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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
6章 『鬼』と『冥府』
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113 職務交渉

「鬼狩りの仕事内容は、言葉にしてしまえば簡単よ。鬼が出やすい月の出ない夜に街を巡回すること、鬼による被害が確認された場合は最優先で討伐に向かうこと。あとは瘴気の吹きだまりが悪化して、鬼が発生しうる規定値を超えた時に瘴気の浄化をすることだけれど、これはなかなか予測が難しいのよねえ」


 地区によって差はあれど、人間が住む街には多かれ少なかれ、負の感情の吹きだまりは多発する。その中でどれが自然解消し、どれが瘴気と化して鬼の温床になるのかは、予測しづらい。

 更に、負の感情の吹きだまりから瘴気になりかけた状態までは、土着の術者が浄化作業を行うのが暗黙の了解らしい。土地を魔力面で支える魔力線──日本では龍脈と呼ばれる──の維持が彼らの仕事だから、当然ではある。が、一度鬼が生み出されるようになると、鬼狩り以外には手に負えなくなる。その微妙な線引きを話し合う手間暇を、フレアは惜しんでいるらしい。


「だから、大体鬼が発生して被害が出るまで、私達が動くことはないわね」


 職務怠慢という言葉が浮かんだが、基本的に存在が秘匿されている鬼狩りと術者の折衝などという面倒事を背負うのは、疾も願い下げなので流しておく。


「で、担当区画だけど。大体予想しているでしょうけれど、貴方達は住んでいる紅晴市を担当してもらうわ。あの街は特異点だから、鬼の発生頻度も高いのよ」

「え、それ呼び出しめっちゃ多いって事? やだ帰りたい」

「そもそも貴方の親戚が代々担当しているのはその為よ、諦めなさい」

「ちくしょう! 彰のやつ、マジで帰ってきたら変われ!!」


 どうせ丸め込まれて終わりだろう、と至極自然な帰結を予想しつつ、疾は自分の顔が思い切り嫌そうな顔になるのを止められなかった。



「そうそう。基本的に、鬼狩りは前衛と後衛の2人組で仕事をするから、瑠依はそこにいる疾と仕事をしてもらうからね」


「は?」



 瑠依がぱかっと口を開けて阿呆面を晒しているが、疾としては、嫌な予感がものの見事に的中して、頭痛が悪化する一方である。


「おい、女狐」

「……誰の事かしら」

「あんた以外に誰がいる。ぴったりだろ」

「だから何でいちいち突っかかるの!?」


 言動の端々が鬱陶しくて、つい煽りたくなるからである。


「正直、これを連れて行くより、俺1人で動く方が遥かに効率が良いんだが」

「え」

「それくらい分かってるわよ、私も冥官様も」

「俺は、そうかもしれないなあとしか言ってないけどな」

「え!?」


 何故か愕然としている無自覚馬鹿は放っておいて、疾は苦情を申し立てる。


「寧ろこの、秘匿職務である鬼狩りの情報をぽろぽろ漏らしたり、人鬼から一目散に逃げ出して状況を悪化させたりする足手纏いは、仕事よりも先に、再教育が優先じゃねえの」

「この子これでも、鬼狩り研修では優秀なのよ。局内で与えられた課題をこなす分には、何も問題がないの。局から出した瞬間に、ご覧の有様だけど」

「これで優秀だと? 鬼狩りっつうのはそこまで質が低いのか?」


 心底疑問に思って投げ掛けると、フレアが顔をひくりと引き攣らせた。何かプライドに障ったらしいが、真っ当に考えて瑠依が優秀扱いは本気で無い。


「神力の制御も出来ず、ジャミングあるいは増幅装置として常時力をばらまいてる。きょうび魔術を学び始めた見習いだって、んな真似しねえぞ。これ以下っつったら、力が暴走してくたばるガキしか思い付かねえんだが?」


 どうやったらそんなのばかり集まるのだと、純粋な疑問を投げ掛けると、フレアが先程とは違う風に顔を引き攣らせて瑠依を見やる。


「……そんな事しているの、この子」

「見れば分かるだろうが」

「……局の中って神力が常時満ちているし、施設用の防護魔法陣の中には力の流れを整えるものもあるから、分かりにくいのよ。ジャミングをばらまく側から整備されているのね、多分」

