第百五十五話 今後の方針
太原雪斎は諦めたようだけど、他の諸国は生き残りに必死なようである。これで何度目だろうか、上杉憲政から使者がやって来て、私への謝罪と、どうにか義昭殿を止めて欲しいと懇願して来たのである。義昭殿は上杉憲盛に上野を平定すると宣言していたから、同盟者である私を通じて戦を回避しようとしているのだ。
平身低頭する上杉憲盛が気の毒にも思えたけど、山内上杉家の残りである三十四万石を獲れば義昭殿の領地は九十七万石、ほぼ百万石になるのである。上杉憲政や太田資正の件があるし、義昭殿にも領土拡大の野心があるので私に止められる筈がないのだ。それに私は上野は義昭殿に獲ってもらいたいし、協力も約束している。
それと、信長にも上杉憲政と太田資正の件が知れて、彼は激怒したそうだ。そして上野攻めには信長が陣借りをして私と義昭殿と戦うと言って来たのだ。私の為に怒ってくれたから断れないし、嬉しくも思っている。ただ、出来るだけ穏便に済ませてもらうつもりである。そういう経緯もあって私がやんわりと断ると、上杉憲盛は落胆し帰って行ったのである。広間から出ていく彼の背中を見送ったけど、多分また来ると思われるので私も頭が痛いのだ。
ちなみに上杉朝定は上杉憲政から屋敷を与えられてそこで過ごしているそうだ。そして太田資正は一族ごと追放されたようである。上杉憲政からすれば、太田資正に唆されたと考えたのかもしれない。太田資正の足取りを追うほど私も暇ではないのでどうしているかは不明である。ただ、百地が全力で彼等の評判を落としているから再仕官は難しいと思う。
武田家からは同盟の使者が来なくなったけど、代わりに武田晴信からの書状が毎月届くのだ。内容はひたすら私に平身低頭するもので、戦を回避したい晴信の胸中が丸見えのものであった。史実でも信長に同様の書状を送ったと記憶しているけど、武田家の佐久攻めや諏訪での蛮行はこの時代の人々が憎む程である。
武田家は占領した土地の名主や郷士を根絶やしに殺して、自身の親族などを強引に婿入りさせたり、奪った土地からは財産を奪い、女子供は全て戦利品にし、逆らう者が居れば村ごと皆殺しにするといった蛮行を行っている。佐久の志賀城攻めでは捕虜にした三千人の雑兵を殺して、その首を志賀城の城兵に見せつけるように並べたのである。これらの蛮行があるので、武田晴信は近隣からとても憎まれているのである。そんな家とは交流する訳にもいかないので、私は返書すらしていない。小田家が武田家に劣る家なら外交もしたけれど、今や国力は小田家の方が遥かに大きいので無視である。
史実の信長も蛮行では有名な戦国大名である。だけど、私と出会った信長は史実で伝えられる人物とまるで違ってしまっている。もうこの世界線と言っていいと思うけど、私が知っている史実とは大きく変化している。それを再度私に強烈に印象付けたのは信長だ。信長から届いた文には私が民に対して行った救済活動は間違いなく世を変えると記されていたからである。
転生者の私でなく、信長がそう感じたならこの時代の人に私の行為が理解されるという事なのだ。もしかしたらこの戦国時代の有りようを変える事が出来るかもしれない。私は信長の文を読んで淡い期待を抱いたのだ。私の活動を噂で知った宗久殿や津田宗達、日比谷了慶からの文には町衆から絶賛されていると知らせて来ているし、小田領の治安を目当てに耳の早い商人は集まって来ているようだ。そして信秀を仁君に仕立て上げると記されていたのを読んだときには笑ってしまった。でも、これは織田家が善政にシフトするという事だし、私としては大歓迎なのだ。史実の信長も領民には寛大であったから期待が持てるのである。
今から他国の領民が流れ込んでくるような政策をとっていれば、一向一揆も防げるし、長島の戦でも多くの百姓が集められる事も無くなると思う。長島一向一揆は一応は攻略法があると私は考えている。長島一向一揆が発生した背景には一五七〇年に起こった石山合戦がある。本願寺法主の顕如が石山本願寺に篭もって信長と戦ったのは多くの歴史ファンが知るところだと思う。これを切っ掛けにして、信長は本願寺派と戦になるのである。だから順番を変えればいいのだと私は考えているのだ。
今は一五五三年だから、鉄砲が多く出回る前に短期決戦で長島を落としてしまえば大勢の門徒衆が立て籠らないだろうし、雑賀の傭兵も派遣されてくる事は無いと思う。それと重要なのが伊勢大湊の会合衆で、長島一向一揆勢の後方支援をしていた事は有名な事実である。この会合衆と今からパイプを作るのも手だと思う。一向一揆勢の殆どは民百姓で美濃や尾張、伊勢から集まった人達である。だから善政を敷き、民が十分に食べられれば戦になんか参加しないと思う。どちらにしても、立て籠もられる前に侵攻すればいいのだ。
