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第2話「さよなら、エステル。君の未来を祈っているよ」

 ――左腕に負った傷痕。

 あの夜、それを治せる医者をジェイクは紹介してくれた。

 けど、まだ踏ん切りがつかなかった。


 傷自体は幻惑の魔法でいくらでも隠せるし、これは勲章だ。

 兄さんと戦い、その過程で負った傷痕。

 あの人との記憶を私はまだ残しておきたかった。


「すまないね、私が見送れるタイミングまで待ってくれて」


 魔王都の駅で列車を待つ。

 荷物をまとめたジェイク少年を隣に。

 護衛は最小限で、レイチェルが近くに控えるだけ。

 そこまで大げさな変装はしていないけれど、それなりに。

 魔王が居るぞとバレてしまわない程度のものを施している。


「……いや、俺も名残惜しかったからさ」


 あの夜に改めて問うた。本当に海の向こう側に行ってしまうのかと。

 どうにも彼の決意は固くて、私には崩すことができなかった。

 だから、せめて私が直接に見送れる時まで待てと。

 魔王としての激務が空くタイミングまで引き延ばした。


「これからまた、ヴァラクとサマエルの間を馬車で移動か」

「ああ、そしてまた港湾都市さ。クイーンルビィ号じゃないけどな」


 列車事業は先代であるフェリスの悲願だったな。

 それが十全な形にならず、不合理が残ってしまっている。

 歴史という重しを動かすことができずに。


「……私の代で、列車を通す」

「ふふっ、無理しなくて良いよ。喫緊の課題はいくらでもある」


 嬉しそうに微笑むジェイクの表情は、あの日の少年でもなく魔王としての重厚さでもなく、その顔で理解する。全ては終わったのだと。


「――かもしれない。けれど君が居てくれたら」

「エステル……」

「君が私の隣に居てくれれば、叶えられる」


 いつの間にか互いに向かい合っていた。

 線路という同じ方向を見つめていたはずなのに、自然と。


「ダメなんだ。俺が生きていることが露見すれば色々と動く連中がな。

 親衛隊は身内だから大丈夫だけど、それより遠いけど近い奴らが厄介で。

 王が2人いるとロクなことにならないのさ」


 賢帝フェリスが望んだ通りか。

 ……つくづく彼からは、他の女の匂いが香ってくる。

 それが悔しかったけれど、その全てが今の彼を形作っている。


「分かったよ、つくづく残念だけれど」


 そう答えた私に向かって、拳が突き出される。

 いつぞやか教えてもらった”悪魔流の約束”か。


「ふふっ、いったい何についての約束なのさ?」


 近づいてくる列車から轟音が響く。蒸気の音、車体の音が。

 だから私の言葉は聞こえないかもしれないなんて思いながら拳を合わせた。

 こうしてから親指を――


「っ――?!」


 拳を重ねるために少しだけ屈んでいた。

 それを目掛けて彼は大きく背伸びをしてきて。

 柔らかい感触を感じた。言葉を紡ぐこともできずに。


「さよなら、エステル。君の未来を祈っているよ」


 ……私の唇を奪っておいて、キザに去って行くジェイク。

 すぐに列車に乗れるように見計らっていたな、タイミングを。

 まぁ、普通に走れば追いつけるけれど。


「レイチェル――」

「なんでしょう? 代わりに殴ってきましょうか」

「違う。魔王陛下が1人で居られるぞ」


 去って行く彼の背中が、小さく見えた。

 物理的なものよりもずっと。寂しそうに見えて。

 100年に渡る統治を務め上げた男なんだ。これでは報われない。


「私もお供したいのは山々。けれど、貴女を1人にするわけにはいきません」


 82年の9か月連れ添った相手よりも私なんかを優先するか。

 まぁ、こういう女だからこそジェイクの副官を務められたのだろう。

 実に似通ったあり方をしている2人だと思う。


「――ただ、貴女がついていくことも止めませんよ。海の向こう側へと」


 幻惑のチョーカーがあれば、体裁を取り繕うことはできるか。

 私自身でなくとも私とレイチェルの継承戦を偽装できる。

 魅力的ではあるな、父を喪い、兄に裏切られた私には……。


「いいや、私はこの座を兄から奪い取ったんだ。義務を果たすさ。

 まだ隠居するには早すぎる。短い人生、使い切ってみせなければ」

「――ふふっ、では、その覚悟に最後までお仕えしますよ、エステル陛下」


 レイチェルと共に去って行くジェイクを見つめる。

 列車に乗り込み、あとは発車の時を待つだけだ。

 そんな私たちの前に、不意に1人の少女が立っていた。

 ジェイクのあの身体と同じような歳に見える少女が。


「大きくなったね、エリー」


 私を見つめながら、知らない名前で、私に呼びかけてくる。


「マリ姉……」


 その言葉は自然と口から零れ落ちていた。

 物心つくよりも前の記憶、おぼろげなそれの中に確かに彼女は居た。

 いつかジェイクに負けた5歳のあれよりも前の記憶に。


「ふふっ、思い出したかい、ボクのことを」


 私が生まれたというあの村で行われていた狂気。

 生み出された神の子。

 剣の才能を与えられた私と、魔術師の才能を与えられたのは。


「……ドクか」

「ご名答、君がついていくのなら身を引こうと思っていた。

 我が身可愛さにあいつまで騙して死んだふりをした訳だしね」


 にっこりと笑ってみせる幼い身体をしたマリ姉。

 よく覚えていないけれど、優しくしてくれたという記憶はある。


「けれど君が魔王という役目を果たすのなら、ボクが行く。

 あいつを1人にはさせないよ。それじゃあね、エリー。元気で」


 スッとこちらの頬に口づけして去って行くドク。

 ……まったく、なんなんだあの2人は。

 揃いも揃って私にキスして行きやがって。


「ハァ――あの女……っ!!」


 レイチェルの奴がめっちゃ悪態をついている。

 あ、これ嫌いなんだな、レイチェルはドクのこと。

 まぁ、82年連れ添った相手を奪っていった女だもんな。


「嫌いなの? 彼女のこと」

「嫌いです! こういう抜け目のないところが」


 確かに抜け目はなかったな。彼女が生きている理由には察しがついた。


「あいつ、陛下に用意した転生術式、自分にも用意してたんですよ。

 それで殺されても生きてた。逆に殺されたから新しい身体に」

「敵地のど真ん中で”新しい身体がある”とも言えずに今という訳だよね」


 血の連盟、その本拠地の地下で拘束されていたのだ。

 転生用の身体が用意してあることが露見すれば、そこを狙われかねない。

 だからジェイクにさえ伏せたまま殺されてみせた。クレバーな女だ。


「……頭が良いんですよ、あいつ。だから嫌いなんです。

 嫌いだけど、彼の好みだとも分かる。抜け目がないから任せられもする」

「でも、嫌いは嫌いだというわけか」


 こちらの言葉にうんうんと頷くレイチェル。

 ……かわいいな、こいつ。完璧な魔王の副官だと思っていたけれど。

 悪魔に向かって思うことじゃないが、人間味がある。


「ハァ~、エステル陛下。世界の王になって海の向こうまで征服しましょう。

 あの2人がゆるゆると生きている土地を領土にするんです!」

「ハハッ、そいつは良いね。世界征服か。30年くらいで出来ると良いな」


 30年経てば、私も47歳だ。それくらいならまだ征服した後を楽しめる。

 57歳じゃ辛いものがあるだろう。体力とかいろいろと。


「計画立てます! まずは人間の国を飲み込んで大陸統一です!」


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