157 庇護者
「おや。客人かね?」
衝撃の事実に唖然としていた疾は、ノワールの背後から聞こえてきた声に我に返った。
ノワールが振り返る先には、穏やかな表情の老人。一見好々爺然としているが、体つきは戦い慣れたもののそれであり、疾に向けてくる油断のない眼差しがただの老人ではないと伝えてくる。
「……。ええ、そうですね」
ほんの少し身構えた疾とは対照的に、ノワールの反応は鈍い。なんとも言えない眼差しを疾に向けてから、投げやりな返答を老人に返す。老人が眉を持ち上げた。
「ふむ。この屋敷に客人を招くためには、儂に必ず一報入れなさいと最初に言っていたはずだが、なぜここにいるのかな? トラップはどうした?」
「そうですね、俺もそれは最初に言った記憶があります。トラップに関しては……」
ノワールが視線をフージュに向ける。フージュは思い切り顔を背けたが、その反応だけで2人にとっては十分だったらしい。綺麗に息のあった溜息をついた。この外見詐欺なお子様──実年齢はともかく、中身はどう頑張ってもお子様だ──がこうしたことをやらかすのは、どうやら日常茶飯事らしい。実に大変そうで、愉快である。
「フージュ、後でゆっくり話をしような」
「うー……はあい……」
案の定、フージュはお説教第二弾が決定したようだ。まあ、無理もない。
観客気分で眺めていた疾は、気を取り直すように首を一つ横に振った老人がこちらを向いたのを見て切り替える。
「それで、君は何者なのかな?」
「他人に誰何するなら、まずは自分からっつうのが常識だろ?」
穏やかな笑みで鋭く尋ねてきた老人に、いつものように笑顔で返す。やりとりに覚えがあるノワールが呆れた目でこちらを見るのを他所に、老人の纏う空気が僅かに重みを増す。
「……ふむ。随分と慣れを感じさせるな」
「お褒めに預かり、光栄だぜ?」
「誰何」により無意識下に浮かぶ「返答」を読み取る技能。魔法により強化されたそれは、おそらくこの屋敷内においては老人は使い放題なのだろうが、相手が悪い。魔法士協会を相手に身分秘匿を行うなら、この程度の情報制限魔術は常時展開継続可能だ。体内魔力へ働きかける魔術であるが故に、魔力消費は計算に入れる必要はない。
疾への評価が僅かに上がる気配。値踏みをするような色を僅かに覗かせつつ、老人が名乗った。
「私はピエール・モンディアル。この屋敷の主だよ」
「へえ、なるほど。そこのノワールと同じ、重度の厨二病ロリコン集団の1人ってわけだ。ノワールの魔法の師匠ってところか?」
得た情報で思ったままに言ったら、何故かピエールと名乗った老人が沈黙した。実に形容し難い表情でノワールの方を振り返る。
「……ノワール」
「諦めてください。そいつは普通に会話してもそんな感じです」
ノワールが首を横に振りながらそんなことを言う。何処か達観したような口調の返答に、ピエールの顔が引き攣る。
「嫌なやつじゃのう……」
「それはどうも」
「何故今ので礼が出てくるんだ……」
師弟揃って──ノワールの態度と、疾の発言への否定が入らないあたり、間違い無いだろう──疾にドン引きした眼差しを向けてくる。失礼な。
「いや、3人揃って痛々しい登録名を名乗っておいて、何を今更怖気ついてるんだ? あんたらのトップもアレだしな」
「いや儂もう引退したから……じゃない。ああ、思い出した。ノワールが『側から見ていてもうっかり魔法を打ち込みたくなるような、舐め腐った態度で魔法士協会総帥に喧嘩を売る命知らず』と言っていたのが、お前さんか」
「あいにく、今の所死神の迎えは来てねえな」
鼻で笑って返した疾に、ピエールがにこりと笑う。少し調子を取り戻したらしい。
「この状況でも慌てない胆力は確かに大したものだ。だが少々、無防備が過ぎるのでは無いかな?」
「そうか?」
空気に痺れるような緊張感が走る。ノワールも身構え、フージュですらいつの間にか手にした刀を両手に構えていた。……スピードファイターが双刀使いとは物騒極まりない。
じわりと嫌な汗が首筋を伝うのを感じながらも、疾は悠然と笑ったまま動かない。この程度の窮地を予想もせず、子供騙しで屋敷に侵入したりはしない。大体、今回は最大級の切り札を持っている。
「まず一つ。あんたは登録名を名乗っちゃいるが、すでに魔法士協会の人間じゃない」
「……」
ピエールとノワール、共に無反応。隙を見せまいという姿勢は疾にとっても好ましい。この程度で動揺されては、この先の一手が打てない。
