226 脱出
「…………っ」
光を直視したせいで、視界が飛んでいる。
真っ白に染まった世界の中、疾はその自覚をもって意識を取り戻した。
(……くそ……)
徹頭徹尾、相手の掌の上だった。これが気まぐれに差し向けられた罠ではなく、本格的な攻撃であったならば、疾はここで終わっていただろう。
全身が鈍痛に苛まれ、その他の感覚が極限まで落ちている。慎重に両手を床と思われる場所につき、ゆっくりと体を起こした。途端に激痛が全身を走る。
「ぐっ……」
呻き声を漏らし、疾は痛みを堪えながらゆっくりと懐に手を入れた。手探りで魔道具を探り当てて引っ張り出すと、それは粉々になって崩れ落ちていった。
(……時間差で、起動にして……正解だったな……)
最後の悪あがきで起動した魔道具のうち、防御用の魔道具は全て限界までトラップの魔術を凌いでくれたが、それでも完全には防ぎきれないことは最初から分かっていた。
だから疾は咄嗟に、治癒魔術を込めた魔道具だけは遅延起動──防御が破られ疾が負傷するだろうタイミングを狙って起動させたのだ。
異能はほとんど使えなかった。魔法士幹部との交戦からの連用で、下手に行使するとその場で動けなくなるだろう限界ラインに達していたからだ。最低限の展開はしたが、防ぎきれずに軽くない──否、十分な大怪我を負った。
それでも、治癒魔道具でギリギリ対処出来る外傷で済ませられただけ御の字だ。外傷だけでも、癒せたのだから。
「……っ、ゲホっ」
込み上げてきたものにむせると、ごぽりと粘性のある生温い液体が床にぶちまけられる。口の中に、鉄錆の味が広がった。
(……呪い、か)
ギリギリ読み取れた魔法陣を思い出す。身の内側から傷つける呪いが幾重にも込められていたそれらが、今も疾の身を苛んでいる。異能が対抗して活性化しているおかげで生き延びているが、長くは持たないだろう。異能の発動による疾の限界は遠からずと言ったところで、いずれ呪いが打ち勝ってしまう。さらに異能が活性化しているせいで、治癒魔道具で治したはずの傷が再び開き出しているらしく、じわりと服に血が滲み出している。
痛みを堪えて震える吐息を吐き出した疾は、ふと顔を上げる。今だにおぼつかない視界の向こう、それでもはっきりと分かるほど魔力が濃度を増し、光を瞬かせていた。
(……なるほど)
前言撤回だ、と疾は苦笑いをした。どうやらあちらは、本気で殺しに来ているようだ。その程度には鬱陶しいと思わせられていたと受け取っておくとして、まずはここから生きて逃げ切る必要がある。次を食らったら確実に骨も残らない。
「ぐっ……」
再び込み上げてきた血を吐き出して、疾は腹を括った。
口元を覆っていた手を床に叩きつける。手についた血を介して床に広がった血へ魔力を広げ、魔法陣を描き出す。途端に鈍りかけていた痛みが全身を暴れ出したが、脂汗をかきながらも疾は止まらない。
血という最も魔力効率の良い媒介を余すことなく利用して描き上げたのは、見なくとも描けるほど習熟したうちの一つ──転移魔術。
追撃の魔法陣が光るより先に、疾の姿はその場に飛び散っていた血も魔力もひっくるめて、跡形もなく消失した。




