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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
3章 戦いの始まり
81/232

81 生還して

「……」


 自室の中央に転移した疾は、まじまじと自分の身体を見下ろす。


 あちこちの服が破け、肌が裂けている。だが、幸い皮膚が切れただけで、肉まで達した傷はないようだ。全身の鈍い痛みは、吹き飛ばされた時のものか。明日以降、痛みが酷くなるかもしれない。その他、負傷無し。


 そこまで把握して、疾はその場で座り込んだ。乾いた笑い声が、口から零れ出る。


「は……はは」


 顔を手で覆って、疾は掠れた声を押し出した。


「……生きてる、な」


 本気で、死を覚悟した。

 いつかは死ぬと分かっていても、生々しい死の予感は、幾ら疾でも平静ではいられない。

 異世界で幾つもの死線を切り抜けてきた疾だが、その中でも一際群を抜いて、今回は危うかった。正直、1つでも間違っていれば、今こうしていられなかった。


「ははは……っ」


 何というかもう、笑うしかない。そんな心境で、疾はしばし笑いの波に身を任せた。しばらく笑い続けて、息が切れてきた頃に仰向けに寝転がる。


「あー……ったく。世の中広いわ」


 あんな化け物がこの世に存在していようとは。知識として理解しているのと実際に肌で感じるのとでは全く違う。分かっていたつもりだったが、それにしても無茶苦茶だと言いたい気分だ。


「けどまあ……人間だ。付け込みようはある」


 疾は言い聞かせるように、ぶつぶつと独り言を続ける。先程のやり取りを反芻し、次へ繋げる為の情報を分析していく。


「身体強化魔法による刀術。虚空間から詠唱無しに取り出せる刀……その他所持物は不明。魔法は無詠唱、1度に複数の構築、展開可能。闇属性、空間魔法はビル全体に展開出来るほどの精度。魔力量は未知数……ったく、羨ましい限りだぜ」


 ここまで魔法戦に特化した才能をこれでもかと見せつけられれば、ふて腐れたくもなる。割り切っているとはいえ、もう少し魔術に関わる生まれ持ったギフトがあればと、全く思わずにいられるほど疾も大人ではない。


「はあ……いいよなあ」


 ぽつりと、本音が漏れる。あまりにも子供じみた言葉の響きに思わず自嘲の笑みを零し、腕で目元を覆った。


「あー、だっせえ」


 夢想したことがある。もし疾が魔力量に恵まれたなら、どんな風に魔術を操るか。どんな魔術を作り上げて、どんな運用をして、どう相手を圧倒するか。父親の魔術書を読む中で、そんな思考を遊ばせた。

 だからこそというべきか。無尽蔵とも言うべき魔力を使いこなすノワールは、羨望せずにはいられない。


 だが、だからこそ、分かる。


「力に振り回されてるわけでも、慢心してるつもりもないだろうが……まだ、使いこなせていねえ」


 断言する。腕をどけた疾の顔には、不敵な笑みが宿っていた。


「あんなこけおどしに騙されて俺みたいな雑魚を逃すなんて、な。1度のミスが致命傷だぜ?」


 自分の異能が反則気味だというのを差し引いても、上手く逃げ切れたのはノワールの油断が大きい。今まで力任せに相手をねじ伏せてばかりだったのが透けて見える戦いぶりだった。

 小さな隙にねじ込んで活路をこじ開けるのは、疾の得意とするところ。


「勝算は、ある」


 呟いて、疾は笑みを深めた。


「今回は、痛み分けだが。次は、こうはいかねえぞ」


 こちらも、動揺しすぎたのは反省点だ。いくら様々な条件が重なったとはいっても、今回の戦いぶりには溜息が出るような杜撰さがあちこちある。そのせいでこんな怪我をしているのはいただけない。……依頼も、完全に失敗したのはこれが初めてだ。


「あーくそ……はあ」


 息を大きく吐きだして。疾は、急に目眩を覚えた。


(……?)


 何故今、とやや疑問に思ったが、ただの疲労だろうと判断する。体が重いが、流石にベッドで寝なければ……そう考えたところで、疾の意識は闇に覆われた。



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