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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
6章 『鬼』と『冥府』
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121 同調

「とはいえ、これを狩るだけなら、疾にとっても大した事ではないさ。問題はその後──」


 言葉のついでのように、冥官は無造作に引き絞られた弦を手放した。勢いよく飛び出した矢が、呪詛を吐き続けている堕ち神に過たず突き刺さる。

  光が、弾ける。淀みきった存在が、全てを浄化されていく様を見ていた疾は──不意に、目が合った。


(っ、何故)


 冥官の認識阻害は問題なく機能している。それなのに、自分は今、何に捉えられた。

 予想外だったのか、冥官の声に焦燥が混じる。


「これは……? 疾、目をとじ」



声は、そこで塗り潰された。



「あ、っがぁああああ!?」



 獣の吠え声のようなものが、遠くから聞こえてくる。自分が叫ぶ声すら認識できなくなった疾は、脳裏に流れ込んできたそれに五感全てを乗っ取られた。



 人々の営み。大地を循環する力の流れ。祈りが糧となり、祈りを大地に巡らせる事で人々へと恩恵を与え、感謝の念が自らに流れ込んでくる。循環の心地よさが、温かく包み込む。

 けれど。温かな祈りがある時薄れ、肌に触れるのは冷たい気のみ。魂も器も冷えていくのに、力は注がれず、徐々に弱っていく。稀に流れ込んでくる祈りは、ひどく身勝手で、時に他者の不幸を祈るもので。次第に膨れ上がってくるのは、重く凝った猛々しい力と、力に引きずられた心。

 怒りと、憎しみと、悲しみが際限なく湧き上がり淀み、息ができない。苦しいのに、助けて欲しいのに、ヒトは自分を忘れ去り、捨て去り、時に唾すら吐き捨てる。荒らされていく祠は、そのまま魂の不均衡を助長させていく。


──神に任ぜられるほどの存在の知覚と、心。人とかけ離れた時の認識を持つ、位格が違う魂が抱える、桁違いの情報量。


 あまりに膨大なそれに、疾の意識は為す術もなく翻弄される。自身の輪郭すら見失い、情報に全てを乗っ取られる──直前に、ぐいと何かに力強く引き寄せられる。



 喧噪が、遠のいた。



「──て」


「う、ぁ……」


「──やて」


「ぁ、く……」


 これは、なんだ。

 鼓膜を揺らす、これは。



『──疾』



「っ、あ……?」


 声に呼ばれた、と。


 目が、開いた。


 飛び込んできたのは、黒曜色。くろぐろとしたそれを、呆然と見つめる。


「……疾。分かるな」

「え……あ」


 何を、と思って。分かった。

 ここがどこか。自分が誰か。そして、目の前の瞳は。


「……めい、かん?」

「そうだ」

「ここ、は……もどって、きた、のか」

「ああ。……疾、一回深呼吸しろ」


言われるままに息を吸って。そこでようやく、自分が息を止めていたことに気づいて、咳き込んだ。


「っ、ごほっ……かはっ」

「まず、自分の呼吸を取り戻せ。そうすれば、全部、取り戻せるはずだ」

「っは……なにを、だ」


 問いかけを発した途端、疾は跳ね起きた。即座に襲いきた頭痛に頭を抱える。


「っってえ……」

「動かない方が良い、と言ってやるのが先だったか」


 軽く苦笑するような声すら頭に響く。呻き声を必死で飲み込み、疾はひたすら深呼吸を繰り返した。酸素を脳に送り込むことで、ほんの少しずつだが、痛みが和らいでいく。


「落ち着いたら声かけてくれ。少し片付けてくる」


 その言葉に頷くこともできない疾に、覆い被さるようにしていた冥官が離れていく気配がする。知覚しながらも、疾は一向に引かない痛みに一度体を横たえた。


(……、何が起こった……?)

