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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
9章 『漆黒の支配者』
155/232

155 狭間と子供

「っ……」


 足が地面についた感触。咄嗟に踏み締めた疾は、遅れてやってきた目眩にグッと奥歯を噛む。


「……油断大敵、だな」


 苦々しい気分で呟く。逃亡時の安全確保については気をつけていたつもりだったが、あのタイミングから魔法を間に合わせるとは予想外だった。少し甘くみすぎていたらしい。ノワールと比べて温いとはいえ、魔法士幹部と認められているだけのことはあるというわけだ。


 ほどほどに自省した疾は、目眩が落ち着くのを待って周囲を見回した。奇妙に不安定で、道らしい道ひとつない空間。自身の立つ場所すら曖昧になりそうな錯覚を覚えるこれは、疾の知識で当てはまるものが一つ。


「狭間、か?」


 世界と世界の狭間。疾がよく行き来する異世界だけでなく、それこそ鏡面世界や冥府との狭間でもあるこの空間は、どこでもあってどこでもない、定義のない場。かつて疾の父親が、なんらかの事故で落ちたという場所でもある。

 ということは。


「管理者、ねえ……元通り帰してくれるものか……」


 父親が知り合ったという狭間の管理者がいるはずだ。だが、父親が帰ってきたんだから大丈夫、とはいかない。あの疾の母親至上主義者が、母親の元に帰るためならどんな無茶無理無謀を押し通していても疾は全く驚かない。きっと碌でもない真似をしでかしている。

 となると、関係者とばれると私怨で帰還拒否、とか普通にありそうである。それは困るので、偶然の迷子を装いつつ帰る方法を模索するしかないだろう。まあそもそも管理者に出会えるのか、という問題もあるのだが。

 とりあえずどっちにいくか、靴でも投げてみようかと大変適当な冒険を開始しかけた疾は──何せ手がかり0である──、そこでふと瞬いた。


(……?)


 気のせいを疑ったが、再び肌に触れた感触が否定する。暫し考え込み──罠か偶然か、非常にややこしい状況である──、まあ手がかりもないしと、疾は開き直った。感じた魔力の気配を頼りに、空間を移動する。

 しばらく移動すると、不意に視界がひらけた。聳え立つ洋館にはさまざまな守護魔術がかかっているようだが、立ち入るだけで問答無用に攻撃してくるような仕掛けはなさそうだ。一歩館内に踏み入れた瞬間、安全は保証されないだろうが。


(魔法士っつうのは、中に招き入れて殺すのが流行なのか?)


 どうせなら中に入れない方法を考えれば良いのに、と自分の特異な「眼」を棚上げにして──おそらく通常の魔術師であれば、守護魔術のせいで洋館を見つけることすらできないだろう──そんな感想を抱きつつ、疾は玄関らしき扉に続く階段へ足をかけた。何事もなく階段を登りきり、さてどうしようかなと今後の身の振り方を考えながらノックした。



「はーい!」



「…………」


 なんか、幼い子供の声が聞こえたような。


 思わず瞬いた疾をよそに、パタパタという無邪気な足音が近づいてきて、無警戒に扉のロックが解除される音。


(……今日び小学生だってドアスコープくらい覗くぞ)


 つい内心呟いてから、いやそうじゃないと我に返る。こんな場所にいる子供がただの子供なはずもない、と身構えた疾をよそに、豪快に扉を大きく開いた張本人は、目をまん丸くして疾を見上げた。

 藍色の瞳に、鮮やかな赤い髪。華奢な手足に小柄でストンとした体型の、どこからどう見ても小さなお子様。ギリギリ二桁年齢に届くかどうかだろうか。こぼれ落ちそうなほど目を見開いて疾を見上げる姿には警戒心のかけらもなく、本当にただの小さな子供に見える。


 が。


(……総帥とは違う……が)


