184 過去の虜囚と現在の不具合
転移先での状況は、疾にとって最低最悪としか言いようのないものだった。
古臭い石造りの牢の中、壁を背にし手首に巻きつく冷たい枷が頭上で固定され、身体の自由を奪われる。
まるで過去の悪夢を再現したような、疾が何がなんでも避けたかった「最悪」に直面した、その状態で。
「——そもそも、俺は言った筈なんだがな、『黙って邪魔せず大人しくしてろ』と。一切の妨害干渉行為を禁じたつもりだったんだが、一体全体どのような頭をしていれば人の目を盗んで自らトラップを起動させに行くという発想が出るんだ? ああいや、どうせ馬鹿のことだ、退屈だったからなんとなくとか、思考なぞすっとばした本能寄りの回答しか返ってこないんだろうが。そもそも退屈な状況に陥った原因そのものが自分自身にあって、その後始末に追われている人間に向かって退屈だ等と抜かせるその根性がもはや俺には理解出来ない。いや、驚いたぜ。お前のような馬鹿に『理解出来ないこと』を提供して貰えるとは夢にも思えなかった。寧ろ感謝しなきゃならねえかもなあ?」
疾は唯一自由になる口を動かし、全身全霊を注いで元凶に罵倒を吐き出し続けていた。
「感謝の意を表して説明してやるよ。お前のスマホがしょっちゅう壊れるのは、周囲の魔力や魔術の変化に動物的な勘で察知して無意識に神力垂れ流しているせいだ。お前の場合それは呪術の形となっているわけだな。呪術を無意識にばらまくだなんて、まあなんとも外法師らしい行いなわけだが、そもそもお前の職業は一体何だっただろうな? 呪いってのはそもそもが強い思念波だという説もあるからして、電波を送受信する携帯端末というのは非常に影響を受けやすい。よって呪術に晒されて故障するというわけだ。しかも、更に傍迷惑なことに、その破壊した端末を媒介にして無差別に呪術をばらまいているというんだから、いやその才には全く驚かされる。人の魔術をしっちゃかめっちゃかに掻き回した挙げ句、全くの別物に仕上げて自爆させようなんざ随分と悪意に満ちた攻撃方法だよなあ?」
頭上に束ねられた腕に伝わる枷の感触を気にしないよう、視界に飛び込む石畳の地下牢を意識しないよう、次から次へと口から吐き出す言葉に集中し続ける。
浅くなりそうな呼吸を無理やり規則的な息継ぎにすり替え、身の底から湧き上がってくる感情のまま罵倒の言葉を語彙の限り吐き出すことで、凍りつきそうな思考をなんとか回し続けた。
「挙げ句にその対処に追われている隙に味方を敵地に放り込んで窮地に陥れようとは、悪魔もびっくりのやり口だ。他の奴がやったのなら、なんて素晴らしい悪知恵の働く外法師だと拍手喝采、賞賛の嵐を浴びせた上で誠意を持って叩き潰す所なんだが、それが悪意どころか自覚もなく全て気分と本能だけで成し遂げられたと言うんだから、本当に大したもんだな」
(……いや本当に、大したもんだけどな)
徐々に冷静さを取り戻し始めた疾は、感情そのものを切り離したはずの思考の中で、呆れ気味にそう思った。これまでどの魔法士も魔術師も返り討ちにした疾を、こんなにあっさり簡単に罠に嵌めやがった張本人が、なんとなく暇だったからつい、という動機しかないなど誰が予想できるだろうか、いやしたくないだろう。
「ああ知ってるさ、悪意を欠片も持ち合わせていないことなんざ、よーく分かっているとも。だからこそ驚くんだよ、この胸糞悪い状況が一切の悪意も敵意も隔意もなく、ただの退屈と好奇心だけで生み出されているという何ら救いのない状況にな。あほらしいにも程があるが、つくづくお前の悪運と自ら死地に飛び込んでいくそのどうしようもない性分にはいっそ感心するぜ? 普段は帰りたい帰りたいというくせに、こうして家からほど遠い場所へと自分から飛び込んでいくんだから。お前実は家に帰りたくないんだろ?」
