第百十一話 愛洲のアトリエ
津田宗達、日比屋了慶、千宗易を茶の湯に招いたけど、まさかの千宗易の逃亡で幕を閉じた。元々は茶会に参加したくなかっただけなのだけど、千宗易をへこませる事が出来たので今回の旅の目的は達成出来たと考えていいと思う。
津田宗達と日比屋了慶が千宗易に追い討ちを掛けるとは思っていなかったけど、皆の心は一つだったらしい。これで侘び茶が流行する事もないだろう。私としては既存の茶の湯と私の茶の湯が共存出来ればいいのである。侘び茶一強になると二畳敷の茶室に押し込められる事になるので回避したかったのである。私と宗久殿が紅茶の元祖になるので、私が紅茶に拘りを見せれば既存の茶の湯に誘われなくなるかも知れない。
千宗易が退席した後は険悪だった雰囲気を取り戻すかのように宗久殿が場を取り持っていた。ちょっとだけ悪い事をしたかな?と反省しつつ、茶会は穏やかに進行した。私は追い討ちを掛けてくれたお礼も含めて津田宗達と日比屋了慶にティーセットを贈る事を約束したのだ。これが大変喜ばれて、茶会が終わると二人はご機嫌で帰宅したのである。
このまま時代が進み、信長が五幾を制圧したとすると私も京とかに呼ばれる気がする。もう一つ問題があって、連歌の会席に出席させられる可能性があるのだ。下手連歌な私にとっては試練だけど、これはもう練習するしかないと思う。
茶会を終えた私はいつもの着物に着替えて、桔梗と百地、赤松、飯塚を連れて堺見物に出掛けた。次郎丸は白尾と一緒にお留守番である。夕方まで観光して今井の屋敷に戻ると信長と義昭殿が戻っていて合流したのである。
滞在は三日の予定で、明日は皆で見物しようと約束をしたのだ。夜になると会食の席で義昭殿から質問攻めに遭った。どうも本気で港町を建設するらしく、土浦の石垣を取り入れたいと要望もあったのだ。私が建設に掛かった銭を教えると少し気後れしたようだけど、私は石垣の規模の縮小を提案して真壁の石工衆の派遣を約束したのだ。
義昭殿は久慈に港町を建設するつもりだと言っていた。ここは久慈川の海への出口であり、内陸からの輸送が楽に出来るので良いチョイスだと思う。そして義昭殿の拠点である太田城からも近い。私は川の上流に東北で不足する物産の生産を提案し、義昭殿は検討すると答えた。史実には無い港町が出来るので私も少し興奮しながらアドバイスをしたのだ。
私と義昭殿の会話を聞いていた信長が石垣に興味を持ったようで、こちらも質問攻めになったのである。土浦の石畳みを急ぎたいから小田の石工衆を出したくなかったので、代りに畿内の穴太衆を紹介する事で信長も満足した様である。後で土浦城や下妻城の絵図を送る約束をしてこの場が治まった事に安堵したのだ。
翌日は皆で観光である。義昭殿は宗久殿に絵師を手配して貰い、気になる所をスケッチして貰っていた。更に小田野殿を別行動にしてやはりスケッチさせたようだ。熱意が凄くて私も信長も感心してしまったのである。でもこの選択は正しいと思う。三十万石になった佐竹家に他国は容易に手を出せない。領内が戦火に晒されなければ国力はどんどん増えていくし、人口も増えて行くのである。開墾すればしただけ国は富んで行くし、他家との地力がまるで変わるのである。義昭殿に侵略の意図があるとすれば白河結城家と岩城家になるけど、富国してから攻め込んだ方が統治の効率も良くなるのである。
そんな義昭殿の姿を見て信長も感化されたのかやる気になっているようだ。観光中も信長は多弁で、私は随分気疲れしてしまった。だけど、今後を考えると良い事しか無いので付き合うのである。そして私達は翌日に堺を離れ、帰郷するのであった。尾張で信秀殿に挨拶をしてから信長と別れ、土浦に着くと義昭殿が参考にしたいと土浦の町の見学を申し出たので一緒に廻ったのである。
この旅では、尾張で戦略や律令の話をしたり、商売を信長と義昭殿の前でしてみたりと色々あったけど、少しでも信長と義昭殿の為になればと思う。さて、やらかしてくれた赤松と飯塚にうなぎでも捕まえて来て貰うとしようか?