ただ、侵攻の順番を変えて長島を獲ったとしても、その後の展開が全く読めなくなるので信長包囲網が早くに敷かれてしまう可能性がある。ならば石山合戦を奇襲的に仕掛けて本願寺顕如を捕らえた方が合理的かもしれない。どちらにしても徹底的な善政を敷いて民が一揆に参加しない環境を作る、一度の奇襲で本願寺の指導者を捕らえる、情報操作で本願寺やその他僧侶の悪行を世の中に伝え続ける、そして私が信長と領土を接して彼を支える。これで何とかなりそうな気がする。
一向一揆が本格化するのはこれからなので、今は善政を敷いて、民から信頼を得る事に注力すべきだ。私はその考えにぼかしを入れながら文にしたためて信長に送ったのである。文には宗教勢力の脅威とその警戒、そして対策の必要性を訴えたのだ。情報操作は私が主導する事にして、百地にお願いして民が一揆に参加しないように本願寺一派の悪い噂を流してもらっている。今のこの時期から始めれば大きな効果が期待できるのである。
歴史が示す通り、宗教が人を救う事は無い。むしろ、人を争いに駆り立てて多くの善良な人間を殺すのが宗教であるのは歴史を知る者なら誰もが理解する事だと思う。高僧と呼ばれる者は日本だけではなく世界中の者が権力欲や色欲に溺れた者である事は歴史が記録している。特に現代の日本人の歴史好きは冷静にそう考えていると思う。欧米などでは神の存在を本気で信じている人が多数派だけど、戦国時代の民百姓である彼等も日本人である。悪行に対する忌避感はとても強いので、情報操作で誘導すれば直ぐに気が付くと思われるのだ。現に私の領地ではお寺よりも私の吉祥天様の御堂に多くの人が集まるのだ。それは私が善政を敷き、民に利益を与えているからに他ならない。現世利益とは偉大なのである。
私がそんな事を考えていると、上杉憲盛が帰っても動かない私を心配して政貞が声を掛けて来た。私はこの場にいる政貞、百地、光秀、桔梗を誘ってお茶にする事にした。自分が有利な外交だけど、相手の心情を考えると心が削られるのだ。桔梗が紅茶を入れてくれ、椅子に座るのを確認してから紅茶を頂いた。ようやく人心地着いた気持ちになっていると政貞が問いかけて来た。
「御屋形様、上杉とはもうお会いにならない方が宜しいかと存じます。御屋形様の御心が乱れるばかりで御座います」
「うん、私もそう思う。此度を最後にして会わない事にする」
「そうして頂けますと、某も安堵出来まする。それにしても大国になった途端、使者が増えましたな?こう途切れる事無く参られると面倒で御座いますが。当家を恐れての事でしょう。ですが、こうなると哀れにも思えまする」
「力を持ったら持ったで大変だよね?そっとしておいて欲しいのだけど、私が彼等の立場なら同じようにすると思うから責める気にはなれないかな?」
「何れにせよ、上野攻めは佐竹様との約束で御座います。上杉が佐竹様に降ってくれれば良いので御座いますが、どのような結末になるかは判りませぬな?」
「力の差は明白。あとは上杉憲政様の決断になるのだけど、そう簡単には決められないよね?でも、義昭殿は上杉憲政様を許さないと思うし、信長殿も当家に陣借りしに参るそうだから荒れそうだよね?なるべく穏便に済ませたいから政貞も力を貸して欲しい。上杉憲政様は降る以外に道が無いとは思うけど?」
「承知して居ります。戦の度に族滅など致していては人としての心を失うばかりで御座います。かの頼朝公は相国殿から助命され、平家を討ち滅ぼしました。その教訓から士族を根絶やしにする者も居るようで御座いますが、行き過ぎた考えだと某は思います」
政貞はそう言って紅茶に口を付けた。小田家では戦で捕らえたり降ったりした者は仕官してもらうか放逐する事にしている。これは私の主義であるのだけど、この話が広まれば戦になっても徹底抗戦しなくなるとも思えるのだ。捕らわれれば殺されると考えれば誰でも死ぬまで必死に戦うと思うし、逆に必ず許されるなら降伏もしやすいと思う。
「あと四月で収穫になって、私達も領民もようやく一息付ける。そして来年の刈り入れの後は上野での戦だけど、それまでに備えをしないといけないね?」
私がそう言うと光秀が口を開いた。
「御屋形様。その戦ではこの光秀に武功を挙げる機会は与えられるので御座いましょうか?」
光秀には鉄砲衆を任せている。鉄砲が年々増えていき、今では千丁の鉄砲を小田家は保有しているのだ。鉄砲上手の光秀を使わない手は無いので、今年生産される二百丁の鉄砲を預ける事にしている。今は光秀に回した鉄砲の一部で明智鉄砲衆を組織している所である。光秀は物凄く喜んでいたから戦で試したいのだろうな?
