第9話『――貴方は僕のことを恨んでいるのでしょう? 父上』
――僕は、母さんの命を奪って生まれてきた。
父さんは僕にそれを隠したかったようだけれど、あの人は有名人だ。
誰に教えられたのかなんて覚えていないが、物心ついた時には知っていた。
僕を産むことと引き換えに母さんが死んだという事実は。
宣教局の英雄、その子供が生まれるのだ。神官だってついていたはず。
それでも、母さんを救うことはできなかった。
だから僕は最も愛すべき人の命を奪って生まれた人殺しになった。
『すまないな、ジェラルド。またしばらく帰れそうにもない』
まだ現役だった父は、よく僕を1人にした。
けれど寂しくはなかった。父の仕事、役割の大きさを知っていたのだ。
僕にとっての誇りだったはずだ。
それに、そんなことを言う資格はないと思っていた。
僕が1人になるのは自分のせいなのだから。
『よく来たね、ジェル。またお父さんは出張かい』
1人になった僕はよく”シンシアおばさん”の屋敷に預けられていた。
おばさんの屋敷は大きくて、色んな人たちが働いている。
『はい、ごやっかいになります。シンシアおばさん!』
『――ふふっ、お姉さんって呼びなって言ってるでしょ?』
『はい、シンシアお姉さん』
そう言うと、お姉さんが頭を撫でてくれる。
そんなことが嬉しくて、僕はいつもあの人に会うたびにおばさんと呼んでいた。
……シンシアという人がこの国の王女様だと知ったのは、もう少し後の話だ。
詳しいことは知らないけれど、父は昔に彼女を護衛していたらしい。
勇者になった後のことだ。
それ以来、懇意にしてもらっていて僕を預かってくれていたと。
『大丈夫かい? そんなに根を詰めちゃって』
幼い頃は、いつか自分も父親のようになるのだと思っていた。
そうでなければ、生まれてきた意味がないと。
いつか父のような勇者になるのだと。
シンシアお姉さんに頼んで、剣の先生も魔法の先生もつけてもらった。
魔法剣士としての腕前は父以上になれると思っていた。
父と同じような才能、父の時代よりも進んだ修練技術がそれを可能にすると。
『――はい。父に追いつこうと思えばこれくらい』
そう答えた僕を見つめるシンシアお姉さんの表情を今でも覚えている。
覚えてはいるのだけれど、何を考えていたのかは分からない。
父親に憧れる子供を好ましく思っていたのか。
生まれた直後に母親を失った子供の痛々しい代償行為だと思っていたのか。
どちらにせよ、あの日までの僕はずっとそうして生きてきた。
魔法を学び、剣術を学び、父に憧れ、シンシアさんに支えられて。
8歳のあの日まで、たったひとつの目標のために生きていた。
『ここに居たのか。ジェリー』
――真っ白い朝だった。白い墓地に僕は立ち尽くしていた。
いつものことだ。母さんの月命日ごとに僕はここに立っている。
その日も同じだったけれど、任務から戻ってきたばかりの父が来た。
『お前に紹介したい子が居るんだ』
そして、あの娘が僕の前に現れた。エステル・アルフレッドが。
血を受け継ぐ僕よりずっと、父上から多くのものを受け継ぐことになる妹が。
最初に彼女を見たときの印象を今でもよく覚えている。
――まるで、人形みたいだった。
僕より3つは年下だというのに物静かに周囲を見つめているだけの彼女は。
金色の髪、サファイアのような瞳、透き通るような白い肌。
どこがという訳ではない。ただ完成されすぎて人間離れしている。そう感じた。
あの日から僕は、1人ではなくなった。
父上が任務で不在でも、シンシアさんに預けられる時も。
いつもエステルが静かについてきて、それが心強かったのを覚えている。
彼女はどんなことに対しても呑み込みが早かった。
読み書きを教えた時も、歴史も、全てを素直に吸収していった。
そんなあの娘が可愛くて、特に何を考えることもなく剣を教えた。
どういうきっかけだったのか、具体的には覚えていない。
剣術と魔法の指導は僕だけしか受けていなかったけどエステルが興味を持った。
たしか、そのどちらも本当に基礎の基礎だけを教えてあげたはずだ。
後者は全く身につかなかったけれど、前者への適応は異常だった。
