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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
1章 はじまり
31/232

31 帰宅

 それから少しして。

 疾は父親と2人、並んで家へと戻る日が来た。


「そういえば、母さんと楓には……周りには、どう説明してるんだ?」


 今更ながらに気付いて、疾は父親を見上げる。


 カレンダーや時計の類を置かなかったのもあって、どれ程の時間が経ったのか、疾は今ひとつ認識出来ていない。だが、肌を撫でる風の温度が記憶にあるものよりずっと高く、人々の服装もどことなく夏に近付いている事から、相当な時間が……ほぼ半年近くの月日が経ったのは分かっている。

 それほどの時間、自分の不在がどう誤魔化されていたのか。考えようともしなかったことそのものが、完全に本調子でない疾の状態を示していた。


「母さんは、全部知っている」

「……そっか」


 父親を、そっと見上げる。

 全て、話したのか。不安定な部分が垣間見える母親に、自分が受けた仕打ちを全て。


「母さん……大丈夫か?」

「楓もいるからな」

「……」


 こういう時、疾は両親を尊敬する。自分達がどれだけのものを抱えていようと、子供の前では決して崩れない。なるべく何も見せずに、穏やかな毎日を与えてくれる。

 自分が、大人になってそんな事が出来るだろうか。それとも、それが人生経験の差、というものなのだろうか。


「……それで、他の人は?」

「あちらの家族が直ぐに被害届を出した為に、魔術師が関わっている事件には珍しく、今回の件は公になっている。世間では疾と彼女は、誘拐されたと認識されている」

「……まあ、間違ってないよな。それで?」

「身柄の保護、怪我の治療、事件の後処理。それらのために家を空けていると、楓には説明した。世間は……まあ、あれこれ詮索の目が鬱陶しいが」


 疾は頷いて、父親に目線を向けた。食べられなかった時期もあり体重は落ちたが、身長は伸びたらしい。日本人にしては背の高い父親だが、余り顔を上げずとも目線が合うようになってきた。


「オブラートに包んではいるけど、嘘はついていないんだな。話はあわせやすいけど」

「ああ。……楓も、そういう危険が自分にも存在すると、改めて自覚してもらった」

「あ……」


 瞬く疾にちらりと視線を向け、父親は前方へ視線をやる。その視線の強さに、自然、疾も表情を引き締めた。


「……こんなの、1度で十分だ、な」

「ああ」


 胸の潰れるような後悔も、心が壊れるような恐怖も、2度はいらない。誰の元にも繰り返されないように、今度こそ。

 父親の言葉にしない決意を受けて、疾は歩む足に力を込めた。






 約半年ぶりの家は、何も変わっていなかった。


「……」

「疾?」

「ん……いや……」


 足を止めて見上げていた疾は、父親に声をかけられて、曖昧な声を出す。ちょっと言いづらいな、と思ったが、父親が心配していそうな雰囲気だったので、素直に答えた。


「帰って、きたんだな……ってさ」

「……」

「なんか……うん。ほんと、それだけだ」


 閉じ込められた空間で、2度と戻れないと絶望した。けれど、現実にはそうではなかった。帰ってきた、ただそれだけが、奇跡に思えて。家を目にして、疾の胸には込み上げてくるものがあったのだと。

 言葉にしなかった部分も、父親は汲み取ったらしい。


「そうだな」


 短く、そう返された言葉には、深いものが滲んでいた。


「父さん」

「なんだ?」

「……ただいま」


 顔を見ずに言う疾に、父親は静かに笑って頭を撫でて返す。


「おかえり。……母さん達にも、言ってやれ」

「うん」


 疾は頷いて、父親に促されるまま、ドアに続く階段を上った。チャイムを鳴らすか迷ったけれど、自分の家なのに妙な気がして。父親がドアを開けるのを待って、疾はゆっくりと中に入る。


「ただいまー……」


 何となく、気まずくなりながら小さく独りごちた疾は、次の瞬間飛びつかれた。


「疾!!」

「わっ……と」


 自分と殆ど同じ身の丈の人間に飛びかかられた疾は、咄嗟に背中を支えてくれた父親に、心の裡で深く感謝する。ここでひっくり返って頭を打つのは勘弁だ。


(で、えーと)


