表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
137/177

第百三十七話 戦の後始末


 長い戦が終わり、私はようやく小田に帰って来る事が出来た。皆も遠征は疲れたようでホッとした顔をしていた。山内上杉家とは上杉憲政に上杉朝定、太田資正と交換に武蔵の残りの領地を貰って停戦となったのである。結局三人の顔は見なかったけど、私は当然会う事を望んでいないので全く問題なしである。でも、死ぬまで恨まれそうである。きっと根に持って色々謀略を巡らすとは思うけど、軍事力では絶対負けなくなったので私はお気楽なのである。


 里見義尭は放逐する事になった。正木時茂から伝え聞いた所によると、正木時茂は里見義尭に御家を保つために小田家に仕官を進めたそうだ。だけど、領地を獲られた家には頭を下げられないと断固拒否したという。正木時茂は仕方なしに知古である長野業正を頼る事にしたらしい。里見家の家臣の殆どは小田家に仕官する事になって、後味が悪いけど決着が付いた形である。


 義昭殿は上杉家の平井金山城を譲渡されてご満悦だった。平井金山城は平井詰城とも呼ばれ、上杉家の逃げ城である。これを獲ると獲らないとでは今後の戦略も変わるので良かったと思う。今回の義昭殿は下野で十八万石、上野で十五万石と美味しい領地を切り取る事に成功している。元の領地と合わせて六十三万石、大躍進である。義昭殿とは上野の侵攻は領内を整えてからという事で合意した。義昭殿も領地が倍になったし、私は三倍である。戦どころではないのである。


 帰りの際には私と義昭殿はしばらくは忙しくなるので会えなくなると別れを惜しんだ。ならばと義昭殿と佐竹家の主だった将に小田城に寄ってもらって、酒宴を開いたのである。滅多にない勝ち戦も手伝って皆は大いに酔ったようである。義昭殿も随分飲んで、これで信長殿に自慢出来るとご機嫌だった。佐竹家の家臣とは戦の度に酒宴を開いているけど、小田家の家臣とも仲良くなっていていい感じである。


 そして話題は当然の如く演技自慢である。でも、この話は凄く面白かったのだ。それぞれの城には当然違う人が留守を預かっているので、十人十色で演技に対する反応が違うのだ。それを演技を担当した人達が一人ずつ話を披露したけどとても面白かったのである。義昭殿の話も面白くて、嫌な役を小田野殿に押し付けて、小田野殿が敵将を口で負かすのを見て気の毒になったと笑っていた。だけど、このピンポン奪取作戦は悪鬼の所業であると締めくくられて、また私が悪者になった感じである。


 義昭殿から信長と聞いて思い出したのが尾張の統一戦だけど、あの親子なら大丈夫だと思う。一応、百地に頼んで様子を報せてもらう事にしたのだ。そしてもうひとつ。信長に手紙を書かないといけないのだけど、今回の戦は長すぎて書く気にならないのだ。なので、鷹丸に話をしてもらう事にして、お土産を持たせて使者として派遣したのである。鷹丸は義昭殿の陣にいたから調査をしてから出掛けると言っていたけど、適当でいいじゃんと思う。鷹丸も百地に似て生真面目過ぎである。


 酒宴から一日経ってから義昭殿主従は太田城に帰って行った。一日小田城に滞在したのは、皆が飲み過ぎて二日酔いになったからである。義昭殿もダウンして、桔梗が付きっきりで看病していたのだ。私も二日酔いに効くしじみの味噌汁を作って、皆に飲ませてフォローしたのである。ちなみに、しじみは常陸中部の涸沼が産地である。


 義昭殿は重体の患者のような感じになっていて、「私はもうだめかもしれない」と情けない事を言って命の覚悟をしたようである。それを聞いた私と桔梗は笑ってしまい、思わず母性本能をくすぐられた感じで、色々と世話をしたのである。私は二日酔いに苦しむ義昭殿に苦言を投げかけながら可笑しくて笑っていたのだ。


 義昭殿が太田城に向けて帰還すると、落ち着く間もなく軍議である。論功は時間が掛かるので後程という事にして、新たに獲得した領地を大雑把に諸将に振ったのだ。そして第三軍団長に赤松を指名して武蔵を任せる事を決め、そして第四軍団長に飯塚を指名して上総を任せたのである。第二軍団長の久幹は下総一国と下野に食い込んでいる旧小山領に領地替えをし、第一軍団長の勝貞は常陸を全て任せる事にしたのである。そして残る安房は菅谷から人を出して水軍の拠点にする事にしたのだ。