「冥府の連中ってのは節穴揃いだな」


 疾の目ではその過程までくっきり見えているが、魔道具回路すら目視できない魔術師が殆どである事を考えれば、分かりにくいのかもしれない。


「百歩譲って仮に冥府じゃ分かりにくいとして、街中じゃ丸分かりだぜ。事実、これの幼馴染みらしい変態は、異能がやたら強化されている」

「え!? 何それどういう事!?」

「まんまだろ」

「……瑠依? 詳しく説明なさい?」


 フレアが冷ややかな声を出すと、瑠依がびしっと固まって汗を流した。顔を引き攣らせたまま、目をうろうろさせ、絞り出すようにして答える。


「…………ぶっちゃけ変態が変態拗らせた結果、痛みすら忘れてフィーバーしてるだけだと思ってました。異能って何?」


「……」

「……」


 ほけほけと笑う冥官を除き、その場にいる鬼狩り達の空気は大変微妙なことになった。


「……疾。この子を野放しにするわけにはいかないと思うのよ」

「大いに同感だな、再教育頑張れよ、上司」

「……いいえ? 私が教えられることは全て教えているし、後は実地で学ぶしかないと思うわ」

「大規模な事故起こす前に叩き直せ。実地だと下手すりゃ死人が出るぞ」

「そこは近年稀に見る逸材だという、疾の力量を信じているわ。冥官様からの推薦だし」


 災害級の問題児を全力投球で投げつけ合うやりとりの中、飛び出してきた死球に疾が顔を引き攣らせるより先、肩に手が置かれた。


「疾なら何とかなるだろう? 実際問題、術はしっかり構築できるのに力が制御しきれていないような鬼狩りをどうにか出来るのは、疾だけなんだ」


 つまり、他に適役がいないので任せた、という事らしい。この冥官の無茶ぶりは、本当にどうにかならないものか。


(寧ろ、俺が1番危険なんだが……コイツ分かってて言ってるよな)


 異能と魔力の相性が悪く、回路の不調をきたしやすい疾にとって、瑠依はある意味天敵である。こんなのと仕事をしていたら、正直身が持たない。

 が、冥官のことだ、「これも力の制御訓練になる」とか考えているのだろう。命懸けになれば人間何でも出来る根性論は、疾とは大変相性が悪いので勘弁してもらいたい。

 そう思った途端、肩に置かれた手に力が籠もる。……現実逃避をしたところで、拒否権は始めから存在しない事くらいは、疾とて理解している。それでもどうにか逃げたかっただけだ。


 1つ息をついて、冥官の手を払いのける。腕を組んで目を眇め、フレアを軽く睨んだ。


「で、対価は?」

「……は?」

「単独であれば何の問題もなく業務を果たせるのに、足を引っ張るのが確実で、一歩間違えれば死人が出る大事故に繋がりかねない危険物を管理するっつう、非常識極まりない命懸けの業務を、この俺に押しつけようってんだ。当然、それなりの手土産と利益くらいは用意しているんだろうな? よもや、はい喜んでと引き受けるとでも思ってたのか? いくら何でもおめでたすぎるぞ」


 フレアがにこりと笑う。


「瑠依の人事権は私にあって、疾の人事権は冥官様にあるのでしょう? 互いに合意した任務に、貴方が口を挟む余地はないわよ」

「他の鬼狩りが同じように、わざわざ危険を抱えて死地に向かうような任務を日常的にこなしているとでも? だったらそいつらに、これの教育もさせろ。任務経験もない俺じゃなくても、適任者がいるだろうよ」

「だから、この人事は」

「さっきあんたが言ったんだぜ? 俺だからなんとかなるだろう、と。つまり、鬼狩りが果たせるレベルを超えた特殊任務っつうことだ。んなもんタダで押しつけられるわけねえだろう、管理職のイロハを一から学び直せ」


 疾がせせら笑うと、フレアが押し黙る。無理押しすれば自分の評価が下がると、理解出来たらしい。口元に小馬鹿にするような笑みを維持したまま、疾はわざとらしく首を傾げてみせた。


「それとも、鬼狩りの局長ともあろう立場にいる人間が、任命の場において自分が下す指示の危険度や価値を理解出来ないまま、指揮を振るっているとでもいう気か? とんだ盆暗だな」

「……貴方とは一度、じっくり話し合う必要がありそうね」

「価値も感じないな。血の巡りの悪い奴を相手にする時間が惜しい」


 鼻であしらう疾にフレアが無表情になったが、形勢が悪いのは理解しているだろう。何せ、疾の直属の上司である冥官が、にこにこ笑っているだけで口を挟まないのだ。冥官が黙認している主張を、フレアが潰す事は不可能に等しい。


「……報酬の上乗せについては、後ほど通達するわ」

「つまり事前準備が全く出来てねえっつうことかよ、みっともない。この場で命じておいて後回しなんて都合の良い真似、許すわけねえだろうが。あんたに差し出す準備がないなら、こっちからもぎ取るまでだ」


 幸い冥官から流し込まれた知識により、冥府の持つ資産はおおよそ把握している。その中でこの中途半端な管理職からもぎ取れる範囲で、言動を見ているだけで頭痛のするお馬鹿と仕事をするという、危険無茶不愉快極まりない任務をこなす上で必要な対価については、嫌な予感がした時点で計算済である。

 決して使いたくはなかったが、とポケットに突っ込んでおいた紙切れを取りだし、フレアに見せつける。ぎょっと目を見開くフレアに、にこやかに告げた。


「あんたの権限で何とかなるレベルで収めてやっただけ、感謝しろよ?」


 取れるところから搾り取るのは、己の腕っ節を売って生きる異能者として当然の心構えである。本来ならもっと要求してもいいくらいだと臭わせれば、これ以上冥官の前で立場を失いたくないフレアは、頷くしかないのだ。


「……飲むわ」

「妥当な判断だ」


 からかうように言って、疾は会心の笑みを浮かべた。


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