127 非常識
「随分と調子が良さそうだな」
「ああ?」
息も絶え絶え、大の字で横たわった疾は、涼しい声で投げ掛けられたその台詞に、不機嫌そのもので睨み付けた。
順調に協会への嫌がらせを進めていた矢先、疾はまたしも冥官に呼び出された。白い空間に来るなり一方的にボコされ体力切れを起こした現状で、今の台詞に機嫌良く応じるほど、疾の性格はおめでたく出来ていない。
「魔力の流れも異能の運用も、前に訓練した時とは段違いだ。何か良い事でもあったか?」
「別に」
対魔法士協会の作戦は順調に進み、疾の描いた通りの展開を辿っている。本腰を入れて半年に満たないうちにここまでの成果を上げられたのだから、上々だろう。
更に、父親のアドバイスを活かし、魔術構築を構成要素と補助要素の明確な役割わけを意識することで、魔術の運用効率が上がった。最低限の構築要素のみで作り上げた魔術は、威力こそ低いものの速射性に優れており、猫騙しとしては上等な代物だ。手札が増えれば切り札が増える。多岐にわたるカードで相手を翻弄するスタイルの疾としてはかなりありがたい助言だった。
構成要素のみに異能を働かせることで、最低限の魔術解読と異能行使で魔術の阻害を行えるということも明らかになり、魔術と異能を併用した戦闘での消耗を随分と抑えられるようになったのも大きい。消耗はそのまま魔力回路への負担になると改めて自覚できたのも収穫だ。
そういう意味では「良い事があった」という事になるが、それでも一方的な展開で伸した張本人である冥官相手に認める気にはならないだけである。
「疾の感性って微妙にずれてるからなあ」
「うるせえ、あんたには言われたくない」
「いやあ、疾のそれは病気みたいなものだろう?」
「……」
「どうにも否定したがっているようだけど、そろそろ向き合うべきだと思うけどな、俺は」
……にこやかに痛いところを抉ってくる冥官に、溜息だけで応える。あらゆる面で勝てる相手ではないと分かってはいるが、口でも言い負けていては話にならない。
(いつか絶対言い負かす)
なんとなく情けのない決意を固める疾を知ってか知らずか、いやおそらく知っているのだろう。にこりと笑うだけの冥官は、すいと疾の懐を指差した。
「それにしても、俺の用意した空間に随分な不純物を用意したものだ」
「あ?」
「というか、疾は持っていて不愉快じゃないのか?」
「……何の話だ?」
示されているものは理解出来るが、言っている事が理解不能だ。冥官の言葉が盛大に足りないのはいつものことだが、相変わらず何が言いたいのかさっぱり分からない。
胡乱に眉を寄せた疾を見て、冥官は何故か意外そうな顔をした後、1人で納得して頷いた。
「ああ、そう考えればおかしくはないのかな。まあいい、取り敢えずそれを出せ」
「はあ……」
溜息で傍若無人ぶりを流し、疾は言いなりにポケットの魔石を取りだした。先日、暗殺目的で売りつけるふりをされた闇属性の魔力が篭められた魔石である。
(別に、属性1つで何か影響するわけもないだろうに)
闇属性という響きで悪印象を持たれやすいが、所詮は魔法を扱う際の特性でしかない。属性の決定には当人の気性が影響するという説もあるが、だからといって魔力そのものに善悪はない。人間に悪影響を与えるとすれば、それはもう魔力ではなく瘴気だ。
「疾、これの解析はしたか?」
「……魔力量、属性、破壊した回路以外にか?」
「魔石そのものについては調べてないんだな」
「人工魔石だろ?」
自然界から自然発生したものではなく、魔力を篭めやすい石に魔力を溜め込んだ人工魔石。単独属性になるそれは、魔法具加工には向かないが魔道具加工にはかなり有用だ。闇属性のこれは、それ故に呪詛系統の魔術をこれでもかと組み込まれ、暗殺用の魔道具とされていた。
「まあ、確かに「人工の」魔石だな。だけど、疾の認識だと50点だ」
「……何?」
「まあ、よく視てみるといい。分からないようならコンタクトを外せば直ぐだろうな」
眉を寄せた疾に、冥官はいちいち癪に障る物言いをしてくる。苛立ちを宥め、魔石に視線を向ける。肉眼で全体を眺めておおよその特徴を再確認した後、視点をずらすようにして魔力へと意識を向ける。
(闇属性……圧縮度は尋常じゃなく、単一魔力に満たされている……余程上手く魔力を流し込み圧縮させ……て……?)
「…………は?」
呆気に取られた声がこぼれ落ちる。それが疾自身の声だと認識するのに少しかかった。
(……いやおい、冗談だろ?)