 赤松と飯塚は諸将から羨望の眼差しを受けていた。武官のトップの一人になるのは坂東武者である皆の憧れなのである。でも軍団長だからと言って偉い訳ではないのだ。あくまで一部門のトップでしかないのだけど、諸将からは花形の役職に見える様である。そして割り振りが終わり、軍議を解散して皆がいなくなると、赤松と飯塚が私と政貞に泣きついて来たのである。


 「御屋形様!この赤松に四郎と又五郎をお付け下され。武蔵は六十六万石で御座います。当家の者ではとても手が足りませぬ。他にも人を大勢頂かねば回りませぬ!」


 軍議の時は鼻高々だったのに、皆が居なくなると泣き事を言うのが赤松と飯塚らしいと思う。でも気持ちは解る、戦の前の小田家の石高は六十二万石、それよりも多いからね。それにマルチな才能があるのは赤松だけだから押し付けたという背景もあるのだ。


 「わかってる。常陸の政務上手を可能な限り送るよ。政貞も心配していて、今は交代の者を検討しているから少し待って欲しいかな?それと四郎と又五郎も送るから安心するといいよ。私も赤松は気の毒だと思っているし、私も出来るだけ手伝うからそれで納得して欲しい」


 私がそう言うと赤松は花が咲いたような笑顔になった。その様子を見て苦笑しながら政貞が言った。


 「赤松殿、某も出来る限りお助け致しますのでご安心下され。武蔵は広う御座います。統治も大変で御座いますが、逃げ散った上杉の兵共が野盗と化している土地も御座いましょう。父上の軍勢から三千の兵を赤松殿にお付け致します故、使われると宜しい」


 「左様で御座いますな。某も耳に致して居りました、助かり申す。では三千の兵を借り受け、武蔵には御屋形様の御部屋もご寝所も用意致します」


 「うん、お願いね。それで赤松?拠点は何処にするか考えはあるの?」


 私がそう質問すると赤松は腕を組んで思案気な顔をした。


 「某が考えまするに、立地は江戸城が良いかと考えまする。入り江があり、町を育てれば交易も盛んになりましょう。ですが、平地が少なく、城も小さく、拠点と致すには不足が多過ぎますな。であれば、栄えている岩付と言いたい所で御座いますが、守りを考えますると、やはり河越城になりましょうか?」


 この時期の江戸城は太田道灌が築いた古い城郭である。現代人が知る江戸城は開発に開発を重ねて出来たものなのだ。家康が駿府から江戸に移り、丘を削って埋め立てをし、川の道を整えて、莫大な資金と人員を投入し続けて出来たのが私達の知る江戸城なのである。私もこの時代で初めて江戸城を見た時はあまりに小さくて驚いたのである。ただ、小さい城で江戸城間際まで入江が入り込んでいて別荘にはいい感じだったのだ。それにこの時期の武蔵の中心は埼玉郡で、下総寄りの地域である。


 「そうだね、今ある物を使ってくれると嬉しいかな。下総、上総、武蔵の来年の年貢は免除にするから、城の建て直しなんて出来ないしね。まずは民を食べさせることを優先しよう。それで余裕が出来たら江戸城を普請したいかな?人足仕事は江戸城に集中すれば何れは立派な城と町が出来ると思う」


 「承知致しました。では河越を拠点に致します」


 赤松が江戸城に注目したのは凄いと思う。交易を第一に考えて町造りをするという考えが無ければ出ない発想だ。私は歴史を知っているから開発する価値があると考えられるけど、何も知らない赤松が江戸城に価値を認めたのはやはり彼には何らかの才能があるのだろうと思われた。


 私は江戸城を中心とした町造りはするけど、大規模にはしないつもりだ。物流の一拠点にして、中規模の小奇麗な町が造れればいいと思っている。徳川幕府のように利根川の流れを変えて水害だらけにするのは嫌だし、それをすると香取の海が消滅するのでしたくないのだ。