「次に一つ。殺すだけならさっき親子漫才やってる時に仕掛けられただろ。ただの侵入者だっつうことは、ノワールの反応見てりゃわかることだしな」
「……、……」
ノワールが口を開閉したが、何も言わなかった。空気を読んだらしい。もちろん狙って言った。
「最後に。この状況で俺を殺すとして、どう協会に報告する気だ? 『子飼いのガキが無防備にも協会に敵認定されている輩を迎え入れ、そいつにロリコン厨二病集団と言われて頭に血が上ったので殺しました』? いいなその報告書、俺にも是非読ませろよ。協会にこの滑稽な状況がより伝わるように添削してやるからさ」
「お前と言うやつは……」
「……っ」
ノワールが低い低い声で唸るが、それよりもピエールの反応の方が疾には重要だ。僅かに息を呑み視線を鋭くしたピエールに、疾は笑みを浮かべて見返し、──瞬きの間だけ、眼差しに浮かべた感情をごっそりと削ぎ落としてみせた。
「!」
「さーて、どうする? 俺としてはひと暴れしても全く構わねえがな。この場合、それで困るのは果たしてどっちだろうなあ?」
ピエールが目を見開くより先に表情を元に戻し、疾はあえて上から見下すように笑ってみせる。
(さあ、どう出る)
ノワールからの報告を受けている以上、疾に対して総帥が直接興味を持ったことは理解出来ているはず。先ほどからのやりとりを見るに、ピエールはただ魔法の師匠というだけではなく、保護者としての意識を持っていることはほぼ間違いない。さらに、ノワールが師事する人物ならば、最低でも魔法士幹部。魔法士幹部の情報はすでに全て把握しているが、この老人の名前は出てこない。
──魔法士協会に属しておらず、現状ノワールの保護者をする人物。かつお子様のうっかりに目を瞑れば最上級のセキュリティ。これで、総帥の狙いを理解していないはずがない。
であれば。疾という総帥の興味を引いている敵を排除し、この2人を庇護する環境の瑕疵を晒すことがどれほどの悪手なのかは、一目瞭然。その可能性を疾が口にする以上、拘束を目論んでも殺人を目論んでも、隠蔽できないようこちらが手を打っていると判断する。
加えて、この「世界の道化」と呼ばれる御仁が疾の予想通り、「狭間の管理人」ならば。疾の父親を一時的にとはいえ保護し、手を貸すような精神性の持ち主ならば、選択肢はほぼ一つに絞られる。
呼吸すら憚られる沈黙は、ピエールの深い深いため息で打ち破られた。
「……はあ。やれやれ、性格の悪い上に、厄介ときた。お前さん、ろくな死に方せんな」
「最上級の褒め言葉だな。実際どうせ死ぬなら冥土への土産を持てるだけ持って高笑いしながら死ぬのが理想だしな?」
「…………本当に、碌でも無いやつだ」
半ば吐き捨てるようにそう言って、ピエールは戦意を解いた。そのままノワールとフージュにも軽く手を振る。
「……いいんですか?」
「そいつのいう通りだろう。お前さん、今回の一件を報告書に書けるか?」
「……」
「だから、良い。今ここにいるのは儂の客人だ」
「……わかりました」
ノワールが肩の力を抜く。続いてフージュから双刀を受け取り、魔術空間に仕舞い込んだ。武器はノワール管理らしい。
「お招きいただき、感謝するぜ?」
「ふむ、だが客人というからには、招き入れたものの名前を知らないというのは不自然だな?」
「……へえ」
なるほど、そこを落とし所とするか。少し笑みを深めながら、疾は何十にも魔術を組み込みながら言葉を発する。
「疾だ。よろしくな、道化」
「よろしくの」
「よろし……わわっ」
「お前は、いい」
満足げなピエールに釣られたフージュをノワールが頭ごと押さえ込む。チラリとをそちらを見て苦笑したピエールが、軽く手を叩く。
「ノワール、茶でも入れてこい。フージュも手伝ってやれ」
「……。茶漬けでも出せと?」
「お前なんでそういう妙な文化を仕入れてんの?」
ついうっかり素でツッコミを入れてしまう。なんでそこでぶぶ漬けが出てくるんだ、疾も親との雑談で偶然知った程度の地方文化だというのに。
ピエールは微苦笑しながらも、ノワールに首を横に振ってみせた。
「普通に茶で良いよ。儂も訓練後で喉が渇いたのさ」
「はあ……行くぞ、フウ」
「はーい」
どこか嬉しそうなフージュを引き連れて、ノワールが部屋を出て行く。実に親子じみた光景を生ぬるく見送る疾に、ピエールも苦笑を深めた。