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十一月になり、寒さが身に染みるようになって来た。私は百地と愛洲、桔梗を引き連れて、土浦の商店街に来ている。先行して建築していた本屋の建物が完成したのだ。商店街の敷地は土浦に元からあった商家の移動がほぼ完了している。それでも敷地はスカスカである。空き地には縄張りがしてあって、建物の大きさを決めてあるのだ。雑多にならないように配慮した結果である。
この空き地には私を始めとして重臣や他国の商家にお店を出店して貰う計画である。出店は全て私の許可が必要であり、土地の売買も厳しく規制している。早くお店で一杯にしたい所だけど、ここはじっくり商人を吟味するつもりだし、これからも産物は増やしていく予定なので褒美代わりに商店を重臣に与える事を検討しているのだ。
楽市は城下町の中心に広場を設けてそこで商売をして貰う計画である。商店街と分けたのはフリーマーケット感を出したかったからである。雑多な市を覗くのも楽しいし、領民が手軽に商売出来るようにする為である。大外堀に塀と門が掛かれば、無法者などの侵入も防げるので健全な商売を領民が行えるのである。
私は完成した本屋を眺めた。二階建てで、窓代わりにステンドグラスが嵌め込まれている。ステンドグラスには開いた本が描かれていて、一目で本屋と判るようにしてある。ちなみに、他のお店もステンドグラスの窓を嵌め込む事を義務付けている。ステンドグラスは小田家が支給しているのだ。これは街の景観を変えて他国との差別化を目的にしている。これが評判になれば物見遊山で観光客を呼べるかもしれないし、商店街の雰囲気が異国チックになるので私の好みでもある。移転した商家からの評判はかなり良くて、当初はステンドグラスを見に来た人で人だかりが出来る程だった。
「これは見事だのう。本の絵を硝子にするとは考えたものだ。簡板は如何致すのだ?」
愛洲が感心したようにステンドグラスを見ながら私に問い掛けた。
「簡板は出来ているけど、今は小田城にあるよ。父上に墨書をお願いしたのだけど、練習で書いた字が気に入らなくて迷っているみたいなんだよね?」
「人目に触れるなら大殿様が気にされるのも解る気がするのう」
「私としてはさっさと書いて欲しいのだけど、父上があそこまで拘るとは思っていなかったんだよ。私なら適当に書いてしまうのに」
私達は店内に足を踏み入れた。書店は現代風に作ってある。壁には一面に書棚を設けて、通路の仕切り代わりに書棚を置いている。書棚の下は引き戸が付いていてここに在庫を収納するのである。既に幾つかの棚が埋まっているけど、膨大な本を置く予定なのでこれはほんの一部である。
この時代の本には背表紙が無いので人を雇って背表紙の貼り付けをしてから本棚に納めるのだ。会計は入り口に設置して、万引き防止に荷物はここで預かる事になる。会計をするカウンターの裏には棚が設置してあって全てに篭が入れてある。ここに手荷物を入れて預かるのだ。販売だけではなく買取もする事にしている。店内を見回しながら百地が口を開いた。
「これは随分と広ろう御座いますな。この棚に書が満ちるとなると壮観で御座いますな」
「沢山買い付けて来たからね。百地に任せている拠点の商家からも仕入れをして貰うからそのつもりでね?」
「承知致しました。商家の拠点も使い道は様々で御座いますな」
「百地もやりたいお店が出来たら作るといいよ。建物は国で作るから負担も少ないし。皆にも声を掛けているけど何をすれば良いか案が無くて足踏みしているみたいなんだよね?」
私がそう言うと愛洲が口を開いた。
「氏子よ、隣にも建てて居るようだが、どんな店なのだ?」
私は愛洲に向き直って説明した。
「隣は絵や木像を売る店にするつもり。私も絵を描いて出そうと思っているけど、こっちはゆるりになるかな?絵や書を集めないといけないし。そういえば愛洲は絵を描くんだったよね?愛洲が良ければお店をあげるよ?ただし幾つかの条件があるけど?」
「ふむ、条件とは?」