何故大人しくしてれば帰れるというのに余計なことをして、帰宅とは真逆どころか捻れベクトルに突っ走るのか。これが伊巻だとしたらつくづく大迷惑で、意味不明な一族である。
疾にとって心底どうでもいいようで切実に迷惑なことにまで考えが至る程度には冷静さを取り戻してきたところで、竜胆に声をかけられた。
「……なあ……ちょっといいか?」
これまで様子を見ていたのか静かだったのだが、懇願の響きすら聞こえてくるそれに疾は罵倒を止めた。一つ深呼吸をして、丁寧に普段通りの声を作って応じた。
「なんだ?」
「……いや、そろそろ終わるか? って聞きてえんだけど」
困ったように首を傾げている竜胆に合わせるように、疾も軽く首を傾げた。終わるというのは、疾が延々続けていた罵倒か。精神的には随分立て直せたのでもう十分ではあるが、先ほどから多分口先だけの反省を繰り返していた──正直具体的に何を言っているのか認識するだけの余裕はなかった──瑠依への罵倒がこれで終わりか、と聞かれれば。
「あと1時間は軽いけどな」
まだまだいくらでも有り余るほどにある、というのが正直なところだ。
疾にとっては至極当たり前ではあるが、なぜか竜胆には怒鳴られてしまった。
「まだそんなにかかるのかよいい加減にしろ!? 瑠依のメンタルはともかく、一言も喋る暇無く存在ごと放置された人がしゃがみ込んで震えだしてていたたまれねえよ!?」
(……)
疾としてはかなり気のせいであってほしい予測なのだが、最近竜胆が徐々に瑠依のごとく、状況から微妙にズレたことを気にする。これ以上影響を受けられるとそろそろ疾の手には負えないので勘弁してほしい。
「続きがあるなら後でいくらでも時間あるんだから、取り敢えず後回しにして話を聞いてやれよ!」
「は? 何の為に?」
何をとち狂ったか誘拐犯の心配をしている竜胆を黙らせようと端的に聞き返してやれば、何故か場の空気が死んだ。
「何って、だから」
「誘拐なんざする屑の言葉なんざ聞くだけで耳が腐るだろうが。どうせ何が目的だろうが違いがあるわけでもなし、そもそもこんな所までわざわざ出向いてこさせられる雑魚なんぞにかかずらってる手間と時間が惜しいわ。そこの馬鹿を罵倒してる方がまだ有意義だ」
「そこまで言う!?」
疾の事情としても心情としても、目的が見え見えの胸糞悪い誘拐犯の相手など一切の意義を見出せないのは至極当たり前なのだが、瑠依が引き攣り切った声で喚いた。やかましい。
「いや、情報集めなくて良いのか? 定石だろ」
「だから。こんな雑魚から集められる情報なんざたかが知れてるだろうが。言葉の通じない屑の為に割いてやる時間なんかあるかっての」
疾とてただ無意味に時間稼ぎをしていたわけではない。瑠依が思い切り踏み抜きやがった魔術を逆探知し、犯人についてはおおよそ当たりがついている。さらに転移先の座標も読み出せたことで、ここがただの連盟の枝葉組織ではなく、狙いをつけていた魔法士幹部が背後にいることも突き止めた。それ以上の情報を、こんなところまで足を伸ばさせられている雑用係が知っているはずもない。最初から時間の無駄である。
(つーか、今言われて気づいたしな)
周囲の状況は最低限の安全確認のみしか行なっていなかったので、言われるまで存在すら意識に上っていなかった。攻撃もして来ずに落ち込んでいるような輩は敵にもなり得ない。
「つーわけで。とっとと失せろよ、三下。いつまで待ってたって、てめーの言葉を聞いてくれるやつなんか存在しねえんだからよ」
「……っ、災厄が……っ、調子に乗れるのも、今だけだぁっ!」
そう言ってニコリと笑ってやれば、これまた三下の典型とも言える捨て台詞を吐いて去っていった。
(……つーか、災厄って)
それがただの捨て台詞なのか魔法士協会お得意の厨二病なのか、疾は少しばかり気になってしまった。




