘達は父親の気持ちは全く理解していないと思われる。嫁入り前なら、十五か十六くらいの年齢だし、彼女達からすれば青春のど真ん中である。政略結婚や本来の武家の娘の在り様から解放された娘達の心中は私にもよく理解出来る。討ち死にや怪我は心配だけど、そんな事を言っていたら箱にでもしまっておかなければならない。現代だって事故で多くの人が命を落とすのだから、心配ばかりしていては道を歩く事も出来ない。久幹の言うように郎党も付いているだろうから滅多な事は起きないと思う。
「此度の戦が初陣になる者も多いと聞いて居る。菅谷の一族でも六名の者が初陣致す者が居るが、甘やかしてはならぬ。お歴々が様々に案じて居るのはこの勝貞もよう解っては居るが、だからと申して甘やかしては当人の為にならぬ。此度の戦は勝ちが決まったような戦ではあるが、侮らぬように厳しく申し付けて貰いたい」
ご意見番のような存在になっている勝貞の言葉に、皆は「応!」と一斉に応えた。小田家も昔とは違って生活が豊かになって、譜代の家も人が足りないから外部から家臣を登用して家が大きくなっている。豊かになると子供を甘やかして育てる人も出て来るから勝貞はそれが心配なのだと思う。最近の勝貞は「今時の若い者は」が口癖になっているようだけど、いつの時代もこういう所は変わらないようだ。この後は細々とした雑事を決めて解散となった。
翌日の早朝。私は義昭殿が野外に設置した本陣に信長と訪れた。丘の上に設置された本陣からは、大手門の様子が良く見えた。攻め口は大手門と搦手の二つだけ、搦手は細いし、大手門はそれなりの空間があるけれど、それ以外は広い沼が堀の役目をしていて敵方も大手門の防御に集中出来る構造になっている。この大手門を抜かないと二の丸には行けない。
義昭殿は野外の本陣を幾つも造っているようで、小田野殿に理由を聞いたら本陣を特定されないように工夫したそうだ。佐竹家でも戦略や戦術を研究しているそうで、大軍を擁するようになった佐竹家と戦う大名は、本陣狙いの突撃を仕掛けて来る可能性が増えるだろうと考案したという。何気に画期的なので、その話を聞いた私と信長はとても感心したのである。
そうして忙しそうに伝令が行き交う義昭殿の本陣から少し外れた場所に私と信長は移動して、戦の様子を見る事にした。私には久幹と半兵衛、百地に桔梗が付き従い、信長には尾張から連れて来た若手がぞろぞろと付き従っている。
信長は半兵衛が気になるらしく、さっきからチラチラと半兵衛に視線を動かしている。とても危険な香りがするのである。信長はあっちの道も達者過ぎるので、半兵衛が狙われていると思われる。柴田勝家を初めとする他の家臣も半兵衛を見ていた。そういえば、織田家はその道の人が多かったのを思い出して、半兵衛の貞操の危機なのではないかと不安になった。
その様子を必死に帳面に書き付けている太田牛一の存在を私は見逃さない。一体、何を思って書いているのか本当に気になるのだけど、彼を締め上げる機会が訪れる事を期待したい。具体的には、一人になったところを襲撃して、穏やかな話し合いをして帳面を取り上げたい。
そんな事を危惧したり、考えたりしながら戦が始まるのを待っていたら、雪が城代の女子衆を引き連れて来た。若い子ばかりで、皆は目を爛爛と輝かせていた。私は信長に断りを入れて、少し移動して場所を移してから私は彼女達の挨拶を受けた。挨拶が終わるのを確認してから雪が口を開いた。
「御屋形様。此度はお願いに参ったので御座います。此度の戦、我等の出番があるとは存じますが、その際には皆様方にも出番を与えて欲しいのだそうで御座います。皆、うら若き乙女で御座いますので、この雪も迷ったので御座いますが、話だけでもと申されるので連れて参りました」
そんな気はしていたけど、城攻めは危ないんだよね?皆は若くて元気で怖いもの知らずなのだろうけど、うちの出番があるなら総力戦にするつもりだから未熟な者が軍勢に入る余地はないのだ。面子を見ると、鉄砲衆を預かるお金とお銀が居ないので、この子達は白兵戦をやるつもりらしい。
「う~ん。皆の気持ちは解るんだけど、此度の城攻めは初陣の皆には荷が重いと思う。野盗や乱暴者の仕置きでは不足なのかな?蘭、咲子、豊田と野中が得物を持っていかれたと嘆いていたよ?戦があるから張り切っているのは解るけど、少しお転婆が過ぎると思うよ?」