「木彫りは仏像を置かない事。私が好きではないんだよね?店の雰囲気が悪くなってしまうし?出来れば小さい人物や動物の木彫りをびっしり並べたい。もう一つは絵師を志している人から買取をして売る事かな。ここには一流の絵師の絵は置かないつもりなんだよ。小田の領内で人を育てたいんだよね。百姓でも才のある人は幾らでもいるだろうから紙と筆を与えて育てるのもいいし、木像も絵も民から買取をして売りたいんだよ。勿論、愛洲の絵も置くといいよ。この書店と同じ位の広さがあるから沢山の絵や木像を置いて、店に入った人が驚くようにしたい」
簡単に言うとパトロンである。才能のありそうな人に援助して絵や木彫りを製作してもらうつもりなのだ。
「それは面白そうだの。氏子よワシがやっても良いのか?」
「いいよ。でも駄賃と買取は愛洲持ちだからね?それなりの出来の絵でないと利益が出ないから考えた方がいいよ?」
「うむ、それで良い。分不相応な銭も貰って居るからの。ワシの道楽も兼ねるので問題は無い」
「私は愛洲の絵を見た事が無いから見せて欲しいな。興味がある」
「ならば明日にでも我が屋敷に来るが良い。ワシは木彫りも致すからついでに見せよう」
「分かった、明日桔梗とお邪魔するね」
「待て、堺から絵具を仕入れて欲しい。絵具を売らねば、才ある者が困るであろう?絵師を育てると申すのは良い考えじゃと思う。ワシが見込んだ者には与えようと考えたのだか?」
「それはそうだね。宗久殿にお願いして絵具の道具を色々仕入れようか?」
「うむ、絵具の道具を眺めるのも乙なものだ。どうせならそういう店に致したい。儲けは程々で良い」
「義昭殿のご領地から民芸品を仕入れて売ってもいいかもね?愛洲のお店は道楽のお店にすればいいと思う。屋号も考えないといけないね?」
「ふむ、そうだのう。氏子の店の屋号は何としたのだ?」
「にこにこ書店だよ?」
「よく解らぬ名だ。氏子なりの考えがあるのだろうが、ワシも考えねばなるまいの」
その日は書店の気になる所を直してもらう事にして帰宅した。帰りにお蕎麦の屋台に寄って愛洲とお店の構想を語り合った。愛洲が随分乗り気だけど、どんな店になるか楽しみである。
翌日になると、私は桔梗と共に愛洲の屋敷を訪ねた。愛洲の母上と少し話をしてから愛洲の私室に通された。部屋に入ると棚だらけで、そこには木彫りのフィギュアっぽいのがズラリと並べられていて、壁には自作だろうか絵が描かれた掛け軸がこれもまたズラリと飾られている。まるでオタク部屋を連想させる雰囲気である。
桔梗も目を丸くして部屋を眺め見ていた。私も珍しくて木彫りや壁の絵などを見ていた。愛洲が趣味と言うだけあって、中々の腕前である。暫くそうしていると愛洲がやって来てとっておきの絵を見せると言い、戸棚から掛け軸の箱を幾つも取り出して畳に広げ始めた。
どれも上手で愛洲なりの味がある良い絵だと思った。桔梗も感心しながら絵を眺めている。愛洲が一つの箱を開けた時に『あっ!』みたいな顔をして、箱を自分の後ろに置いたのが気になった。
「これがワシの気に入りの絵なのだ」
そう言って広げ並べられた四幅の掛け軸に描かれた絵の説明を受けた。鷹に虎に竜、雀である。虎は想像なのだろうか獅子に見えるけど、躍動感があって良いものだと感じた。そうして話をしていたら愛洲がトイレらしく中座して部屋から去った。
「さて、桔梗、どうする?」
「先程の箱で御座いますね?桔梗も気になります」
「じゃあ、見てみようか」
私は端に置かれた箱から掛け軸を出して広げてみた。そこには女性の絵が描かれていたけど、タッチがこの時代の絵とまるで違う。写実的に描かれていて思わず息を飲んだ。たぶん美人画というやつだと思うけど、この時代の絵画の常識ではあり得ない表現だ。私も絵は得意だけど、ここまでは描けないと思う。
「こんなに上手なのにどうして隠したんだろう?」
私がそう言うと桔梗が絵を見ながら言った。
「お武家様で御座いますから恥ずかしかったので御座いましょう。それにしても美しい絵で御座います。桔梗はこの様な素晴らしき絵は見た事が御座いません」
この時代だと美人画ってどういう扱いだっけ?江戸時代の春画とかでは無いのだから恥ずかしがらなくてもいいのにと思う。でも、さっきの愛洲の様子はエロ本をうっかり出してしまった中学生みたいな感じがしたんだよね?