 あの人外を見た時のような不快感はない。が、チリチリと肌の表面を撫でるような本能の警告と、疾の目に映る強い異能の気配が、只者ではないと伝えてくる。一つ間違えれば容易く疾の命を奪い得るだろうという、直感。


「えーと、だあれ?」


 ……まあ、本人はものすごく無防備かつ無警戒なのだが。


「だれだと思う?」


 なんとなく毒気を抜かれて、子供相手のような気分であしらう。ぱちくり、と瞬いた子供は、こてんと首を横に傾げて、聞き返してきた。


「ノワの、お客さん?」

「……。そうだな、お客さんだ」

「そっか! ノワ、今はマスターと訓練中だから、先にお部屋にご案内、します!」

「よろしくな」


 取り敢えず、とっても面白いものが見られそうだな、と思った疾だった。



 子供の案内を受けて、疾は洋館の中へと足を踏み入れる。予想通りそこはトラップの温床となっていたが、いずれも発動する気配はない。


「えっとね、お客さんに、トラップは発動しないよ。でも時々、無差別トラップが発動するの。それは、私がなんとかするね!」

「……よろしくな」


 先程と同じセリフを繰り返す。人間、ツッコミが追いつかなくなると投げやりになるらしいという、人生初の経験中であった。


(なんつうか……あいつ本当に、総帥に狙われてんのか……?)


 確かに常人ではたどり着くことすら難しい狭間だが、ノックをしたら客人扱いされるようなザル警備で、総帥相手に身の安全を確保できるとは思えないのだが。疾の家族のように逃げているのではなく、魔法士幹部として正式に登録され、居場所も認識されているのならば尚更だ。

 どうにも矛盾に満ちた環境は、ノワールの態度とも重なるが──とそこまで考えたところで、大変嫌なことを疾は思い出した。


(……いたなそういや、本当にこんな無警戒で生き延びれるのかっつう、無知無思慮な大馬鹿野郎が、こっちにも)


 魔法士を相手取っている際は特に積極的に忘れるようにしていたが、思い出してしまった。もしやあれか、ノワールもああいう厄介なのに引き寄せられる星巡りだとでもいうのか。

 などと若干失礼なことをつらつら考えつつ──この際、子供相手に失礼なのか馬鹿相手に失礼なのかは棚に上げる──、疾は不意に風切り音が背後から聞こえ、身を翻した。


「だいじょーぶ!」

「……っ」


 思わず息を呑んでしまう。これは、流石に疾にも予想外だ。


 疾が動くより早く、疾の前を暢気に歩いていた子供が疾の横をすり抜け、飛んできた矢を掴み取っていた。


(身体強化……マジかよ)


 疾ですら知覚できない速度で発動した身体強化魔術と、一つも無駄のない滑らかな動きが、予備動作なしの急加速を生み出していた。

 初見でこれをされたら、間合いに入られ攻撃されるまで、何が起こったのかすらわからなかった可能性が高い。疾は遅れて背中に汗が吹き出すのを感じた。


(おまけに、こいつ……)

「トラップは、ちゃんとわたしがとるよ! お客さんには安全が大事!」

「……そうか。立派な心がけだな」


 笑ってみせた顔が引き攣っていなかったのは、我ながら面の皮の厚さを褒めてやりたい、と疾は思った。

 一切の敵意どころか緊張すら見せず、呼吸をするような自然さで殺意ある攻撃を捌く。本来、戦闘における感情の昂りというものが、この子どもからは全く感じ取れない。


(どんなガキだよ……)


 いったいどのような教育を施されたのか、あるいは生まれつきか。いずれにせよ、戦闘慣れするほど反応が遅れてしまうだろう、あまりに自然体な姿は異様の一言に尽きる。


 ……とはいえ。


「ノワに、たくさん教えてもらってるの!」

「そーか、そりゃ偉いな」

「えへへー」


 これほど毒気のない子供相手に敵意を持ち続けるというのも難しい。ひとまずは適当にあしらいつつ、疾はその後のトラップ対応も全て子供が危うげなく対処するのを傍観していた。



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