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第5話『――私は、魔王様に処女を捧げるために参りました。摩天楼からの貢物です』

 ――レイチェルという少女と出会ったのは、82年と9か月前だ。

 あの時の彼女はまだ8歳で、ちょうど新しい俺の身体と同じだった。

 俺がやり直し始めるに相応しい年齢として選んだ歳と。


『――私は、魔王様に処女を捧げるために参りました。摩天楼からの貢物です』


 有力者たちが魔王に献上品を捧げるなんて珍しくもないことだ。

 毎年、魔王即位の日が来るたびに王城の倉庫は献上品で溢れかえる。

 けれど”自分で歩いてくる献上品”は初めてだった。

 10年以上は魔王を務めていて、初めての貢物だった。


『私が幼すぎることへ不満もあるでしょう。

 しかし、それは処女であることの担保とお思いください』


 スラスラと言葉を述べる彼女を見て、感じたことは2つあった。

 1つ目は、摩天楼オーナーへの強烈な怒り。

 2つ目は、まるで昔の自分を見ているような感覚。


『これから私は10年近い歳月をかけて大人になります。

 お好きなタイミングでお召し上がりください』

『オーナーからの言付けか、それは――』


 静かに頷いて見せる少女の顔立ちは、確かに美しかった。

 竜人や吸血鬼ほど希少ではないが、淫魔もまた寿命は長い。

 その意味では、この娘は摩天楼に莫大な富をもたらすだろう。

 そんな少女を献上してきたのだ。オーナーの本気さは分かった。


 けれど、あいつは分かっていないらしい。

 俺は昔の自分を見るのが嫌で嫌で仕方ないということを。

 あいつを殺していないのは国家運営のためでしかない。

 個人的な感情では100回殺してもまだ足りない。


『……ご苦労だったな、褒美を出す。それと暇も与える、学校にでも通え』

『必要な教育は受けています。お傍においてください、陛下――』


 思えばあの時、ちょっとイラっと来て、溜まっていた事務仕事をやらせたのが分岐点だった。決裁が必要な文書について決裁しても問題ないもの、あるもの、判断つかないものに区分しろと8歳のガキ相手にあり得ない仕事を押し付けて――


『――うわ、8割がた正しいな』

『8割でしたか。申し訳ありません』

『ふふっ、勘違いするな。8割正しければ充分過ぎる』


 王という仕事は、誰がやっても8割で同じ判断をする。

 正しい判断材料が揃っていれば、選べる選択肢はそう多くない。

 残り2割はもう個人の趣味だ。同時にそれが王の才覚を別つ。

 だから充分過ぎるのだ。8割正しければそれで。


『しかしだな、本当に良いのか? 俺は摩天楼に戻れとは言っていない。

 お前の好きにしろと言っているんだぞ』

『――はい。陛下のお傍に居ることこそが私の望みです』


 いったい何を考えているのか分からなかった。

 それだけ摩天楼での擦り込みが深いのか、学校に興味がないのか。

 確かに学校に通い直す必要がないくらいに知識も教養もあるが。


『――摩天楼のオーナーが死んだぞ』

『そのようですね、誰に恨まれていてもおかしくない男です』

『いい加減お前も自由になったらどうだ?』


 レイチェルと出会って12年くらいだろうか。

 摩天楼のオーナーが死んだ。それで俺はもう一度尋ねた。

 死んだ男の言いつけを守り続ける必要はないのだと。


『ふふっ、今さら私にやめられたら困るんじゃないですか? 陛下』

『む……なんとか、なるもん』

『なんとかしなくて良いですよ。私以上を見つける手間がもったいない』


 そんな風に微笑むレイチェルはもうすっかり大人の女になっていた。

 滅茶苦茶に良い女だ。あいつがサキュバスらしい衣服を嫌ったから燕尾服を着させているけれど、それでも良い女だと分かるほどに。


『――このネクタイのせいですか、貴方が私を女として見てくれないのは』


 どこで覚えてきたのか、サキュバスとしての生まれか。

 いつしか彼女は、俺に対して本気で魅了の魔法をかけてきた。

 処女を捧げろと言ったオーナーが死んだあとだというのに。


『……8歳の頃から知ってる子供を、今さら女として見られるもんか』

『む……それじゃあ最初からダメってことじゃないですか』


 ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めながら胸元を広げるレイチェル。

 今の身体で思い出すと本当に手を出さなかったのが信じられない。

 けれど、当時の俺は生殖機能と共に性欲も失っていた。


『……違うんだ、君のせいじゃない。俺の身体のせいなんだ』


 長い付き合いから来る信頼ゆえだったと思う。

 俺が、俺の身体のことを打ち明けたのは。

 摩天楼に奪われたものについてまで話したのは。


『ハァ――?! あのハゲ、自分でそんな目に遭わせておいて私を?!

 最初っからダメじゃないですか、そんなの!!

 私を見るだけでトラウマを思い出させていたんですか?!』


 どうも彼女は俺が摩天楼出身だったことすら知らなかったらしい。

 らしくて、めっちゃ怒っていた。

 あれを見たときに本当に笑ってしまって、真の意味で腹を割れた気がする。

 本当の意味で俺の片腕として信頼できる相手になった。


『ハハッ、信じられないだろ? だからあいつめっちゃ嫌いなんだよ』

『……ごめんなさい、陛下。私のせいで』

『違う違う、レイチェル、君のせいじゃない。君のせいじゃないよ』


 ネクタイを解いて胸元を開いた彼女があたふたする姿が愛らしかった。

 あの時のレイチェルが一番かわいかった。いま、改めて思い返してそう思う。

 そして、その時と同じ姿の彼女が――


「――(サキュバス)を獲りたいなら、全員死体になってから来なよ」


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