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疾き波は岩をも割き  作者: 吾桜紫苑
6章 『鬼』と『冥府』
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111 局長

 鬼狩り関連の呼び出しだと瑠依が認識したのは、冥府に続く道を開けて足を踏み入れて、ようやくであった。


「いやだ! 俺は帰る! あんなおっかないもん、俺にどうにか出来るわけないじゃん帰る!」

「仕事だっつうの」

「そもそも何で俺がこんな仕事させられてるわけホント帰りたい! 彰が帰ってきてから押しつければ良かったじゃん!?」


 ぎゃーすか喚く瑠依の言い分では、親戚が代々鬼狩りの業務を受け持っているらしいが、その親戚が行方不明になったせいで、本来選ばれるはずのなかった瑠依が急遽任命されたらしい。


(……人出不足にも程がある)


 聞き流した情報から推察するに神隠しにでもあったようだが、だからと言ってこの残念な頭の持ち主かつやる気ゼロ、ついでに疾を巻き込んだ際のジャミング垂れ流しな制御技能でなお採用するとは、疾が想像していたより遥かに人材不足で困窮しているようだ。

 それにしたってもう少しましなのがあの街ならいるだろう、と鬼狩り局の見る目のなさにげんなりしつつ、疾は未だに騒ぐ瑠依をずりずりと引き摺っていく。盛大に暴れているつもりのようだが、体術も学んだことがない細身の高校生の抵抗は、抵抗とは言わない。適当に力を散らせば、寧ろ暴れていない方が、運ぶ力が必要なほどである。


 身体強化すら使わずに足を進めていた疾は、唐突に視界が切り替わるのに合わせて、一旦足を止める。救護室から出て来た際に見た光景と全く変わりなく、相変わらず異様に注目されている事実は無視して、荷物(瑠依)ごと受付に足を進める。

 声をかける前に、「こちらです」と案内される。事前に話を通していたようだ。強制連行されたきりだった疾としては、どう説明すれば冥官に繋がるのか不明だったため、ありがたくはある。あるのだが、そこまで下準備されている事実に、今度は何をさせるつもりかと警戒がいや増す。


「来たわね」


 が、腕を組んで仁王立ちしたハイヒールの女性が待ち構えているだけの見慣れない執務室に、疾は思わず眉を寄せた。やたら馴れ馴れしいが、初対面だ。


「げっ」


 手元から蛙が潰れたような声が聞こえる。視線を向けると、瑠依が思い切り顔を引き攣らせていた。どうやらこちらと顔見知りらしい。


「用はこっちか?」


 聞きながら軽く瑠依を持ち上げる。荷物さながらぶらんと揺れる瑠依をみて、女性は微妙な顔をした。


「……猫みたいな運び方ね」

「連れて来いと言われたものの、全力で逃げようとしたからな」


 冥官の命令違反などすれば、それをダシにどんな無茶ぶりをされるか分かったものではない。ただでさえ忙しいというのに、馬鹿1人の為にこれ以上の苦労はごめんである。


「まあ、助かるわ。これまでも何度か催促したのに、ちっとも来なかったから」

「……」


 目を向けると、額に大量の汗を流しながら、瑠依がふいっと目を逸らした。どうやらこいつ、職務放棄で逃げまくっていたらしい。


「あんたが引き摺ってくれば良かったんじゃねえの?」

「嫌よ、美しくない。そもそも冥府の上級職員は、余程の事がないと下界には下りられない決まりがあるの」


 本音と建て前を一度に口にする開き直りぶりに肩をすくめ、疾は瑠依に視線を落とした。


「で。あんたは、これの上司っつうことで間違いないのか?」

「そうね。鬼狩り局の局長、フレアよ。貴方の名前は聞いているけれど、登録名も疾でいいのかしら」

「……いい」


 頷きながら、疾は内心舌打ちする。ここでは名前を伏せておくことは難しそうだ。 


「ただ、鬼狩り以外に情報を流すような、無責任な真似はするな」

「あら、何故?」

「魔術師の事情だ、詳細を説明する義務はない」


 ひぃっと息を呑む声が右手から漏れた。疑問を抱いて視線を向けた時には、フレアの声が温度を失っていた。



「……あら。上司への口の利き方も知らない坊やなの? 恥ずかしいわね」



 視線を戻せば、フレアは冷ややかな眼差しの中に酷薄な色を交えて、疾を威圧するように睨み据えている。疾としては当然のことしか口にしていないのだが、何かが気に入らなかったらしい。口調か態度か、どちらかだろう。