 余りの早業に反応出来なかったのだが、サイズ的に、これは多分。


「……母さん?」

「疾……疾……!」

「……」

「ごめんね、疾……ごめんなさい……!」


 息苦しいほどに抱擁したまま、泣き声を滲ませて、ひたすら謝る母親に、疾はなんだか、つられそうになった。


(心配……かけるよな、そりゃあ……)


 父親と違ってずっと疾に会えなかった母親が、どれ程の心労を抱えていたのか。この様子だと事情も知っていたのだろう。父親と同じく、自分を責め続けていたのか。


「母さん……俺、大丈夫だから。な」

「疾……!」


 ぎゅうう、とそろそろ本気で苦しいレベルで締め付けてくる腕に、纏う空気に。こういう時、母親が持つ不安定さが見える。普段は穏やかにしている母親が、何を抱えているのかは知らない。疾としては、そんな母親に更に負担をかけたのは、少し心苦しい。

 とはいえ、謝罪の言葉は更に母親を追い詰めるだけだろう。苦笑しながら、疾は母親の背を軽く叩き、なるべく明るく告げた。


「母さん、ただいま」


 はっと息を呑む音がして、母親はまだ疾の肩に顔を埋めたまま、泣きそうな声で返す。


「おかえり……お帰りなさい、疾」


 そしてそのまま抱きついている母親に、疾はひっそりと背に冷や汗を流した。


(いや、うん。喜んでくれたのは素直に嬉しいし、下手に気を使われるよりは良いんだけどな。母さん……そろそろ離さないと、父さんの機嫌が急降下するぞ……?)


 息子であろうと他の男に妻を取られたら機嫌が悪くなる、父親にはそんな面倒臭い独占欲があるのを、疾は知っている。今は流石に空気を読んで、というか、事情も鑑みて我慢しているようだが、余り長くやっているとおそらく我慢出来なくなる。

 疾としては、その後のべったべたに甘やかしだす展開込みで、出来ればそんな悲劇は回避して欲しいから、そろそろ離してほしいのだが……と、思ったその時。


「あのう……」


 呆れたような楓の声が、廊下の奥から聞こえてきた。


「感動の再会シーンが終わったら、出来ればこっち来て、大惨事となってる我が家の片付けを手伝ってくれると、大変嬉しいんだけど。今朝から母さん上の空すぎて、皿もコップも割り放題、棚の引きだし落とし放題で、空き巣でもここまで荒らすまいって状態なので……」

「えっあのっそのっ」


 ぱっと離れた母親が、慌てたように楓を振り返る。絶妙に母親の気を紛らわしてくれた妹に、疾は密かに親指を立てて見せた。楓もこっそりサムズアップを返したから、やはり同意見だったらしい。


「あのねっ、違うの、その……」

「いや、違わないから。母さん、これは流石に誤魔化せる域にない。というか最初のうちは頑張って片付けようとしたけど諦めた私の名誉に賭けて言わせて、違わない。兄さんにはもうちょい早く帰ってきて欲しかったマジで」


 ノンブレスでの恨み言が、ごく自然に自分へと向けられたことに、疾は苦笑を浮かべた。妹らしい気の使い方に、なんだか心が楽になる。


(……うん)


 父親が、ずっと支えてくれて。強く依存していたのもあって、忘れかけていた。

 自分を取り巻く、居心地のいい環境。家族。


「ごめん、ちょっと寄り道してた」

「その寄り道が何かによる」

「ケーキ買ってきた」

「よし、許す」


 腰に手を当てて大袈裟に頷く、小生意気な妹の仕草に少し笑って、疾は軽く付け加える。


「というわけで、ただいま」

「おかえりー。じゃあケーキを食べられる環境を作りましょ、4人がかりじゃなきゃ無理だってあれ」

「うう……ごめんなさい」


 気まずげな母親に兄妹2人、小さく肩をすくめ合い。

 ごく自然に受け入れてくれた家族に感謝して、疾は靴を脱いで家に上がった。


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