「疾」

「……何だ」


 かろうじて開けた片目に、白い世界の中、何かにかがみ込む冥官の後ろ姿が映る。


「今、何が見えている?」

「は?」

「疾の目には、何が見えている?」

「……あんたと……おい、何だそれは」


 身を起こした冥官が、すいと掌を疾に見せてくる。ほんのりと漂う、暖色の光。


「和魂」

「は……?」

「堕ち神の成れの果てだよ」

「……? 何だ、それは」


 聞き覚えのない単語に眉を寄せると、冥官は苦笑した。


「記憶が飛んでるな。まあ、だからこそか」

「何がだ」

「陰陽の均衡が崩れたら、どうする?」

「……均衡を取り戻す為、に……っ」


 問いかけを無視して投げかけられた質問に、疾は苛立ちを覚えながらも答えようとしたが、頭痛が急に悪化して呻いた。


「ここまで影響が出るとはなぁ」


 その声に珍しくも滲み出た苦さに気付くことも出来ず、疾は目を閉じた。地面が回転しているかのような目眩まで加わり、ますます具合が悪化していく。


「そうなると……そうだな。疾、今魔道具は持っているか? 戦闘に使っていない方だ」

「……」


 脈絡のない問いかけは無視した。持ってはいるが、この状況で指し示す気にはならないし、そもそもそんな余力はない。


「少しは反応しても良いだろうに、本当にいい性格をしているな……これか」


 ……文句を言いながら、まともに動けない疾から許可なく取り上げる奴にだけは、性格云々言われたくはない。


『謹製し奉る──』


 祝詞が響き、目を閉じたままの疾の瞼の裏に、燐光が瞬いた。穏やかな風が疾の周りにまとわりつき、冷え切った身体を温め、頭痛が和らいでいく。そして──光と音が消えた。


「っ!?」


 咄嗟に跳ね起きようとした疾は、しかし肩を押されて再び横たわる。


「落ち着け。魔道具外しただろう?」

「は? 何で俺、が……」


 言いさして、疾は、ようやく思い出した。


「……あ、」

「思い出したか」


 笑う気配がして、疾の手に硬いものが握らされた。感触でピアスだと判断し、手探りで装着する。コンタクトケースもポケットから取りだし、再度装着すると、視覚聴覚が回復した。


「ここ、は、いや、何でさっきは見えたんだ、そもそも何故あんな事になった」

「うん、ちょっと落ち着け」

「だっ!?」


 思い切り額を指弾され、疾は頭を抱える。急に何をするのかと見上げた途端、赤い瞳に身を強張らせた。



『落ち着け』



「──っ」


 言霊に力尽くで屈服させられる感覚。くらりと目眩がして、疾は堪えられずに目をきつく瞑った。声だけが頭上から降り注いでくる。


「そのまま聞け。まず、俺達が堕ち神を狩る為に、異界を渡ったのは思い出したな? あの時点で疾の知覚は魔道具の補助無く機能していた。異界そのものが「この世ならざるもの」だからだ。だからこそ、影響を受けすぎないよう、俺が術を掛けた。ここまではいいな」


 倦怠感に勝てず、疾は瞑目したまま小さく頷く。


「そして、俺が異界側から堕ち神を狩ったが、ここで計算外の事態が起きた。疾の「眼」を通して、異界と現世を繋ぐ「道」が出来た。……そうならないように張っていた術式だったんだがな」


 冥官の声に苦みと呆れが混ざった。


「堕ち神を狩る際に最も気を付けなければならないのは、四魂の均衡が崩れ暴走している魂を狩った時に起こる反動だ。一方に偏っていた天秤の皿の中身を一気に取り去れば、逆方向に振り切れるだろう? そんな反動は、狩った側の精神に作用しやすい。だから事前に対策したんだが……「理解」と「眼」だけで、認識阻害すら打ち破って「同調」してしまうとはな。疾の異能関連の才は知覚特化と言えるかもしれない」

「……おおよそ、理解した」


 未だ倦怠感に囚われたまま、疾は重い口を動かした。億劫さが滲み出る声で、問いかける。


「あんたの計算違いとやらで、俺が危うく魂ごと堕ち神の崩壊に呑み込まれかけたのは、分かった。で、何故、魔道具も無いのに見聞き出来た」

「浄化後に残る和魂は、神が人に与える恩恵と同等の効果を持つ。今回はそれを疾の魔道具に取り憑かせることで、あやふやになっていた記憶や同調による身体の悪影響を打ち消した。今後も効果は継続するから、堕ち神狩りで同様の事態にはならないはずだ」

「質問に答えろ」


 何とか瞼を持ち上げて、覗き込んでいた赤い瞳を睨み付ける。疾の追求に、冥官は薄く笑むのみ。


「それは、俺からは答えられないな」

「は?」

「何故、疾の目と耳がそうなのか。それをきちんと理解さえすれば、分かる筈だぞ」

「……何を言ってる?」


 疾は父親と医師から、自分の容態について全て説明を受けている。この空間が作られたものであろうと、冥官が生身の人間である限り、くっきりと像を写すことも、魔力を篭めていない声が聞こえることもあり得ない。

 それは総帥に玩具にされた代償であり、気を抜けば直ぐに不調を訴える魔力回路ともども、おそらく疾が戦う間、向き合い続けなければならないハンデだ。

 今更、原因も理解もへったくれもない、疾の欠陥。全ては実験体にされた故の──


「違うと思うけどな」

「……何がだ」


 眉を寄せた疾に、冥官は肩をすくめて立ち上がる。


「おい」

「もう立ち上がれるだろう? そろそろ帰らないと、遅刻するぞ」

「どうせ休むつもり……遅刻?」


 寝坊ではなく遅刻という単語選択に違和感を覚え顔を上げると、冥官がにこりと笑う。


「異界の時間経過を、現実と同じだと思わない方が良いぞ」

「…………」


 つまり、瑠依と別れた後の体感2,3時間は、現実では10時間を超えるらしい。

 そして疾は昨日、両親への連絡をしていない。


(……やっべ)


 顔を引き攣らせた疾に小さく笑いを漏らし、冥官は二度手を打った。


「それじゃ、次は人鬼狩りの仕事で会おう」

「あ、おい──」


 それ以上何か言う前に、疾の視界は切り替わる。瞬きの後に見えたのは、自室の天井。


「…………はあ」


 諸々の感情を溜息で吐き出し、疾は取り敢えず、着信履歴が怖ろしい事になっている端末を手に取ったのだった。


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