 赤松との話が終わると、今度は飯塚である。


 「御屋形様、某は如何致せば宜しいでしょうか?」


 飯塚はどちらかと言えば内政は苦手な人である。元々は、武勇一辺倒の彼だったけど、私の主命を赤松と協力しながら熟したり、算盤の練習を真面目にしたりとお役目を果たしている内に成長したのである。でも、一国を治めるのは大変だから心配なのだと思う。


 「飯塚には高城と村上が付いているから心配ないよ。二人を頼れば問題ないと思う。高城と村上の家臣や縁者も頼ることが出来るし、何よりあの人達は善政を敷く事に慣れているから飯塚は幸運だと思うよ?それと、上総は特に荒れているから十分に心を配って欲しい。無法者や乱暴者は容赦なく捕らえて賦役を課すといいよ」


 「承知致しました。やってみると致します。某も友である赤松殿に並び立ちとう御座います。正直申しますと、某は(まつりごと)が苦手で御座います。ですが、一所懸命に働きまする」


 飯塚の決意に私は軽く感動を覚えた。そして彼を選んだ事は間違いがなかったと思ったのである。色々やらかしてくれる二人だけど、根が優しくて真面目な人なのだ。


 「飯塚、自分に出来ない事を無理にする必要は無いからね?飯塚は出来る人を見極めて、仕事を任せればいいんだよ。ただし、仕事を任せた責任は飯塚が取らないといけないよ?人を使う事が飯塚や赤松の仕事なのだから、そこは間違ってはいけないからね?それと飯塚に赤松、私が貴方達のような剛の者を手放すのがどれだけ不安な事なのか理解して欲しい。だから、その分はしっかり民に安心を与えて欲しい。期待しているよ」


 「御屋形様!有難きお言葉で御座います!この赤松凝淵斉、身命を賭してお役目を果たして御覧に入れます」


 「この飯塚美濃守も必ずやお役目を果たして御覧に入れまする」


 そう言って二人は平伏してしまった。赤松も飯塚も感激屋だからこういう時は対処に困るのだ。私は二人を落ち着かせると話を続けた。


 「それで、飯塚は拠点を何処にするか決めたの?」


 私がそう聞くと飯塚は思案気にしてから答えた。


 「やはり椎津(しいづ)城で御座いましょうか?街道も通って居りますし、港も御座います。土地も開けて居りましたので、良き町が造れそうで御座います」


 飯塚もいいところを突くと思う。というか、小田家の家臣は私の影響で色々な事をするから経験値が半端ないのだと思う。私は知識で知っているけど、飯塚も赤松同様に交易を第一に考えてる。小田家は大国になったから山城にこだわる必要はないのだ。平地に城と町を造って商売を奨励したほうがいい。


 「私も賛成かな。町を整えて、商いを奨励するといいよ。高城が得意だと思うから助言を受けるといいね。まずは来年の収穫まで頑張ろう。その後は発展する一方だと思うから」


 私がそう言うと政貞が続けて言う。


 「左様で御座いますな。一年凌げば民も落ち着きましょう。無法者や乱暴者は容赦なく捕らえて賦役を課して頂きたい。武蔵は戦続きで荒れて居ります故、心配りをお忘れなきよう」


 赤松と飯塚との打ち合わせが終わると、私と政貞は政務を始めた。武蔵や上総に送る人員や、食料なども検討しなければならない。領地が広がったのはいいけれど、毎回この統治で死にそうになるのである。小田家の家臣は皆がそういう経験をしているので、『またかよ』で済むのが救いである。しばらくすると勝貞や久幹も手伝いにやって来て、皆で必死に仕事をしていると長尾家から文が届いたと家臣から渡されたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 氏治は、いつ関東管領職なり、関東副将軍なりの官職に付くのかな? 血筋的には、足利将軍家の直流だし。(父親が,将軍の弟だったよな?「その割に石高は,低いが?」) 最も、本人には「その気」…
[一言] 武蔵で年貢を免除した氏治を見て、北条は驚天動地ですが、風魔党は複雑な心境でしょうね。小田家ならば自分たちを乱破ではなく人間として扱ってくれるのではないかと思い始めていそうですね。一族揃って北…
[一言] 義昭くん美人二人に甲斐甲斐しくお世話をされて二日酔いを続行したね?まあ漢だったら誰だってそうする俺もそうする。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