「どうやら気付いたようだな」
「……見間違いじゃねえわけか。バッカじゃねえの」
自身も大概に非常識だと思っているが、流石にこれには言葉を失わざるを得ない。見えたものを疑うなどなかなか無い経験だ。
(けどこれは普通考えつかないだろ……)
「世の中広いよなあ」
「そうだな、あんたみたいな人外にそう言われるって時点で、あいつ人間やめてるな」
シンプルに言い切って、疾は改めて魔石を見上げた。乾いた笑みを浮かべたまま、軽く放り上げてキャッチする。
まず、この魔石の正体が非常識の塊だった。
「放出した魔力を圧縮して魔石化するってどういうことだよ。魔力の物質変換って、錬金術の最高難易度だろうが」
「そうらしいな。疾もやってるけど」
「別物だろうが」
疾が異能を圧縮して武器へと変換したのは、異能が元々神通力に通ずるものだからだ。同様に、自然界の魔力が魔石化するのも、大気中の魔力が世界の構成要素——日本の神話から言葉を借りればそれそのものが「カミ」であるがゆえ。
一方で、人間が持つ魔力は、あくまでその人間が持つ器に、自身が生成した魔力でしかない。魔力がどこから生み出されているのかは未だに明らかになっていないが、睡眠や食事で回復し、枯渇すれば死亡することから、所謂「生命力」と呼ばれるものから別個に生み出されるものとされている。
極論の中には、人間の持つ魔力は、「神を模して作られた器に宿る紛い物の力」扱いしてるものさえある。その正誤はともかくとして、人体内で保有できる魔力を圧縮した程度で、「力」というのは物質化しないのは確かだ。不可視で流動的、不定形だからこそ、魔法陣として様々な形に構築できるのが人の魔力だから、固体になってはならないはずなのだ、本来は。
自身の魔力を核にして大気中の特定属性の魔力をかき集め、魔石に付与する技能は錬金術の分野であり、それを突き詰めた先が魔力の物質化への理論だ。それを、一個人の魔力で作り上げ、他人が魔道具として利用している——つまり、複数個作成しても痛くも痒くもないということ。
「あいつ本当に人間か、いや殆ど人間じゃねえんだった」
「殆ど、な」
そして、もうひとつ。
掌で転がす魔石に視線を落とす。少し、いやかなり葛藤したが、疾を見下ろす冥官の眼差しからして諦めるしかないらしい。1つ溜息をついて、異能を流し込む。
魔石は1度強く輝き、——さらさらと崩れ落ちた。
(あー勿体ねえ……)
未練がましく掌を眺めつつ、予想通りの結果に溜息をついた。
「……人鬼、ねえ」
あの無表情無感情、人殺しに何の感慨も抱かないくせ中二病扱いには年相応の表情を見せた同世代の少年が、よもや道を踏み外した文字通りの人外だとは——いや、確かにその目で見ると納得できる部分もあるが。
「まあ、そこはギリギリ許容範囲に収まっていそうだがな」
「は?」
「辛うじて人の形を保っている、ということだよ」
「あー。ぎりぎりの所で踏みとどまってはいそうだよな、魔力を視る限り」
「そっちより、問題はあるだろ?」
「……こっちの方が問題なのか」
その辺りの感覚はいまいちよく分からないと首を傾げながら、疾は視線を外した。
(開闢の澱……)
冥官に与えられた知識、遥か太古より淀む闇の存在。太陽を司る日本の天照大神が天皇を現人神としたのは、容易に闇に堕ちやすい脆弱な人という存在を、光へと導くためという目的もあったという。
だが、人は時に、思いひとつで闇すらも自分のものにしようとする。その素質を持つものは、闇属性でも一握りだと言うが——ノワールは、その素質を自分のものにしているわけだ。
(ま、だろうな)
手の届くところにある力に、手を伸ばさずにいることは難しい。疾とて、生き延びるために忌避していた異能を自分のものにしている。力を欲するものが、これほど明確な力を求めないはずがない。
「開闢の澱は、媒体を通じて世界を汚す。かつて起こった政変のかなり多くが、開闢の澱に唆されて起こった」
「まあ……唆された奴の自業自得だろ」
「それで済ませるには被害が大きすぎるさ」
言葉に含まれた不穏な響きに、疾は視線を戻す。感情の見えない薄い笑みを浮かべている冥官の黒い瞳に、疾は首を傾げた。
「俺としては、折角の高純度な魔石を使いもせず失う羽目になった事の方が、よほど大きい被害なんだがな」
冥官が軽く瞬いて、ふと笑う。
「……肩の力が抜けたな」
「あ?」
「いや、独り言だ。それはまあ、俺の目の前に持ち込んだ自分の迂闊さを恨んでおけ」
「……へーへー」
(つまり個人所有は見逃すってわけだろ、次の機会を待つか)
内心でしれっと考えつつ、疾はようやく上体を起こした。呼吸が整っていることを確認して、改めて冥官を見上げた。既に不穏な気配はない。取り敢えずのところは、鬼狩りとしてノワールに関わる気はないらしいと疾は判断した。
(しかし……尚更、扱いに困る相手って事だよなあ……)
鬼狩りの立場としても、魔法士協会の敵という立場としても、厄介さは増すばかりのようだ。次の衝突が怖いのか、楽しみなのか。疾は敢えて深く考えるのをやめた。