彼女が剣を握るようになって1年と経たずに理解した。
エステル・アルフレッドは僕を超える剣士になる。それどころか父さえも。
それ自体は喜ばしいことだ。妹の才能を喜んでやるのは兄の務めだろう。
けれど、確かに胸のどこかで思っていた。
僕は父の後を継ぐことはできない。勇者になることはできない。
そうならなければいけないと思って積み上げてきた剣術も魔法も。
生まれてきた意味を獲得しようという幼い頃の意志は、泡と消えたのだ。
『ジェラルド、無理をして俺と同じ道に進む必要はないんだぞ』
成人を迎える少し前だろうか。僕は魔法剣士として完成されつつあった。
このまま進めば宣教局の人間になることはできる。
そんなときに父上に言われたのだ。父自身から、同じ道を進む必要はないと。
『――はい、分かっています。分かっていますよ、父上』
昔の父上ならこんなことは絶対に言わなかっただろう。
もし、そうであるのならまだ8歳の頃の僕が剣術や魔法を学ぶことを良しとしなかったはずだ。これは気遣いだ。
父上なりに僕が自分をエステルと比較しなくて良いようにと気遣ってくれた。
確かに同じ道に進まないで逃げてしまえば、良かったのかもしれない。
宣教局のような場所ではなく、表の日の当たる道を歩いて、エステルのことなんか忘れてしまって。
『……そうか、あいつがそんなことを。親心と思うのが最適なんだろうね』
『ええ。分かってはいるのですが、シンシア殿下……』
『そんな呼び方やめておくれよ、それならおばさんでいいさ』
――この頃にはもう理解していた。
シンシア殿下は、父であるアーサーを好いていたことを。
父には母という幼馴染が居たから身を引いただけで。
一国の王女がこの歳まで独身であることが異常だったのだ。
そして注意深く観察すれば、彼女の父に向けた想いが理解できる。
男女のやることだ。何がどうなって今の結果になったのかは分からない。
けれど、ある時から僕は思ってしまった。
脳裏に過るようになってしまった。
――シンシア殿下が、僕の母さんならばよかったのに。
ああ、なんてザマだろう。
月命日ごとに母さんの墓の前に立ってきたのに。
所詮は、これも父上に対する当てつけに過ぎなかったのだろうか。
あるいは母さんを殺して生まれてきたことを誰かに許してもらいたくて。
父の後を継げれば、自分で自分を許せるような気がしていたのに。
それが閉ざされたからって、シンシアさんが僕の母なら身の振り方もあったと思うなんて。なんて悍ましい――
『――僕も、母さんのことを愛してなんていなかったんだろうか』
父上が母さんの墓の前に立つのは、年に一度あるかどうかだ。
そんな父に対して、いつの間にか思っていた。
父さんは母さんを愛していなかったのではないかと。
けれど、僕も同じだった。同じものだったのだ。
『……今日は、随分と酷い雨ですね』
僕が宣教局に入って数年、エステルもまた同じ道に進んだ。
彼女が勇者を継ぐことが見えてきた頃だ。
真っ黒い雨の中、墓前に立ち尽くす僕の前に1人の男が現れた。
……毎月、同じ日の同じ場所に現れる”勇者の息子”
なるほど確かに御しやすい。罠に掛けるには最も手軽な相手だ。
察しはついていたはずなのに奇妙な引力に惹かれていった。
アシュリー・レッドフォードという妖艶な吸血鬼の持つ魔力に。
『――貴方は僕のことを恨んでいるのでしょう? 父上』
老いたとはいえ、勇者ヴェン・ライトニングの実力は凄まじかった。
2人の吸血鬼を退け、僕にだって負けなかったはずだ。
僕があの人の息子でなければ。僕に情けを掛けなければ。
『僕は僕のことを恨んでいる。母さんを殺して生まれた来た殺人鬼を。
いつか許せるかと思っていました。
生まれてきた意味を果たすことができたのならば――』
爆発の魔法で視線をズラした。それ自体が本命ではない搦め手。
そして、そのまま肩から腰に刃を走らせて。
『……待て、ジェラルド』
もし、待っていたら、彼はどんな言葉を掛けたのだろう。
名実ともに殺人鬼に成り果てたこの僕に。
それを知る日は来ない。悪魔に魂を売った僕にはもう。