 推測しながら、疾は口元に笑みを上せた。相手には不足が目立つが、そこそこ頭の回転は悪くはなさそうだ。


「上司? 誰を指して言ってるんだ?」

「……なんですって?」


 フレアの眉がわずかに動いた。予想通り、理解していて敢えて引っかけたらしい。流していれば言質を取ったものとして、上司権限を振りかざしたのだろう。


「鬼狩りにおける契約は、術によるものだ。術者間での上下関係は成り立つが、例えばこいつと俺のように、期間の長さは上下関係にはならない」


 やや曖昧な物言いにしたが、ようは疾に契約魔術をかけた相手である冥官こそが、疾の直属の上司となるのである。


「鬼狩り全体のまとめ役として、それなりの権限はあるだろうが、俺相手にそれが通用するわけねえだろ」

「何故? 貴方も鬼狩りの一員なのだから、人事権は私にあるでしょう」

「本気で言ってんのかそれ? だとしたら、あんたに管理者としての能はねえぞ」


 鼻で笑ってやると、フレアの眉間に皺が寄った。何故かじたばた逃げようと暴れ出した馬鹿は無視して、疾は続ける。


「俺の事情も状況も把握出来てない状態で、人事権だと? 寝言は寝てから言え。名前を伏せる理由を、部外者もいる前で尋ねる浅はかさを少しは恥じろ」


 すうっと、フレアが纏う力が研ぎ澄まされた。フレアの唇が持ち上がり、冷ややかな笑みを浮かばせる。


「口の減らない坊やね」

「図星を突かれただけで余裕が禿げてるぞ、年増」


 ひえっと小さな悲鳴が場に落ちたが、疾もフレアも完璧に無視した。巻き込まれた形だが、そもそも疾がこの面倒臭いだけの女を相手にしている元凶は、このサボり魔である。ある意味巻き込まれたのは、疾の方だ。


「……上下差を身体に叩き込んだ方が、早いかしらね」

「へえ、良いのか? 名義上部下に当たる鬼狩りにぼろ負けした局長、なんて呼ばれたいとは、物好きだな」


 煽るだけ煽ってやれば、フレアが無言で右手を持ち上げる。武器を喚び出そうとしているのだろう、完全に臨戦態勢に入った相手に神経を研ぎ澄ませた疾は──右方から叩き付けられた殺気に、反射で右手のものをぶん投げてしまった。



 閃光と共に、粉塵と爆風が吹き荒れる。



「ふぎゃああああああああああ!?」



(あ、しまった)


 小爆発の余波を魔術障壁でいなしながら、疾は密かに冷や汗をかいた。冥官の不意打ちを防ぐのに無防備な馬鹿を盾にするのは、やり過ぎというか、殺人と言われても否定出来ない。


「疾……貴方……」


 先程まで敵意に満ちていたフレアまで、どん引きしている。表情は変えないまま、流石にこれは死んだだろうと半ば覚悟しつつ、一応瀕死であった場合の為に、治癒魔術の準備だけはして目を凝らした。


「いきなりこの扱い何!? 実は今朝のことまだ根に持ってる!? 死ぬとこだったじゃん帰りたい!!」

「「…………」」


 無言でフレアと顔を見合わせる。考えていることは同じなようだ。



「いや……何で生きてるんだお前」

「理不尽!!」



 冥官の不意打ちに無防備に晒されたくせに傷ひとつない理不尽の塊が、なんか叫んでいた。


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