「義昭殿の戦だから私達は裏方になると思うよ?何れ出番は来るから光秀はそれまで我慢かな?今は先達の桔梗や雪に教えを乞うといいよ。この日ノ本で大勢の鉄砲撃ちを率いて戦をしたのは桔梗と雪だけなのだから」
「左様で御座いますな。桔梗殿から学び、鉄砲衆の修練は致して居りますが、早う試しを致したいもので御座います」
そう言って頬を緩めた光秀だけど、普段は政貞と共に政務に忙殺されている。流石は三傑に匹敵すると言われるだけあって、政貞に教えられた事をどんどん吸収して、今では幾つかの仕事を任されるようになっている。ただ、ワーカホリックの気があって、注意しないと屋敷に帰らない事もしばしばなのである。
当初は仕事を押し付ける事が出来て喜んでいた私と政貞だけど、光秀の仕事へののめり込み方が凄くて、途中で慌てて仕事を減らしたのである。そして当然明智家中も光秀の仕事を手伝う訳だから彼等も激務になるのである。光安が目の下に隈を作っていたのが印象的だった。でも私は悪くないと思う、ちゃんとケアしてるし?
史実の明智光秀は放浪生活を経て三傑に匹敵するほど成長するのだけど、私が関与した事でそれらは消滅した。これからは小田家で仕事をして成長して貰わないといけない。彼がどんな人物になるのか今から楽しみである。光秀には美濃の人材を引っ張れるだけ引っ張るように指示をしているから、何れは斎藤利三や妻木広忠が来るかもしれないのでそれも楽しみである。
「話は変わるけど、今川殿の行動が気になるんだよね?雪斎殿が河東に執着するのは解るけど、同盟相手の武田家ではなく、当家にばかり援軍要請して来る。武田家とは婚姻同盟も結び直したようだから武田家に援軍要請すべきだと思うのだけど……。何れは河東なり信濃なりで大きい戦が始まりそうな気がする」
「今川家なり武田家なりが動いたらどうされる御つもりで御座いますか?先の佐竹様とのお話では甲斐に攻め入るやも知れぬと申されて居りましたが?」
政貞の質問を聞いて私は考える。甲斐は獲りたい。何れは今川義元と戦をする可能性が大きいのだ。北条氏康にお願いして領地を通らしてもらうか、甲斐を獲って信長と今川家を挟撃するか今から考えておかないと信長の戦の支援が出来なくなってしまう。桶狭間は無くなった。信秀と信長は三河を狙っているから今川義元と激突するのは容易に予測出来る。武田家の厄介なところは領地が山に囲まれていて天然の要害である事だ。大軍で押し潰す事が難しいのである。
「―――う~ん。出来れば武田家が他国に攻め入ったら都留郡を獲りたいかな?甲斐への入り口を確保して、金山金山と黒川金山を押さえたい。実は皆には話していなかったのだけど……」
私は甲斐を獲って信秀と信長の戦の支援をしたいと考えている事を話した。甲斐を獲るには入り口を確保する事、武田家の資金源である金山を押さえる事、入り口さえ確保出来れば持久戦に持ち込んで甲斐を平定する事が出来る事などを話した。
「まだ誰にも話していないから、重臣を集めて皆に相談しないといけないかな?」
「尾張織田殿で御座いますか、確かに領地を接すれば当家の守りも硬くなりまする。某は獲るなら相模が良いと考えたので御座いますが、北条殿には手を出されぬと先の雪斎殿にも話されて居りましたな?」
政貞にそう言われた私は少し逡巡した。甲斐を獲ってわざわざ山を行軍するよりも相模を獲って街道を行く方がいいに決まっている。だけど、北条氏康には生き残ってもらいたい。伊豆に押し込めてしまうのも手だと思う。正直悩ましいのだ。
「それも含めて皆と話したい。私の勝手ばかりにはならないだろうし、実際戦をするのは皆だから。それと百地。武田家の狼煙場の位置を今から押さえて欲しい。戦になったら潰せるように策も講じて欲しいかな?攻めるとしたら武田晴信が出陣している隙を突きたいからね」
「武田家の狼煙場の数は多う御座います。いざ戦になれば我らが襲撃し、報せを送れぬように致せば宜しいかと?占拠し続ける事もあるまいかと存じます」
「それでいいよ。都留郡さえ獲れば軍勢を中に入れる事が出来るから、後は数で押し切れるからね」
信長への支援は必須だから、どの道侵略戦争をしなければならない。義昭殿の上野攻めまでに皆の意見を纏めよう。
投稿が遅くなって申し訳ございません。帰蝶編が不人気なようで、色々考えていました。まだ書けていませんが、二話ほど書かないと収まりが付きません。書き溜めも全く進んでいなく、非常に中途半端な状態です。どうにか投稿は続けるつもりなのですが、少し間隔が空くと思います。