「この蘭は御屋形様から城を任されました。城を任されたからには小田家の将としてお役目を果たしたいので御座います。父上は女子は戦場に立つ必要は無いと申されましたが、蘭は幼き頃から武芸に励んで参りました。決して男に遅れは取りませぬ!」
「御屋形様。この咲子はお蘭殿と心を等しくして居ります。御屋形様のおかげを持ちまして、我等は女子ながら城代に任じられました。任じられたからにはお役目を果たしたいと存じます」
なんて気が強いのだろう。私なんか怖くて白兵戦なんて出来ないのに、戦国の女は恐ろしい。豊田と野中の気持ちが解る。私は押しに弱いから説得は無理っぽい。他の子達も決意が固そうである。私は助けを求めるように後ろにいる久幹を振り返った。私の顔を見て察した久幹は、苦そうな顔をして口を開いた。
「皆様方、此度の戦は佐竹様の戦。従って我等が如何こう致す訳には参りませぬ。皆様は先ず命じられたお役目を果たすべく励まれよ。それに戦の差配に物申すのは宜しくない。此度の軍配は某が預かって居りますが、お役目を選り好みする者に軍勢を預ける訳には参りませぬ。そう心得られよ」
威厳たっぷりで久幹がそう言うと、勝気そうな目を輝かせながら蘭が口を開いた。
「では、野盗を退治て参れば宜しいのですね?蘭は必ずや野盗の首を獲って参りましょう。武功を持って、次の武功に繋げよと真壁様は仰るのですね?」
「いや、その様な事では……」
「なる程、真壁様の御言葉には一理御座いますね。真壁様が申されるように咲子も励みましょう」
咲子はそう言うと、振り返って彼女の後ろにいる城代の女子衆に言った。
「皆様、聞いての通りで御座います。先ずは与えられたお役目に励むと致しましょう」
「―――待たれよ!某はその様なつもりで申した訳では」
静止するかのような久幹の言葉を遮るように蘭が言葉を被せて言う。
「では、皆様、本日は戦をよく見るようにとのお達し。ここでは御屋形様に無礼で御座いますから場所を変えましょう。御屋形様。本日は大変お騒がせ致しまして申し訳御座いません。これにて失礼致します」
そう言って、城代の女子衆を急かすように去ってしまった。久幹は女子衆の背中に声を掛けているけど、ガン無視である。なる程気が強い。真壁の威圧が全く通じないどころか、久幹から言質を取ってさっさと撤退してしまう所は策士と言わざるを得ない。久幹は待って!行かないで!のポーズで固まっていた。私は側で見ていた百地と桔梗に視線を送ると、二人は同時にかぶりを振った。こういう場合、この二人は絶対に関わって来ないのである。
「どうするの久幹?」
「いや、どうすると申されましても」
「鬼真壁が手玉に取られるのを初めて見たけど、勝貞にバレたら久幹は叱られるかもね」
「何を仰いますか!御屋形様が止めぬからこうなったので御座います!」
「しくじったのは久幹でしょ?それに、誰をどう使うかは久幹が決めるのだから」
「そうで御座いますが、少しは某を助けようとは考えぬので御座いますか?御屋形様の為に致したのです。それにしても何と気が強い娘達であろうか、某の話を全く聞いて貰えませんでした。豊田殿や野中殿の御気持ちがよう解ります」
「どの道、戦場には出せないよ。私達の出番があるかは判らないけれど、私と久幹で練っている軍略の邪魔になってしまうから、此度はあの子達の出番は無しかな。久幹が命じるしかないよ、私は久幹に軍配を預けたのだし」
私にそう言われた久幹が肩を落としていると、この場に残っていた雪が遠慮がちに口を開いた。
「真壁様。雪が余計な事を致したようです。どうぞお許し下さい」
雪が久幹に頭を下げると、久幹はかぶりを振った。
「いや、雪殿には落ち度など御座らぬ。豊田殿と野中殿に相談致します。それより雪殿は抜かりなく鉄砲衆を纏めて頂きたい。此度は手塚殿の弓衆も当てにして居りますれば、手塚殿にそう伝えて頂きたい」
「承知致しました。そう伝えましょう」
私と久幹は雪と幾つかの確認と話をして、信長の元に戻る事にした。戦の前から色々あって、今回は気苦労が多い気がする。疲れた顔をした久幹を半兵衛がじっと見ていた。その視線に気付いた久幹は、何とも言えないといった顔をしていた。
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