第1話「――ジェイク、私は君に負けたことがあるはずだ」
――私は、以前にもこういう力にぶつかったことがある。
薄れゆく意識の中で、そんなことを思った。
……誰だったんだ、あれは。私はいったい何を思い出した?
ここまでの完全敗北なんて人生で初めてのはずなのに。
物心ついてからというもの私は敗北らしい敗北を経験したことがない。
父上が遠ざけていた剣を、兄が教えてくれた。
剣を握り、剣術を知り、剣士となってすぐに兄を越え、父を越えた。
もちろん模擬戦の中での話だ。実戦でもそうなるとは限らない。
ただ、どちらにせよ、初めての経験のはずなんだ。
成す術もなく、胸に強烈な一撃を食らって意識を飛ばされるなんて。
……なぜだろう、あいつの顔を思い出す。
私に魔王の座を押し付けた、あの男の顔を。
それも少年に転生した後じゃない、本来の顔を。
「――ジェイク、私は君に負けたことがあるはずだ」
ウィルド川の下流で目覚め、這い上がり、歩き続けた。
いま思えば無策に宣教局に戻るなんて正気じゃなかったように思う。
けれど、そこに彼は居て、そこに2つの遺体があった。
とっくに夜は明けて、真っ白い朝が訪れていた。
「12年前のことだ。俺はドクと会うために人間の国のある村を訪れた」
私の声に気づいたジェイクは、私の濡れた身体を拭いてくれた。
宣教局の備品だ。よく持っていたなと思うけれど言葉にするほどじゃない。
そして濡れた上着を脱がせ、彼のコートを貸してくれる。
少年のそれは、私にとっても少し小さい。けれど彼の体温が残っている。
「……その村は”神の子”を研究していてね。
才能に恵まれた人間を人為的に生み出そうとしていた。
彼らの祈りが神に通じていたのかは知らないが、異端者だ。
当時、教会はその村を排除しようとある男を送り込んだ」
――今の話に出てきた者たち。
ドクとジェイク、そして”ある男”
最後の1人が父であるのならば、揃っているな、今、ここに。
運命というのは奇妙なものだ、こんな巡り合わせを招くなんて。
「魔術師としての才能を与えられたのがドクだ。
俺は無事に彼女と出会って、まもなく君に襲われた」
「――剣士としての才能を与えられた、5歳の私に」
こちらの言葉に頷くジェイク。
「思い出していたんだね?」
「ついさっき。君の幼馴染と戦って、思い出したんだ」
「……なるほど。似ているからな、俺とあいつは」
微笑みとも悲しみともつかない独特な表情を浮かべる。
名前のつかないものには、つけないほうがいいような気がした。
「剣と呼ぶには短いそれを持っていたけど、君は確かに強かったよ。
けれど自我という自我もなく悪魔を殺そうとするだけの道具に見えた。
神の子を生み出そうとする狂信者たちに用意された神の玩具に」
――私の記憶には無いものだ。今さっき僅かに思い出したもの以外は。
悪魔と見れば殺しにかかるだけの道具か。
”剣の才能”しかなかった私は、そういうものだったのか。
「そこに現れたのが、彼だ。ヴェン・ライトニングと再会したんだ。
君を殺せなかった俺は、あいつに言った。
”神の玩具を人間にしてみせろ”って――少し前まで、忘れていたよ」
そうか。だから父は、私から剣を遠ざけていたんだ。
こっそりと兄が教えてくれて、渋々ながら父は追認した。
私はそれが娘を思う親心だと思っていたけれど、それだけじゃなかった。
「どうだ、今の私は。どうだった、私の父上は」
人には天命がある。
果たすべき役割があり、命を全て使い切って、神の元に還る。
では、父上はどうだったのだろうか。
魔王であり友である彼にとって、父の死はどう映ったのか。
「……人間だよ、気高くて、情があって、神の玩具なんかじゃない。
君がそうであるように、君の父上は、立派な人間だった」
そうか。彼が言うのならばそうなのだろう。
父上は見事に役目を果たした。人間が向かうべきゴールに辿り着いた。
人の生をまっとうしたのだ。
「――そして、だから負けたんだね? 父さんは」
「っ、エステル……!」
「ジェラルドがやったんだろ、この太刀筋がそうだって言っている」
血の連盟に父上を獲れるほどの剣士が居るものか。
そして、父の傷は剣によるものだ。
吸血鬼のそれじゃない。ましてや食屍鬼でもない。
「――ヴェンは最期までそうだとは言わなかった。
代わりに遺言を伝えられたよ。
けれど、俺もそう思う。彼を殺せるのは、彼の息子しかいない」
……やはりか、ジェイクもそう考えているんだな。
「ありがとう、貴方が看取ってくれたんだね、父さんのこと」
「……間に合わなかったんだ、もう少し早く辿り着いていれば」
「良いんだ。貴方のせいじゃない。友人に見送られて、幸福だったはずだ」
涙脆いものだな、とても魔王陛下とは思えない。
「――アーサーから君に。”愛している”と」
ッ……バカ野郎! 誰に殺されたのかも伝えないで、どうして!
宣教局の司令だろうに。自分の息子を庇って、自分が殺されたのに。
最期の時間を使って伝えることが”愛している”だなんて、私に……!
「……起きろ、起きてよ、父さん、お父さんっ!!」
その身体に触れる。肩をゆする。けれどそれで分かってしまう。
これはもう人じゃない。役目を終えた遺体なのだと。
彼は最期に、自分の役職ではなく、父親としての役目を優先した。
「まだ終わってないだろう、まだ……」
貴方が父親として死んだのなら、認めたくない。
貴方が役目を果たし終えたなんて、思いたくないんだ。
「情け、情念ゆえか……兄が裏切ったのも、父が殺されたのも」
「かもしれない。けれど情け深い人物だったから君の父は勇者となった。
そんな彼だから俺は君を託して、君は誰よりも真っ当な勇者になった」
……分かっている。分かってしまう。
父さんはずっと優しくて、あの人のおかげで私は人間になれたんだ。
ずっと、貴方のような人間になりたかった。貴方のような勇者に。