「とりあえず、並べておこうか?愛洲の反応を観察したい」
私は四幅の掛け軸の隣に愛洲の美人画を並べた。
「御屋形様、この掛け軸の下に半分隠すように置いた方がいいと思われます」
そう言って桔梗は虎が描かれている掛け軸の下に半分だけ隠した。
「桔梗もこういう悪戯をするんだね?」
「愛洲様は可愛らしいお方なので、意地悪したくなるので御座います」
そうやってから二人で笑っていると愛洲が戻って来た。私は「お帰り」と言って桔梗と一緒に虎の絵を評していた。愛洲は私と桔梗の前に腰を下ろしたけど、美人画が広げられている事に気付いてギョッとした顔をした。私と桔梗はあたかも美人画など無いかのように振舞う。
私と桔梗は愛洲に質問したりしたけれど、愛洲はしどろもどろになって答えていた。だけどその目は美人画をチラチラと見ている。そして愛洲が美人画を虎の絵の下にそっと動かそうとしたら桔梗が美人画に手を置き動きを制した。愛洲はビクッとなって手を引っ込める。気付かれていないと思っているのだろうか?
暫くそうしていると愛洲が汗を掻き始めたので、堪能したし、そろそろいいかと桔梗に目線を送るとコクリと頷いた。そして私は愛洲に聞いてみた。
「愛洲、美人画ってそんなに恥ずかしいの?」
「気付いておったのか!!」
まるで突っ込みのような返事が返って来た。
「悪かった、でもこんなに素晴らしい絵なのだから隠す事は無いのに。ねっ?桔梗?」
私が桔梗に振ると彼女は答えた。
「そうで御座いますね。桔梗は愛洲様の絵はとても美しく、素晴らしいと思います」
愛洲は懐から手拭いを出して汗を拭きながら口を開いた。
「バレてしもうては仕方がない。ワシは美人画を描くのが好きなのだが、若い頃に母上に発見され、父上に報告された事があるのだ。父上はやんわりと美人画を描かぬようにワシに忠告されたのだが、隠れてこっそり描いておったのだ」
「そうなんだ?でも愛洲、多分この絵は歴史に残ると思うよ?これ独学だよね?」
愛洲は手拭いを畳みながら答えた。
「氏子よ、慰めてくれずともよい。ワシは好きで描いただけなのだ。歴史に残るなど有り得ぬ」
愛洲の絵は写実七、ディフォルメ三の現代の漫画家が描いたような絵だ。この時代の絵でも写実的な表現をしているものはあるけど、愛洲のはレベルが違って見えた。
「愛洲って高名な絵師が描いた絵ってどのくらい見たの?」
「幾つか見たが、好みではなかったのう。人には見えるが人ではないと思ったのだ。じゃから、ワシなりに描いておったのだ」
なんだろう、よく動画にある才能の無駄遣いみたいな人を連想させる。私は持ち歩いている筆入れから下書きに使っている木炭を取り出した。そして愛洲に紙を貰ってから桔梗に動かない様に頼んだ。信長から年中、絵入りの文を要求されているので私もそこそこ腕は上がっている。
「私が桔梗を描いてみるから見ていてくれる?」
そう言って私はデッサンを始めた。私は絵が割と得意だ。どちらかと言うとイラストが得意なのだけど、写実的な絵も描ける。私が木炭を走らせていると愛洲が「ほうっ」と声を発した。十分くらいで大まかに描けたので仕舞にして桔梗には楽にして貰った。桔梗をデッサンした紙を愛洲に渡す。
「ワシの絵に似て居る。氏子も美人画が描けるとは思わなんだ」
愛洲は感心したようにして見入っていた。
「ねっ?恥ずかしくないでしょう?私だって書くのだから?愛洲の美人画をお店に出したら?恥ずかしいのなら名を変えればいいのだし?この美人画に思いっきり愛洲の名が書かれているけど、違う名にしたらバレないし自分の絵がどう評価されるか試せるよ?」
「ふむ、興味はあるが名は如何致そうか?」
「愛洲の技のさるさるにしたら?」
「(偽)猿飛の剣じゃ。じゃが、さるさるで良い。確かに興味はあるが、真に美人画を描いても恥ずかしくないのだな?母上に見つかると大変な事になる気がするのだ」
「だったら、お店の二階に部屋が幾つかあるからそこを使ったら?そこならお母上様にバレないよ?」
「ふむ、では店が出来たら検討致そう」
愛洲に意外な才能があって驚いたけど、これでお店の目玉が出来そうである。叶うならお店を愛洲のアトリエと名付けたいけど、外来語が使えないから残念である。




